あなたには、尊敬する人がいますか。いつも誰に敬意を払って生きていますか。 会社でも学校でも、誰かに敬意を払うことは必要なことで、とても大切なことだと思います。また、小さい時からそれを教わって育ってきたと思います。 聖書には、お互いに愛し合うこと、敬意を払うことについて何度も言っています。それは、私達が敬意を持つときに、神様から素晴らしいもの、報いを受け取ることができるからです。 敬意という言葉には、価値があるものとして見ること、尊敬すること、重みがあるものなどの意味があります。 なので、私達が敬意を持つとき、相手を尊敬し、価値があるもとして見ることができます。 ある人は、「敬意払ってるよ。だって敬語使ってるから」と言うかもしれません。しかし、敬意はただあなたが話している言葉だけではなく、それ以上のものです。 あなたの内側でおこり、それが外に出てきて態度として目に見える形になります。敬意は私達の話すこと、態度、考えから来て、この全ては私達の心につながっています。 なので、私達の心にいつもどんなことを入れているかがとても大切です。 それは聖書にも書かれています。 第2ヨハネ1章8節を見てみましょう。 彼らと同じ道をたどって、これまでの労苦が水のあわとならないようお願いします。あなたがたには、ぜひとも、主から十分な報いを受けてもらいたいのです。 この前後の箇所を読んだら、よく話の内容が分かると思うのですが、ヨハネはここで、私達がどんなこと、どんな情報、教えを日々聞いて、心の中に入れているかを注意するように言いました。 人達は、神様の教え通りに歩んでいたのですが、偽教師がそれに反対し、でたらめなことを言いふらし始めました。 彼らがその間違った教えに耳を傾け、神様の教えの道から外れていってしまいました。 どんな言葉を聞いて、栄養を蓄えているかによって、私達の成長が変わってきます。 それは、日々の食事と同じことです。栄養のある食事を摂っていると、健康を保つことができ、力がつきます。しかし、悪くなったものを食べると、お腹などが痛くなったりと、健康に害を及ぼす可能性があります。 ここでいう栄養とは神様の言葉、信仰の言葉です。反対に、不信仰、疑い、偽り、不安の言葉は私達の成長を妨げるものです。 なので、自分の中にどんな言葉を入れているかを注意して見なければなりません。 また、間違った教えを聞いて、あなたの大切な時間を無駄にしないでくださいと教えてくれています。 ヘブル13:14 […]
Is God good?
In previous articles I wrote here in our blog, I introduced you to the idea of God being unchanging (“Even […]
危機の機会
働く」ということを聞くと、あまり良いイメージを持たない傾向が高いと思います。一般的に、「働く」ことは面倒くさいと思われ、職場のことを考えれば、鳥肌がたつ人もいるでしょう。しかし、仕事がどれほど大変であっても、毎月の家賃などを支払うために、しなければなりません。また、特に危機の時に仕事がなくなると、さらに苦しくなるので、無職より仕事があるだけましです。 危機と言えば、多くの危機は仕事と直接関連があると思います。よく考えると、多くの人は仕事を通じて自分の価値を決めつける傾向があり、生きるために仕事をします。仕事が好きでもそうでなくても、関係がありません。とにかく仕事をしなければならないと思っています。しかし仕事がないと、絶望的になります。金銭的に困り、家族が崩壊し、平安を失い、何もうまくいかなくなります。 ところが、危機は不可避です。自分の損失を嘆いても、あなたの状況に何の変化をもたらさないし、逆にさらに酷い状態になる可能性が高いです。なぜなら、重要なのはあなたがどういう目で危機を見ているかということだからです。あなたの見方によってあなたが成功するか否か決まります。 「危機」の言葉をよく見ると、その熟語の終わりは「機会」の言葉の始まりと考えられます。つまり、危機を終わりにしたいなら、まず危機から機会を作ることが重要なのです。 危機を乗り越える方法に深く入る前に、「働く」ことについてもう少し考えたいです。多くの人は働くことに対して悪いイメージを持っているのは、自分の人生の目的が明らかではないからです。なので、面倒くさいと思いがちです。 自分の人生の目的を理解するためには、その創造主のことを知る必要があります。なぜかというと、私たちを造った神様は、ある目的を持って私たちを造ったはずだからです。例えにするとしたら、誰かある電気製品を作る時、利用者が適切に使えるように、製品と共に説明書も送ります。私たちも自分の人生の説明書である聖書を持っています。なので、聖書が私たちについて何を書いているのか見てみましょう。 創 1:26-28 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」 人間は神様と同じ性質を持って造られた被造物です。しかしながら、それだけでなく、この世を支配するために造られ、ある使命も任されました。それは、「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」簡単に言えば、それは私たちの人生の目的です。別の言葉を使って言うと、神様は私たちを働くために造られました。私たちは自分の使命を果たすと達成感もでき、全てを意味します。 次に、もう一つの重要な点は、あなたの仕事とあなたの働きには違いがあることです。それらは同じことではありません。あなたが午前9時に会社に入り、午後6時に会社を出て、毎月給料を受け取り、仕事に人生をかけ、65歳以上になったら退職するのは、あなたの仕事です。しかし、それはあなたの働きではありません。なぜなら、あなたの働きはあなたの人生の目的と繋がっているからです。 神様はあなたが働くために、あなたを造りました。なので、働くことによって自分の人生の目的を果たすことができるのです。あなたが働くことで充実した人生を送ることができる上に、あなたの周り、この世の人たち、また、神様の国も祝福されます。 仕事をすることで様々な経験を得ることができ、スキルも身につけられます。また、仕事もあなたの働きを貢献することがあります。しかし、仕事がなくてもあなたから働きがなくなることはありません。それは、働きはあなたの内にあるからです。要するに、仕事がなくてもあなたは働くことができます。それで、どのような危機に直面してもあなたは栄える機会を生み出すことができます。あなたはそのために造られたからです。そしてあなたが働くことによって、神様の祝福が放たれます。仕事をすることによってあなたは支給を受け取りますが、働くことによって神様があなたに繁栄をもたらします。 今回のブログは前半だけです。今度改めてこの課題について一緒に考えたいので、見逃さないでください。
Learning To Deal With Disappointment
For sure you already had to deal with an uncomfortable situation, something unexpected, unplanned, a situation that caught you by […]
最強のチーム
この世の中にはスポーツ、歌手などいろんなチームがあります。 あなたはどのチームが好きですか? この話題は友達と何時間も話せる話題です。 今日は、皆さんとある最強のチームについて話したいと思います。 それは、神様のチームです。中には「神様ってチーム?」「神様って唯一だから1人じゃないの?」と思っている人がいると思います。 神様はもちろん、唯一です。しかし、3人の位格を持っています。 神様が3人いるのではなく、三位一体、3人の人でありながら唯一の永遠の神様です。 まず、父である神様がいて、次に、子であるイエスキリスト、そして聖霊がいます。 それぞれに役目があり、その3人が協力し合い1つのチームとし、尊敬しあいながら働き、愛を表現しています。 創世記1:26には神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」と書かれています。 ここで、「わたし」ではなく、「われわれ」と言っています。なので、1人ではなく3人がチームとなって造り上げていったことがわかります。 では、ここでそれぞれの役目を見てみましょう。 ➀ 神様:この世界と私達を造った創造主 分かりやすく言うと、神様は建築士で、全てどう作るか考え、命令しました。 ② イエス:神様の命令に従い、計画を実行しました。 ③ 聖霊: 聖霊は創造を明らかにし、神様の創造に同行し、調整しました。 この3人の中で、何もしないでただ見ているだけの人は、誰もいませんでした。各々が役目を果たし、チームとして働きました。そこには、私達人間のように嫉妬や、喧嘩などありませんでした。なぜなら、神様は完全なるお方であるからです。 もし、三位一体が違う思いで、それぞれが別々のアイディアでこの世を作ってたらどうなっていたでしょうか?何もかもがぐちゃぐちゃになり、ずさんな状態になっていたかもしれません。しかし、神様の願いはそうなることではなく、いつもチームがうまく協力し合いながら働くことです。なので、私たちにもそうしなければなりません。 イエスはそのことについて祈っていました。 ヨハネ17:20-23 わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。 […]
コロナに負けるな
全世界は今、非常に大変な状況に直面しています。テレビをつけるとコロナに関するニュースばかり放送しています。今のイタリアやスペインの状況を見る度に心が痛みます。結局、頭が恐ろしいニュースでいっぱいになり、自分も伝染病に移ってしまうのではないかと恐れてしまいます。 そんな状況を見るとき、昔、イスラエルの民に起こった話を思い出しました。それは、十の災いという実話です。当時、エジプトで奴隷とされたイスラエルの民は神様の選ばれた国で、自由にされる直前、エジプトの不従順のせいで、十の災いにあいました。神様はエジプトのパロに神様の民であるイスラエル人を自由にしなさいという命令を出しました。十の災いはなんて恐ろしい体験だったでしょう。しかし、イスラエルは神の選ばれた民なので、神様に守られ、災いに影響されませんでした。しかし、このような状況下にいたので、恐ろしい光景を生で見ていました。 最後の災いとして、神様はイスラエルの民にある指示を与えました。この時代、いけにえの習慣は普通だったので、子羊の血を取り、「その血を家々の戸口の両わきの柱とかもいに塗る。血は、その家で食べる子羊のものを使うこと。」(出エジプト12:7‐リビングバイブル)それから、家で家族全員が子羊を焼いて食べました。その夜はとても怖い夜で、家族全員が自粛をし、恐れに囲まれていた状態だったが、まだ見えない自由を宣言しました。 家の両わきの柱と、かもいに血が塗られた家は、その夜神様に守られましたが、血が塗られていなかった家々には死が入り、その家族たちの長男を殺しました。その後で、やっと当時エジプトを収めたパロが悔い改め、神様の民を奴隷制度から解放し自由にさせました。 これは、ユダヤ教の中で過越し祭として知られており、神様が自分の民を守って解放されたという記念日です。 今月、過越祭がお祝いされますが、現在、過越祭はさらに深い意味を持たれていると思います。ちなみに過越祭は現在、イースターとしてよく知られています。西洋の方では、よくお祝いされていますが、日本ではほとんど知られていない祭りです。 先程のお話に出てきた、羊の血は、神様との契約と意味があり、子羊の血を塗られた家にいる家族は、「私たちは神様の者です」と宣言していることになり、彼らが神様を信じて信頼していたことの証です。神様はそれを見て、彼らが信頼し、全てをささげているので、神様は自分の民を守って解放しました。 それを理解するとき、過越しの意味をさらに深く理解できると思います。イエスキリストがユダヤ人であり、ちょうど過越祭の時に、十字架につけられました。聖書にはこのように書かれています。 1コリ 5:7 私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。 要するに、イエスキリストが十字架で死んだのは私たちのためです。 これを聞いて、「えっ!?これらの話は、最初に挙げた今日のニュースやコロナと何の関係があるの?」と疑問に思うかもしれませんが、私にとって全てが関連していると思います。恐ろしいことが起こっている今だからこそ、あなたに励ましたいです。あなたの信仰を奪われてはいけません! イエスキリストの血を自分の心に塗っている人たちは全員救われます。今年の過越祭、つまり、イースターは4月12日にお祝いされます。イスラエルの民のように、私たちも大変な状況の中にいますが、先程の話を思い出してください、自分の家を羊の血を塗った人たちは、家族全員が守られ、無事食事をしていました。 なので、神様と契約を持っている人、すなわち、神の羊であるイエスキリストを受け入れた人たちは、守られています。聖書にある全ての守りの約束は私たちにも当てはまるのです。安心してください。もうすぐイースターが来ます。私たちの神の子羊であるイエスキリストは自分の民を迎えに来ます。 もしあなたがまだ、自分の心に神の子羊の血を塗っていなくて、これからは神様との関係を持っていきたいと思うなら、今、自分の口でこの簡単な祈りをすれば、イエス様はあなたと食事することができます。イエスキリストはそう約束したからです。 一緒に祈りましょう。 イエス様、 あなたは、神様の民を救うために来た神の羊であること信じます。 私の心に入ってきてください。 私の主と救い主となってください。 […]
A Brief Letter About Love
Dear you, I came here today to share with you some thoughts about a very common word – LOVE. Everybody […]
最高の時間の使い方
みなさんこんにちは。コロナのニュースばかりですが、気持ちを明るく持って行きましょう。 きっと今の時期は在宅ワークを行っている人や、自宅待機をしている人が多いと思います。 私もその1人です。 在宅ワークをすると、今までとの生活リズムと少し変わってきます。中には在宅ワークをするのが辛いという話も聞きます。 今日はそんなみなさんに、在宅での最高の時間の使い方をお話ししたいと思います。 聖書は、時間の使い方についても教えています。時間はみんなに平等で、1日24時間です。その24時間をどのように使うかが大切で、プレッシャーに追われるのではなく、有意義に時間使うべきです。 詩篇118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ、喜ぼう。 ここでわかるように、神様は私たちに期待と喜びに満ち溢れた1日を過ごしてほしいと願っています。 今日という日は当たり前ではなく、神様から与えられたプレゼントです。それをどのように管理していくかの任務を私たちに与えました。 最高の時間の使い方を3つのポイントからシェアしたいと思います。 ① 良い1日のスタートを切る マルコ1:35 さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、人気のない所に行って祈られました。 イエスは、弟子達と一緒に神様の言葉を教えるために様々なところへ行っていました。あらゆる所でイエスは教え、病人を癒し、解放させました。 どうしてこのことがいつも起きてたのでしょうか。またイエスのエネルギーはどこから来てたのでしょうか。 それは、上の箇所に書いてある通り、イエスは何かを始める前にまず祈っていました。祈りというのは、神様と話すことです。イエスはそうすることで神様から導きもらっていました。 中には、「私は昼か夜に祈ります」という人もいると思います。もちろん最高です。 しかし、朝の「忙しい、時間のない、早く」の口癖を「神様、今日という日をありがとう。今日も最高で祝福されたの1日となるように導いてください。」に変えることでもっといいスタートができます。 […]
怠け者のクリスチャン
私たちは、クリスチャンとして、信仰に生きるために召されました。 ロマ 1:16-17 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。 「福音は神の力」と、読むと心が踊り、楽しくてたまりません。しかも、それは、日本人であってもなくても、あなたが福音を信じるなら、神様のみことばの力を体験することができます。もちろん、救いだけでなく、日常生活で、信仰によって神の力を燃え立たせることができます。聖書では「福音のうちには神様の義が啓示されている」と書かれています。それは、あなたが信仰を実行しながら霊的に成長して進んで行くからです。 信仰なしでは、私たちは神様を喜ばせることすらできません(へブ11:6)。信仰は私たちのライフスタイルなので、聖書では「義人は信仰によって生きる」と4回も堅く提示されています。(ハバ2:4;ロマ1:17;ガラ3:11;へブ10:38) では、どうすれば信仰によって生きられるのかという疑問が出てくるかもしれません。その答えを、簡単に言うと、ロマ1:16が教えている通り、福音を信じれば良いのです。つまり、神様のみことばを信じれば信仰によって生きることになります。 しかし、残念ながら、多くのクリスチャンは信仰によって歩んでいるどころか、ほとんどが肉体的に歩んでいます。 要するに、この世の人のように普通に生きていて、自分は霊的な者だという認識さえもしていません。責めるような表現に聞こえるかもしれませんが、私はそのようなクリスチャンを「怠け者のクリスチャン」と呼びます。なぜそう呼ぶかというと、彼らは信仰を実行する努力したくないからです。 イエスキリストの弟子たちも同じように、たまに怠け者のような態度をとったのでイエスキリストに強く叱られました。 マルコ 4:40 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」 この話の背景をさらに詳しく理解するために、マコ4:35から5:1まで読むことを勧めますが、今回はある部分だけを深く分析したいと思います。 主イエスは、聖霊様に動かされ、弟子たちに「船で向こう岸に渡ろう」と指示を与えました。しかしながら、主イエスが群衆にたくさんのみことばを教えていたため、途中で疲れて船尾で寝てしまいました。 すると、急に天気が悪くなり、恐ろしい嵐や、大波が起きたため、弟子たちは死にそうだと思って絶望していました。彼らは主イエスを起こすと、主イエスは激しい大雨に強く命じて天気を落ち着かせました。その後、上に挙げたように、弟子たちを叱りました。 その場面から、私たちが理解できるのは、主イエスは、弟子たちがあの激しい状況下で、何かしらの態度をとることを期待していましたが、その期待が満たされなかったことです。 なので、主イエスは不満に思い、弟子たちに「信仰がないのは、どうしたことです」とはっきり話しました。 弟子たちはいつも主イエスの教えを受けて、模範であるイエスの姿勢や振る舞いを見ていたので、信仰が使えるはずなのに、信仰の行動をとらなかったのです。 むしろ、弟子たちは、厚かましく、主イエスがなんとかしてくださるはずだと考えて、主イエスに責められるほど、怠けていました。 […]
Even In The Midst Of Chaos, God Is Still Unchanging
I think we all can agree that the world is getting chaotic. Besides the wars, hunger, growing violence and the […]