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Word of Life Tokyo Blog

東京いのちの言葉のブログ

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No One Was Sorry When He Died
February 28, 2024April 8, 2024

No One Was Sorry When He Died

Tony Cooke (英語版/English Version)

“No one was sorry when he died.” That is a tough statement to hear, but it was made of Judah’s […]

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私はキリストの体の一員だから全ての教会に通ってもいい?
February 8, 2024February 13, 2024

私はキリストの体の一員だから全ての教会に通ってもいい?

ジェフター Jefter

私は山梨県に住んでいた時、ある姉妹が私と同じ教会に通っていましたが、その姉妹にはとても興味深い習慣がありました。同じ日曜日に少なくとも二つの違う教会に行く習慣でした。最初、問題はないだろうと思いました。それは、私たちがみなキリストにあって神様の家族ですし、兄弟姉妹が交わりを持つことに何も悪いことがないと思ったからです。しかし、時間が経つと、その姉妹は教会の皆との関係が気まずくなり、牧師は結局、姉妹と話をし、実際にどの教会に通うのかを尋ねたところ、その姉妹は、「自分がキリストの体の一員なので、教会は一つ」と答え、さらに、「どの教会に行っても大丈夫でしょう」と牧師に言い返しました。 確かにその姉妹が言ったことには間違いがないように聞こえますが、私は聖書の教えに合わないと思いました。また、問題は、多くのクリスチャンがその姉妹と同じ思考を持っていることにも気付きました。そして、特に未熟なクリスチャンにはそこに罠があります。 私はまだ若いクリスチャンであった時に、多くの教会に訪問する習慣がありました。別にそれは悪いことだと今も思っていませんが、ある時期、私は二つの教会に同時に通うようになったこともありました。一つは地域教会として、日曜日に通っていましたが、若い人たちと交流するために、また別の教会に通い始めました。 その過去の習慣に関して、現在の理解で意見を出すとしたら、私から確かめられることは一つです。それは私がその当時まだ霊的に未熟だったことです。さらに、あの段階では私を模範として扱うことができなかったと思います。 結論からいうと、クリスチャンが様々な教会に行きたいと思っている理由はいくつかあります。 まず、自分自身が教会に対して責任を持ちたくないことです。 一つの教会に通うとなると、その教会に忠実に奉仕したり、指導者に報告したりする必要があることに気づき、それらを避けるために、距離を置き、同時に他の教会に通うようにし、好きなところだけを楽しんで、何も責任感を抱かないようにしています。 要するに、子供の段階に留まっていたいということです。 しかし、福音書を少しでも読んでいるなら、そういう態度は神様にどれだけ好まないのかが分かります(参考:マタイ25章14~30節)なぜなら、神様が望んでいるのは、全ての信者が成長し、キリストの体に貢献ができるようになることだからです。つまり、私たちが実を結ぶことです(参考:ヨハネ15章1〜8節)しかしながら、同時に様々な教会に通う人は奉仕することが面倒だと思い、実を結ばない道を選んでいます。 また、もう一つの問題は牧師に服従することです。 様々な教会に通っているクリスチャンの多くは、服従に関する悩みがあります。確かに服従することは挑戦的ですが、神様の御心です。また、神様の命令は重荷ではないと聖書に書いてあるので、(第一ヨハネ5章3,4節)まず、全ての信者が理解しなければならないのは、牧師がキリストによって立てられた聖職者であり、その牧師の年代や性格や国籍や教育などに関係なく、イエスキリストに遣わされた人であれば、その牧師に服従することはイエスキリストに服従すると同じだということです。 ヨハネ 13:20 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしの遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。 なので、牧師に反抗することは神様に反抗することなので、気を付ける必要があります。そして、神様は、牧師も人間なので、完璧ではなく、失敗する者だと分かっていますが、それでもあなたの牧師は神様に選ばれた者であり、あなたが通っている教会に責任があります。 へブル 13:17 あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。 牧師に正され、教えを受けることは良いことです。しかし、肉体的な習慣を捨てたくない人は矯正を軽蔑し、それを拒むでしょう。なのでパウロはそういう人について警戒しなさいと命じました。 ローマ […]

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神を求める
December 20, 2023January 18, 2024

神を求める

直美 Naomi

 エペソ 3:7-8 「私は神の力の働きに応じて私に与えられた神の恵みの賜物によって、その奉仕者とされました。すべての聖徒の中で最も小さい私に、福音を通してキリストの計り知れない豊かさを異邦人の間で宣べ伝えるこの恵みが与えられました。」 私は自分が経験していることを目撃し、体感しています。それは、私たちの周りの人々が私たちを見ているということです。休憩をしている場合ではありません。私たちは神の中にしっかりと留まり続ける必要があります。私の内に働く力を使って、主ご自身が私を見られるように私自身を見る必要があります。彼は私を頼りにしています。 使徒 17:26、27 「そして彼は、一つの血からすべての世代の人間を地球の全面に住まわせ、前に定められた時と彼らの居住の限界を定めた。おそらく彼らが手探りして主を見つけることができれば、彼らが主を求めることができるように。それは私たち一人ひとりから遠くないところですが。」 私たちは神と共にいるために、神と親密になり、交わりを持つために造られました。神はご自身を人間に現し、神とコミュニケーションをとることを望んでおり、そのために神は人類全体を創造されました。私たちが心を尽くして神を捜し求めるなら、必ず神に出会うでしょう。 私たちは神をさらに求めるにつれて、神が誰であるかを発見しようと努めています。検索がある限り、必ず答えはあります。彼は私たちに明らかにすべきことがまだたくさんあります。神は私たちにご自身を明らかにしたいのです。 Searchとは、調べる、調査する、探索する、向かうという意味です。彼は自分自身を見つけてもらうでしょう。私たちは主をもっと求めるという期待を常に持たなければなりません。私たちが神を求める決意をするので、神は面と向かってご自身を明らかにしてくださいます。 神を求めるのは答えを見つけるためではなく、私たちが心から神を望んでいるからです。神があなたのためにしてくださることを求めるのではなく、神のために求めてください。 「私の探求があまりにも熱心で、他に何も問題がありませんように。私が生み出す探求は私の欲望を超え、心から湧き出たものです。」 ルカ 10:38-42 「そして、彼らが旅をしているときに、イエスが村に入られたことが起こりました。そしてマーサという名前の女性が彼を家に迎え入れました。この人にはマリアという姉妹がいましたが、彼女もイエスの足もとに座って、イエスの言葉を聞いていました。しかし、マルタは多くの仕事に気を取られていました。そして近づいて、彼は言いました:「主よ、私の妹が私を一人で奉仕させておくのは気にされませんか?」彼に私を助けてくれるように伝えてください。するとイエスは答えて彼女に言われた、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを心配して悩んでいますが、必要なのは一つだけです。そしてマリアは良い部分を選びました、それは彼女から取り上げられることはありません。」 雑事で主との時間を台無しにしないでください。私たちがしなければならないのは、神の前に自分の心を注ぎ出すことだけです。そうすれば、私たちの人生は変わります。神を求め、神を知ることの最良の部分を自分で選択してください。気を散らさないでください!御言葉にもっと執着することを決意してください。 何かで成長するには、他のことを手放す必要があります。成長は時々不快感を引き起こす。 詩篇 16:9-11 「したがって、私の心は喜び、私の栄光は喜びます。私の肉体もしっかりと休むでしょう。あなたは私の魂を地獄に放っておかず、あなたの聖なる者に堕落を見ることを許しません。あなたは私に命の道を見させてくださいます。あなたの臨在の中には豊かな喜びがあります。あなたの右には永遠に楽しみがある。」 […]

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Have We Forgotten Hell?
December 6, 2023January 18, 2024

Have We Forgotten Hell?

Tony Cooke (英語版/English Version)

I’m all for “positive preaching.” I believe people need to be lifted up and encouraged as they walk through a […]

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私たちは地獄を忘れたのか?
December 6, 2023January 18, 2024

私たちは地獄を忘れたのか?

トニー・クック(日本語版)

私は 「前向きな説教」に大賛成です。人々は常に打ちのめされ、引きずり降ろされる世界を歩んでいるので、元気づけられて励まされる必要があると信じています。しかし、肯定的で励ましのメッセージを伝えるということは、「否定的」と見なされるようなことに決して触れてはいけないということなのでしょうか?私たちは、人々を愛している神を指し示し、親切に励ますべきですが、もし、私たちが説教する内容全体の一部として、裁きと地獄の現実に関する聖書の真理を取り上げないのであれば、私たちは大きな過ちを犯していると思います。 イエスのように宣教したいですか? チャールズ・スポルジョン(1834-1892)は、「私たちの主イエスキリストほど、失われた者の運命についてこれほど恐ろしい言葉を語った霊感を受けた説教者がいないということは、非常に驚くべき事実である 」と述べています。  尊敬すべき福音派の神学者であるJ.I.パッカー(1926-2020)は、聖書が神の怒りについて述べていることに現代教会が消極的であることを指摘しています。  キリスト教会の現代の習慣は、このテーマの重要性を最小限に抑えることです。今でも神の怒りを信じている人たちは(すべての人がそうではないが)、それについてほとんど語りません。貪欲、プライド、セックス、そして自己の意志という神に恥ずかしげもなく媚を売る時代に対して、教会は神の優しさについては話しますが、神の裁きについては事実上何も語りません……事実、神の怒りというタイトルは現代社会ではタブーとなっており、クリスチャンは、たいていそのタブーを受け入れ、それを決して口にしないように自らを律しています。 パッカーよりも前に、リチャード・ニーバー(1894-1962)は、リベラルな神学によってキリスト教信仰の本質的なテーマがキリスト教から取り除かれつつあることを指摘しました。彼は(1937年)貧弱で中和された「福音」を次の言葉で要約しています  「怒りのない神は、十字架のないキリストの働きによって、罪のない人々を裁きのない王国へと導きました」 万人受けを狙うなら、省略すべき4つの領域がニーバーの言葉に要約されていると思います。つまり、怒り、罪です、裁き、十字架について言及しないことです。 世間は、説教者が「神は愛である」と言っても何の問題も抱かないでしょう(それは真実です。第1ヨハネ4:8、16は、神は愛であると喜びをもって宣言しています) 実のところ、彼らはこの素晴らしい事実に拍手さえ送るかもしれません。神の愛が基礎であり、命令であり、不可欠であるように、新約聖書が教えていることはそれだけではありません。次のことを考えてみましょう: ・ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。 ・ローマ2:5は「神の怒りと正しい裁きの現れる日」について書かれています。 ・コロサイ3:6このようなことのために、神の怒りが下るのです。 パウロは、イエスが再臨されるとき、「燃え盛る炎の中に」来られると書いている。「そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。そのような人々は、主の御顔の前とそのとき御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。」(2テサロニケ1:8-9) 上記の聖句を読んでも神の怒りの現実が確信できないのであれば、黙示録の「怒り」について学ぶことをお勧めします。 福音のメッセージは、神が怒りを持てない、あるいは持たないということではなく、「あわれみは裁きに向かって勝ち誇る」(ヤコブ2:13)ということです。 イエスのおかげで私たちが得た福音は、以下の聖句で表現されています: […]

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心の戦いに勝つ
November 15, 2023January 18, 2024

心の戦いに勝つ

まさみ Massami

コリントの信徒への手紙Ⅱ‬ ‭10:4-5‬ ‭「私たちの戦いで使う武器は、肉体の武器ではなく、神から出て、堅固な城塞を打ち破る力がある。われわれは神に逆らうあらゆる思いごとを、キリストに服従させ、全ての人間の思考を捕えて、キリストに服従させる。」 私たちの行動は私たちの考えの結果です。 ネガティブな心を持っていれば、ネガティブな人生を送ります。 しかし、神の言葉に従って毎日私たちの心を新たにすれば、神の良い、喜ばしい、そして完璧な御心を楽しむことができます。 そして、私たちが恐れや疑いの心、混乱、罪悪感を感じるとき、それらはすべて私たちの心に対する攻撃です。 そして悪魔は、私たちの心を惑わす戦略で私たちを打ち負かそうとします。 しかし、これを防ぐためには、私たちの心を常に新たにしなければなりません。 どのように新たにするのか? それは、神を求め、御言葉を学び、祈りと賛美が、心を新たにする強力な武器です。 私たちは神を信じなければなりません。 神様を信じると口先だけのことを言ったり、疑いの心があったりすると、何の意味もありません。 マタイによる福音書‬ ‭12:33‬ ‭ 「- 良い実りを持つには、良い木を持っていなければなりません。しかし、価値のない木を持っていれば、価値のない実りを持つことになります。良い木と悪い木を、その実りによって知ります。」 ‭‭ みなさんは自分自身についてどのように考えていますか? […]

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BUT FIRST
October 25, 2023January 18, 2024

BUT FIRST

ケニー Kenei

Recently, I have been pondering on our relationship with God as His sons and daughters and how vital it is […]

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October 5, 2023

私達の舌を制御する重要性

ひき Hicky

乾燥な時期になるとよく山火事が発生することがあります。その火事はおそらくゆっくりと小さい火から発生しましたが、短時間のうちに全体に広がり、広い面積を焼き尽くします。私たちの口から出る言葉は、隣人や自分自身を生き返らせることも殺すこともあるのに、私たちはそれに気づいていないことが多いのです。 ヤコブ3:5-6 同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。 私たちは自分の言葉をコントロールすることの重要性を毎日心に留めておく必要があります。私たちの口は人々を祝福するために使われなければなりません。 癒し、救い、そして神さまの愛の宣言の源として使われなければなりません。私たちの言葉を通して、夢は殺されるのではなく、復活する必要があります。以下の聖句を通して、舌を守ると決心した人は心も守ることがわかります。 詩篇37:30-31 正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない 箴言18:21 死と生は舌に支配される。/どちらかを愛して、人はその実を食べる。 多くの場合、私達自身に対して、また他の人に対してこのように言ってませんか? そしてその言ったことが悪い影響を与えていることに気づかない時があります。うまくいかないよ!私が結婚?無理無理!あの病気は治らないよ! 私達が忘れているのは、私達が話す言葉は霊的な世界に種を蒔いていることです。 あなたの人生の中で何回このようなことを言われたことがありますか?あなたの将来が心配だよ!馬鹿だな!この出来損ない!もしかしたらあなたの心の中で、思い出の中で、その言われたことに対する傷だったり、悲しさがあったかもしれませんが、もうあなたイエスによって救われて神様の愛があなたの中に入って、あなたはイエスによって癒しを受け取りました。 それは精神的な癒やし、体の癒し、全部です! 問題の根本を認識する必要性があります。 私たちの舌の問題は心にあります。 ルカ 6:43-45 悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。木はどれでも、その実によってわかるものです。いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。 良い木から悪い実は出てこないです。愛によって歩んでいないのなら愛を与えることはできないです。心が憎しみでいっぱいなら赦しに歩むことはできません。 […]

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ビクビクしないで!
September 22, 2023October 4, 2023

ビクビクしないで!

夕貴 Yuki

最近、いつもビクビクしてるクリスチャンや、いつも自信がなく、ネガティブなクリスチャンを見ます。 聖書は、義人(私たちクリスチャン)は信仰によって生きると書いてあるし、教会のブログをいつも読んでくださってる方は、このブログのテーマで信仰が多いのを見ることができると思います。 多くの人は「信仰を知っています」と信仰や御言葉を知識としてのみ理解しています。しかし、実際、彼らの人生で何か問題があるときに「どうしよー。神様ー。」と、泣いていたり、また、神様から何か導きがあったときに「え?どうすればいい?」と慌てたりする人がいます。 どうして、信仰を知ってると言っているのにそうなるのでしょうか。 それは、本当に信仰を理解していないからです。なぜなら、信仰には行動が必ず伴うからです。 ヤコブ 2:17 それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。 信仰に行動がなかったら無意味なんです。なので、頭で理解するだけでは信仰になっていません。多くの人は行動するのに萎縮してしまうんです。 創世記12:1-4: “主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。” ここで主はアブラムに自分が命じるところに行きなさいと言いました。これは、日帰り旅行とかではなく、故郷と家族をおいて出て行くことをいいました。 もし、あなたがある日、神様にこう言われたらどうしますか? 「え?無理。仕事とか、住むところどうするの?」と思いますか?「知らないところに行くのは怖いです。」とビクビクしますか? では、アブラムはどうでしたか? 「アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。」 彼は2度考えることなく、出ていきました。しかも75歳でした。しかし、決して「75歳で体力ないし、無理です。休みたい。寝たい」とはいいませんでした。 神様に従ったとき、全ての備えがあると信じて疑わず、そしてそれを行動に移しました。 これが信仰です。 「神様!信じます!」と言ってもそれに対して何も行動しないと、信仰の途中のステップに止まってしまっています。 […]

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The meaning of being Christian
September 6, 2023September 4, 2023

The meaning of being Christian

たみえ Tamie

Let’s read the following Bible verses: John 1:12 – “Yet to all who did receive him, to those who believed […]

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