癒しが神様の御心だと知っていますか。私たちがその知識がない限り、私たちは病から自由になることはできません。聖書ではこのように書かれています。 ヨハネ8:32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」 私たちが聖書のことを知る時、私たちは自由になります。イエスがこの地での行いを知る必要があります。 第1ペテロ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。 イザヤ書53:4、5 4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 イエスは十字架で私たちの病を負いました。それは私たちが病気で苦しまないためでした。「私はいつか癒しを受けるんだ」と、思っているかもしれません。しかし、聖書では「イエスの打ち傷によって、私たちはいやされた。」と書かれています。これから癒されます。と書かれていません。癒されたと書かれています。過去形です。もう既に癒されているのです!私たちはその聖書が書かれている通りに信じることを選ぶ必要があります。聖書は癒しを保証しています。 イエスは、神様の御心を行うためにこの地に来られました。 彼は神様の現れでした。 ルカ5:12-14には、らい病の人について書かれています。 ルカ5:12-14 12 さて、イエスがある町におられたとき、全身ツァラアトの人がいた。イエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」13 イエスはてを伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに、そのツァラアトが消えた。 神様ができることを知っているかもしれません。しかし、多くの人にとって大きな問題は、神様が癒しを望んでいるかどうかです。らい病の質問に対してイエスは答えました:「私の御心だ」。 そしてその人は癒されました。 […]
あなたは誰?
あなたが誰かに『あなたは誰?』と聞かれた時にほとんどの人が必ず最初に言うのは、名前だと思います。 しかし、私たちが本当に誰であるかを理解するとき、決して私たちはいつもと同じことを言うことはありません。 あなたは、神様の働きであり、神様はあなたを彼のかたちに創造しました。 あなたのアイデンティティは、仕事や外見にはありません!! 神様は、あなたがどんな人であろうとあなたのことを愛しておられます!!❤️🔥 聖書があなたについて言っていること 神様の働きである! 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 (創世記 1:27 口語訳) ・神様に愛された! わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。 (ヨハネの第一の手紙 4:10 口語訳) ・神様に知られている! 主よ、あなたはわたしを探り、 わたしを知りつくされました。あなたはわがすわるをも、立つをも知り、 遠くからわが思いをわきまえられます。 […]
神様の恵み
あなたは、普段「恵み」という言葉を耳にしますか。 大地の恵み、自然の恵みという形で使うと思います。 あなたにとって「恵み」とは何でしょうか。 お金や物ががあることですか? そもそも「恵み」が何か考えたことがない人もいるかもしれません。今日は聖書で「恵み」とは何かを見て行きたいと思います。 聖書に出てくる人でパウロという人がいます。彼はエペソの手紙で「恵み」という言葉を使って福音とは何かを説明している人です。エペソでは合計13回も「恵み」という言葉を使っています。ここで、全ての聖書箇所は載せませんが、このブログを読んだ後に、エペソの手紙を読むことをおすすめしたいです。 エペソ人への手紙1:5‐8 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。 6それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。7私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。 8神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって… この聖書箇所で見ることができるのは、まず「神様が私たちに恵みを与えてくれた」ことです。これは、私たちが何かをしたからではなく、私たちは神様の子どもだからです。 また、「恵みによって罪の赦しを受けた」ことも7節で見ることができます。罪とは、神に背を向けることです。その状態にいた私たちでも、神様はイエスキリストが十字架で流した血により、和解することができ、赦されたという意味です。 そして、8節「この恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもっている」と書かれていますが、私たちは神様と和解したことにより、「知恵と思慮」を与えてくれたということが解ります。 1章を見ただけでも、素晴らしいことを神様がイエスキリストを通して行ってくれたことが解ります。 エペソ人への手紙2:5,7-8 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―― 7それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。 8あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 2章の最初で、私たちは罪深い人であったことが記されています。しかし、続けて読むと、イエスキリストによって(彼を信じることによって)私たちは救われ、生きることができることが理解できます。「恵み」によって私たちは神様とともにいることができます。それだけ私たちは愛されています。 エペソ人への手紙3:7‐9 私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。8すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、9また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。 […]
あなたはどのようにプレッシャーに耐えていますか?
バスケットボールのファンであれば、プレッシャーディフェンスのことはよく知っていると思います。このような戦術は、試合場で起こっているすべてのことに驚くほどの強度をもたらします。バスケットボールに詳しくない方のために少しご説明します。「プレッシャー・ディフェンス」は、現代の人々の生活で起こることを表す強力な例えだと思うからです。 バスケットボールでは、一方のチームが得点すると、もう一方のチームがボールを奪い、コートの反対側にパスして、同じように得点を狙います。通常、ディフェンスは走って、ゴールを守るために再びポジションを取ります。ハーフコートラインを越えるまではボールにプレッシャーをかけず、それでも攻撃するチームが得点圏に到達するまではプレッシャーはそれほど強くはありません。 ディフェンスチームが、プレッシャーディフェンスを使うと、すべてが違ってきます。ディフェンスの目的は、単に相手チームの得点を阻止することではなく、相手がボールを持てなくなるほどのプレッシャーをかけることです。もし、攻撃する人がボールを奪った場合は、ボールを持った選手をトラップして、ボールを前に出せないようにしつこく守るという戦略です。ディフェンスは、ボールに大きなプレッシャーをかけて、相手チームがコントロールを失い、ボールを渡してしまうことを期待しています。 コーチは通常、相手チームの勢いを断ち切るために、あるいは相手チームのリズムを完全に崩すために、チームにプレッシャーディフェンスをさせます。プレッシャーディフェンスの目的の一つは、相手チームを苛立たせ、混乱させることです。これは非常に疲れるディフェンスなので、通常は戦略的な場面でのみ使われ、ゲームが進むにつれて、相手チームを不安定にしてリードを奪い返すための最後の手段として使われます。 では、プレッシャーディフェンスは、現代の私たちの生活にどのように関わってくるのでしょうか。今の教会ではどうでしょうか。サタンは自分の時間が短いことを知っていて、それが最近世界で増えている騒動や狂気の要因になっているということはないでしょうか。ヨハネの黙示録12章12節には、興味深い記述があります。 それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。 終末論的な暦の中で、今がその時期だとは言いませんが、今年起きた最近の出来事は、人々や教会に大きなプレッシャーを与えており、勢いやリズムが乱れている人がいるのは確かです。バスケットボールでは、このようなプレッシャーに対応し、プレッシャーの中でも冷静さを失わないことが大切です。人生やミニストリーでも同じことが言えます。 ペテロとプレッシャー 私がここで強調したいのは、このようなプレッシャーがクリスチャンにかかってきたのは、決して今回が初めてではないということです。実際、イエスはペテロが経験するであろう差し迫ったプレッシャーについて警告しました。 ルか 22:31-32 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。 私たちは、ペテロがプレッシャーにうまく対応できなかったことを知っています。彼はそのプレッシャーで完全に倒れてしまいました。イエスは、ペテロが最初は滅びることを知っていましたが、ペテロが回復して軌道に乗ることも知っていました。 ふるいにかけるというのは、もみ殻をほぐして、穀物から分離することです。この工程には、通常、多少の揺さぶりや叩きが伴います。サタンはペテロと弟子たちを清めるのではなく、滅ぼそうとしていました。しかし、イエスと神の恵みがすべてを変えました。サタンの圧力による防御という最初の挫折を味わったペテロは、(a)悔い改め、(b)再びイエス様に立ち返り、(c)兄弟を強める、という3つのことを行いました。 イエスとプレッシャー 聖書に書かれているもう一つのプレッシャーは、ゲッセマネで起きた圧力です。ゲッセマネの名前には、「油搾り」という意味があります。文字通り、この庭にあった圧搾機でオリーブが絞られており、イエスが十字架にかかる前に祈りを捧げるのに適した場所でした。イエスは十字架の上で、私たちに代わって圧を受けることを経験されましたが(「私たちの咎のために砕かれた」イザヤ53:5)ゲッセマネでも、やがて経験するであろう圧の重さをより強く感じ始めていました。 この「油搾り」の場所で、イエスは悲しみや精神的苦痛を示すようになり、深く落ち込んでいた。そして、弟子たちに言った。「私の魂は悲しみのあまり死ぬほどです」(マタイ26:37-38)。イエス様は、重圧の中でも耐え忍び、「自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(ヘブル12:2)イエスは、確かにプレッシャーを感じていましたが、それが原因で焦点を外すことはありませんでした。 パウロとプレッシャー 信仰、平和、神の武具について私たちに多くのことを教えてくれた人は、その宣教活動の過程で大変なプレッシャーを受けました。 彼はこのように書いています。 […]
How Are You Handling the Full Court Press?
If you are a basketball fan, you know exactly what a full court press is. It brings a noticeable intensity […]
The Father cares about you deeply
Today as I woke up early in the morning to go about with a busy schedule ahead I was greeted […]
種蒔きの法則
あなたは種を植えた経験がありますか。おそらく学校で教わったのではないかと思います。子供のころ、私は豆の種を巻いたことがあります。一週間未満で伸びた種の芽を見て私はとても興奮した思い出があります。もちろん当時も都市化しつつでしたが、現在の子供は、ますます農業の知識から離れていると思います。ですが、私たちは種蒔きの法則から離れることは不可能です。多くの人は意識していないだけで、人間は日々種蒔きの法則の下で生きています。ただ単に気づいていないのは、種の種類が多くあるということです。 創世記 8:22 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。 種蒔きの法則を定めたのは神様自身です。つまり、地の続く限り、種蒔きと刈り入れはやむことはないと定められています。なので、何かを刈り取りたいなら、まず種を蒔く必要があります。当然、何も蒔いていないなら、何も刈り取れません。 そして、もう一つ興味深いことがあります。農業者は、りんごの種を蒔いて、葡萄を刈り取ると期待をしません。りんごの種を蒔いたなら、当たり前にりんごを刈り取ることを期待するでしょう。また、種の種類によりますが、一個の種を蒔いて、何倍かの実を刈り取ることは普通です。とうもろこしの種の例を挙げると、一個種が十個以上のとうもろこしを刈り取れます。それに、一個のとうもろこしに何十個の種があります。それを考えると不思議と思わないでしょうか。 ここまで、農業を考えて、いくつかの例を挙げましたが、種は物質的の物だけではありません。霊的な種もあります。霊の上で、種を蒔いて刈り取ることもあります。なので、聖書でよく種蒔きの教えが示されています。イエスキリストもよく種蒔きの法則をもって教えをしました。 今回はあまりに細かく種について語るつもりはないので、簡単に言うと、言葉や行動やお金などが種として見なしても問題ありません。例えば、よく教会で引用されるIIコリント9:6をもってパウロはお金を種蒔きの法則に当てはまった献金の教えをしました。 2コリント 9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。 それを読んで、なぜ多くのクリスチャンんは経済的に苦しんでいるか分かると思います。種蒔きの法則に当てはまるお金を蒔いていないからです。種を蒔く代わりに、種を食べてしまっているので、結局、経済的に何も刈り取っていませんし、いつも支援を必要とされています。実際に、聖書は経済に当てはまる種蒔きの法則の教えが多いです。ただ、明白に「種蒔きの法則です!」と記載されていませんが、種蒔きの法則です。例えば、箴言にもよく見られます。 箴言 11:24-25 新改訳聖書 ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。 箴言 11:24 リビングバイブル 惜しげなく人に施しても、ますます金持ちになる人もあれば、財布のひもを固く締めても、一文無しになる人もいます。物惜しみしない人が裕福になります。人を潤すことで、自分も潤うのです。 (ちなみに、上に二つの聖書バージョンを出しました。私はよく利用する新改訳聖書とリビングバイブルです。両方にも同じことが書いてありますが、リビングバイブルの方が理解しやすいので、リビングバイブル版を挙げました。一方で、新改訳聖書版の方が原本に近いので、聖書の勉強のためによく利用します。しかし、理解がしづらい場合、リビングバイブルのように理解しやすいバージョンを読むのもありだと思います。とにかく、クリスチャンになったばかりの方は最初、リビングバイブルを読んだ方が良いのではないかと思います。) 箴言11章24,25節を読むと、そこは第2コリント9章6節の種蒔きの法則と同じ教えだと気づくと思います。 […]
成功する
「成功する」大学に入った今、よく耳にする言葉となっています。ビジネスで成功する、スポーツで成功する、人生で成功するなど大変よく耳にします。さて、「成功」とは!?ってなりませんか?成功の定義は何なのか?成功するにはどうしたら良いのか?クリスチャンにとっての成功とはどんな事なのか?というような様々な疑問が湧きます。これらの質問に対する答えはあるのか?「成功とは失敗から失敗へと情熱を失う事なしに渡り歩む事である。」イギリスの元首相、戦争英雄 ウインストン・チャーチルの名言私が最初にこの名言読んだ時に思ったことは、成功と失敗って同じ文章に使えるか?でした。成功に失敗はない、もちろん『失敗から学べ』の表現は何回も耳にしたことがあります。しかし、自分はその言葉は嘘だと言わないが、達成するには大変難しいと思っています。文字が発明された時代から、人間の失敗は記録されてきました。現代ではインターネットに何かを投稿すると、永遠に消えないものとなります。周りの人はあなとの失敗を言いつけます。あなたの家族、友人、または、仕事の同僚などはあなたが犯した失敗を覚えています。そこで終わるかもしれないが、このような事は決して嬉しい事とは言えません。。。だが、実際は最もあなたの失敗を覚えているのはあなた自身なのです。失敗から学ぶどころか逆に泥沼に嵌められる事になってしまうのです。この泥沼から立ち上がって飛び跳ねることこそが成功するという事なのです。残念ながらクリスチャンの多くには罪の意識がまだ強く残っています。自分はまだ罪人だと思っているのです。イエスを救い主として告白した者が救われ、また、義人とされた事を把握する事はとても重要なことである。私はダビデがとても好きです。彼について考えたことはありますか?イスラエルの最も有名な王様、巨人ゴリアテを倒した男です。そんな彼には信じられないほどの重罪を犯しました。そして父親としても何回も大きな失敗をしました。それでも私たちは彼を尊敬し、また目標にもしているのです。なぜでしょう?彼には、『跳ねる力』がありました。神の赦しを求め、そして自分を許したからです。神から愛されて、また義人とされたことを頭だけではなく心に入れるようにしましょう。あなたの成功を最も願っている方は神様なのです。
Saved to be good or good to be saved?
I was born in a family that always honored hard work. I was always taught that I needed to work […]
可能性を広げる
自分は「標準以下」と考えてしまったことがありますか? 私はあります。 「自分の能力を超えているから無理だ」「自分には到底及ばないものだ」と自ら自分の限界を決めてしまい、前に進めれない状況でした。 「自分には価値がない」という思いがだんだんエスカレートしていくと「自分なんて」という卑下に変わっていきます。 それとは別に、 自分自身も気づかないうちに、自ら自分の限界を決めてしまっている人もいると思います。 自分が抱えている問題を、家庭環境のせいだから、住んでる場所のせいだからと、周りの状況のせいにしていませんか? 本当はただ自分でも自覚しないまま、自分の可能性を自ら抑え込んでしまっているかもしれません。 しかし主は、私たちが可能性を制限することを望んでいないです。 むしろその反対で、もっと前へ進め!と言ってるのです。 私が自分の可能性を広げることができたのは、 御言葉が私に語ってることを理解し、信じ、宣言して、行動にうつしたからです。 この4つのことを私たちはすべきです。 御言葉を受け取る。 御言葉を信じる。 御言葉を宣言する。 御言葉によって行動する。 これらのことをすることで、神様は絶大な力を与えてくれ、自身の可能性をもっともっと広げられることができるのです。 もっと簡単に言うと、 例えば、私に目標があるとします。(実際に目標はあります。) […]