会社で働いたことがある人なら5Sという言葉を一度は耳にしたことがあると思います。職場環境の維持、整理整頓を皆で協力をしながら行い、また問題点を改善するという意味が込められています。 その5Sとは、整理、整頓、清掃、清潔、しつけです。無駄をなくし、どれだけ効率よく仕事ができるかに重点を置いています。 この5Sは大切なことですが、私たちの人生にはもっと重要な5Sがあることをご存知ですか。もちろん他にも大切なことはまだまだありますが、今日はSにかけて、Sから始まる大切なことをお話ししていきたいと思います。 ① 救い クリスチャン人生を始めるために誰もが必要で通るべき道です。神様に背いた人生を歩んだ結果として罪が入り、その溝のせいで神様と関係を持つことができなくなってしまいました。しかし、イエスが人間と神様の橋渡しとなるためにやってきて、救いを与えてくれています。イエスを受け入れ、救いを受け入れる時、私たちはお父さんである神様と交わりを持ち、彼から来る祝福を受け取り、神の子供となることができます。 ヨハネの福音書 14:6「イエスは言われました。「いいですか。わたしが道です。そして真理でもあり、いのちでもあります。わたしを通らなければ、だれ一人、父のところへは行けません。」 ヨハネの福音書 1:12「しかし、彼(キリスト)を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」 ② 聖霊 イエスキリストを受け入れる時、私たちの中に聖霊が宿ってくださいました。イエスが天に行く時、それを拒んだ弟子たちに彼は、このように言われました。 ヨハネの福音書 14:16-17「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。」 ここで見ることができるように、イエスは彼と同じ性質を持った助け手を送ってくれました。それだけでなく、彼はいつも私たちの中にいて、導いてくれます。聖霊は真理であるので、私たちがどうすればいいかわからない時いつも彼に頼ることができます。 ③ 信仰 […]
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2つのタイプの人
ヨハネ3:5,6 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。 イエスキリストは天の御国にアクセスできるように、秘訣を教えてくださいました。それは生まれ変わるということです。 「生まれ変わり」という言葉を初めて聞くと、どういうことなのか、様々なことを考えると思います。 イエスキリストと話していた宗教家のニコデモさえも、「生まれ変わり」が何のことなのかはっきり分かりませんでした。 しかし、イエスキリストの説明を通して大切な啓示を掴むことができます。 その啓示とは肉によって生まれた人と御霊によって生まれた人の2つのタイプの人がいることでした。その二つの違いを理解することで、聖書の解釈だけではなく、私たちの人生様式にも変化をもたらします。 まず、肉によって生まれた人は、永遠の命を得ていない、自然の人のことを指しています。別に、ある宗教に属しているからと言って、永遠の命を持っているわけではありません。それは肉によって生まれる人は普通の人で、霊的なことが理解ができないからです。 Iコリント2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。 また、肉によって生まれた人は自分の視覚が行く範囲まで、または、自分の持っている知識の限りまで、生きようとしています。もし、あることが自分の知識の範囲を超える場合はそれを信じないようにします。だからといって、全てを理解しているわけではありません。ただ、そういう人は感覚によって生きるのです。なので、自分が肉体上で体験したことであり、感覚で確かめることができれば、信じることにしています。 しかし、御霊によって生まれた人は神様の命をもち、霊によって生きます。なので、霊的な人は霊的なことを理解することができます。 Iコリント2:12 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。 ニコデモは宗教家だったにもかかわらず、霊的なことを理解することができませんでした。それは自分がまだ御霊によって生まれていなかったためです。 ヨハネ3:4,9-10 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」…ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。 同じように、現在も教会の中で、教会に通っているが、まだ御霊によって生まれ変わっていない人がいます。例えば、自分は、牧師の息子なので、生まれてからいつも教会に通い、教会で育てられたが、心からイエス様を主として告白していないため、まだ御霊によって生まれ変わっていない人もいます。その人達は、教会の活動に参加して、また、教会の人たちのように、クリスチャンらしい話し方をしても、霊的なことは深く理解できないし、神様と真の関係を持っていないのです。牧師の息子であり、教会で育てられたため、御霊によって生まれたと勘違いし、だまされています。 御霊によって生まれた人と肉によって生まれた人との生活様式の大きな違いは信仰です。肉によって生まれた人は、上に挙げたように、感覚によって生きるのです。しかし、御霊によって生まれた人は信仰によって生きるのです。 IIコリント5:7 […]
神様が愛する人に準備してくれたもの
1コリ 2:9 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」 あなたの好きな聖書箇所は何でしょうか。多くの人は第一コリント2章9節が好きだと答えるかもしれません。その聖書箇所をもって作曲された賛美もたくさんあります。私がニュークリスチャンの頃、それをよく聞き、「素晴らしいな」と思って、神様は偉大な方と実感していました。素晴らしいと思いませんか。神様は愛する人のためになんて素敵なことを準備してくれたのでしょうか。神様は偉大で完全に良いお方なので、私たちのために備えてくれたことは必ず最高なものと確信しています。 ところが、その聖書箇所には問題があります。決して聖書箇所自体が間違っているわけではなく、多くの信者は9節ばかりを引用し、その前後の箇所で言っていることを注意していないからです。もちろん、このブログでは第一コリント2章全体、そして、第一コリントの背景について全ては語り切れません。2章だけでも大切なことがたくさんあり、それについて本を書くこともできると思います。しかし、今回は9節をもってあることを気づいてほしいと思います。 第一コリント2章7,8節によると、隠された奥義や神の知恵などが語られてます。正直にいうと、多くの人はそれを理解しないため、その部分を無視してしまっているのだと思います。しかし、今回は9節をさらに深く理解するために第一コリント2章全体を読むことを強くお薦めします。 1コリ 2:7-8 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。 その聖書箇所に出てくる「支配者」は悪魔と悪霊のことを指しています。もし、彼らがイエスキリストの死と復活の結果を知っていれば、イエスキリストを十字架にかけていなかったはずです。なぜなら、主イエスのいけにえのおかげで、今イエスキリストだけでなく、生まれ変わりを通してイエスキリストを信じる人も同じ聖霊を宿るようになり、聖霊の宿る宮になったからです。 要するに、悪魔は以前イエスキリストだけと立ち向かおうとしていましたが、今はキリストにあって数えきれない程の多くの生まれ変わった人たちと立ち向かわなければならなくなったということです。サタンはどれほど後悔しているでしょう。 使徒パウロが言った「隠された奥義」というのは教会のことです。誰もキリストの体である教会が現れることを予想していませんでした。旧約聖書の中で、教会のことについてのはっきりした預言もありませんでした。預言者たちにとっても奥義でした。神様はわざと誰にも自分があらかじめ定めたものを教えていませんでした。それは誰も神様の計画を妨害することがないためでした。神様はご自身と同じ性質を持ち、聖霊が宿る新しい人間を造ったということです。表面的に見ると、クリスチャンはこの世の人たちと変わりがないように見えますが、内面的に見れば大きな変化が起こりました。その人たちの性質が変わっただけではなく、イエスキリストと同様に聖霊の力も宿るようになりました。 では、今、とても深くて啓示のあることをお教えしたいと思います。9節の次に10節が来ることを知っていましたか。別にあなたをからかっているつもりはありませんが、多くのクリスチャンは9節ばかりに焦点を当て、感情的になり、その次に来る10節が見えなくなっています。 1コリ 2:10 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。 ゆっくり読みましたか。9節に語られている、神様が私たちのために準備してくれたことは、聖霊によって私たちに啓示されたと10節に書いてあります。「啓示された」が過去形であることに注意してほしいです。つまり、これから啓示されるのではなく、御霊によって既に啓示されたとパウロは教えています。これは本当に素晴らしいことだと思います。様々な人はまだ啓示されると思っていますが、私たちには実際に悟らせています。なぜそれは大切なのかというと、私たちは聖霊の交わりを通して神様を深く知ることができるのに、9節ばかりに焦点を当てているばかり、10節に教えられている神様との深い関係を無視してしまっています。”御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです”。私たちは御霊によって神様の奥義を啓示されています。 もし第一コリント2章10節から読めばどれほど深くて強い交わりを私たちは神様とできるかが分かるでしょう。 1コリ 2:11-12 […]