2つのタイプの人

ヨハネ3:5,6

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

イエスキリストは天の御国にアクセスできるように、秘訣を教えてくださいました。それは生まれ変わるということです。

「生まれ変わり」という言葉を初めて聞くと、どういうことなのか、様々なことを考えると思います。

イエスキリストと話していた宗教家のニコデモさえも、「生まれ変わり」が何のことなのかはっきり分かりませんでした。

しかし、イエスキリストの説明を通して大切な啓示を掴むことができます。

その啓示とは肉によって生まれた人と御霊によって生まれた人の2つのタイプの人がいることでした。その二つの違いを理解することで、聖書の解釈だけではなく、私たちの人生様式にも変化をもたらします。

まず、肉によって生まれた人は、永遠の命を得ていない、自然の人のことを指しています。別に、ある宗教に属しているからと言って、永遠の命を持っているわけではありません。それは肉によって生まれる人は普通の人で、霊的なことが理解ができないからです。

Iコリント2:14

生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。

また、肉によって生まれた人は自分の視覚が行く範囲まで、または、自分の持っている知識の限りまで、生きようとしています。もし、あることが自分の知識の範囲を超える場合はそれを信じないようにします。だからといって、全てを理解しているわけではありません。ただ、そういう人は感覚によって生きるのです。なので、自分が肉体上で体験したことであり、感覚で確かめることができれば、信じることにしています。

しかし、御霊によって生まれた人は神様の命をもち、霊によって生きます。なので、霊的な人は霊的なことを理解することができます。

Iコリント2:12

ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。

ニコデモは宗教家だったにもかかわらず、霊的なことを理解することができませんでした。それは自分がまだ御霊によって生まれていなかったためです。

ヨハネ3:4,9-10

ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」…ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。

同じように、現在も教会の中で、教会に通っているが、まだ御霊によって生まれ変わっていない人がいます。例えば、自分は、牧師の息子なので、生まれてからいつも教会に通い、教会で育てられたが、心からイエス様を主として告白していないため、まだ御霊によって生まれ変わっていない人もいます。その人達は、教会の活動に参加して、また、教会の人たちのように、クリスチャンらしい話し方をしても、霊的なことは深く理解できないし、神様と真の関係を持っていないのです。牧師の息子であり、教会で育てられたため、御霊によって生まれたと勘違いし、だまされています。

御霊によって生まれた人と肉によって生まれた人との生活様式の大きな違いは信仰です。肉によって生まれた人は、上に挙げたように、感覚によって生きるのです。しかし、御霊によって生まれた人は信仰によって生きるのです。

IIコリント5:7

確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。

へブル11:1

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

信仰によって生きる人は、感覚の上で生きないようにします。自分には何も見えなくても、また、周りの状況が信じていることと全く異なっていても、信仰によって神様の御言葉を信じると決心しています。そればかりか、信仰で生きる人は、自分の信じている現実と違う状況であっても、自分が信じていることを宣言し、信仰によってその状況に変化をもたらします。なぜなら、信仰は無を有に呼ぶからです。

ローマ4:17

このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。

ところが、御霊によって生まれて、肉によって生まれた人のように生きているクリスチャンもいます。それはなぜなのか、パウロが教えています。

Iコリント2:1-3

さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

つまり、キリストにあって生まれ変わったにもかかわらず、霊的に成長せず、この世の人たちのように振る舞っているクリスチャンは神様の言葉を信じていないため、学んだことを実践しません。結局、肉体の欲望を満足しようとし、神様の愛を表していないのです。

へブル5:11-14

この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。

最後に、この記事で深く励ましたいのは、まず自分自身の生まれ変わりの体験を確かめることです。それは教会に通うことだけではなく、本当にイエスキリストが自分の主であることを確認することです。ローマ10:9,10を実践すれば救われると聖書が教えています。

救いはただ信仰によってイエスキリストを受け取り、イエスキリストが自分の人生の主権だと告白するだけです。また、次に深く勧めたいのは、クリスチャンとして御霊によって生まれた人のように生きることを決心することです。それは御言葉を日常の中で思い巡らし、学んだことを信じ実践することです。行動に伴わない信仰は死んでいるとヤコブが教えているからです(ヤコブ2:26)なので、御言葉を実践することによって私たちは、本当にそれを信じていると表すことができる上に、霊的にも成長することができます。へブル5章を引用したように、成長したクリスチャンが悪と善を見分けることができるのは御言葉を実践しているからです。