東京いのちの言葉教会では、先日「山を動かす信仰」というシリーズを終了しました。 私は、信仰について勉強し、理解するのは、クリスチャンにとって欠かせないものだと思います。残念ながら、多くの教会であまり信仰について教えられていないか、もしくは、定義のみが教えられていると感じます。しかし、聖書が教える信仰はクリスチャンのライフスタイルであり、信仰がなくては神様に喜ばれないと書いてあります。(へブル11:6) ローマ 1:17 「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。 へブル10:38 わたしの義人は信仰によって生きる。 ガラテヤ 3:11 「義人は信仰によって生きる」のだからです。 信仰はクリスチャンのライフスタイルであるなら、私達は信仰の土台を正しく知る必要がある上に、信仰を実践する必要があります。なぜなら、ただ自分が信仰を持っていると主張するだけで、行動が伴わないなら、あなたの信仰が無駄になるからです。 ヤコブ 2:17 このように、信仰に行いが伴わなければ、その信仰は死んだも同然です。 なので、まず私達の教会のYouTubeチャンネルにアクセスし、「山を動かす信仰」のシリーズのメッセージを確認することを深くおすすめします。 今回、あなたに注目してほしい点は、信仰が私達の口にする言葉と直接関連していることです。私達が言うことは、全て信仰か不信仰かに関わっています。それを理解するためにこちらの聖書箇所をご確認ください。 マルコ 11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 ローマ […]
Tag: 信仰
信仰と医療
質問:ある病気と診断され、その治療薬を服用していました。最近、神の癒しを学んでいました。私はこの話を聞いてとても勇気づけられ、私の癒しを神に信頼しています。私が持っている疑問は飲んでいる薬に関係があります。信仰の行動として薬を中止したほうがいいのでしょうか?薬を飲むことは、私の信仰と矛盾しているのでしょうか?この点についてどうしたらいいのか、少し迷っています。 回答:とてもいい内容の質問ですね。このような問題に対して、多くの人が疑問を持ち、迷っています。どんな問題でも、人はどちらかに極端に傾く傾向があるようです。それは、道路の両側にある溝に車を入れないようにするのが難しいドライバーのようなものです。 信仰と医療について、ある人達は「神はもはや癒してくれない」「癒してくれるとしてもごくまれだ」と教えます。彼らは、奇跡の時代は終わったと言います。また、他の人はその逆で、神は今も癒してくれるだけでなく、クリスチャンが癒しを求めて医者に相談したり、薬を飲んだりすることは罪であると主張する人もいます。 最初の教えの問題点は明白です。それは、イエスキリストが昨日も今日も永遠に同じであるという聖書の真理を無視しています(ヘブル13:8)聖書は、神の力が歴史の中のある時に追いやられたとは教えていません。私たちは、約2000年前に生き、癒したイエスに仕えています。イエスがすばらしい業を行うために油を注がれた聖霊を私たちも持っています。主の慈しみと憐れみは変わらず、御言葉も変わりません。 2つ目の極面の危険性も明らかです。クリスチャンが病院や医療を利用することに反対の説教をする人々によって、人々に多くの害がもたらされ、キリストの体に多くの批難がもたらされたのです。このようなやり方によって、無駄に苦しんだり、死んだりした人たちの記事が、この数年、マスコミに溢れかえっています。 宗教上の理由で親が子供の医療を拒否するという痛ましいケースもあります。公の場を超えて、不必要な苦痛や死が発生しています。また、この誤ったイデオロギーを広める人々によって、罪悪感や恥ずかしさ、非難を浴びせられ、精神的にも苦しんでいる人が大勢います。 残念なことに、医学と信仰を敵対視するような言い方をする人がいます。この2つの力は、矛盾するものではなく、補い合うものであると考えるべきです。結局のところ、あなたの信仰も医療も、あなたの癒しと健康で完全であることという同じゴールを目指しているのです。私の考えは、医療と信仰は統合され、補い合うことができるということです。それらは敵対するものである必要はなく、また互いに孤立する必要もありません。 この問題をご自身の考えで解決するために、次のことを検討してみてください。 1. ルカによる福音書10章30-37節で、イエス様は、私たちが “良きサマリア人 “と呼ぶ人物の話をされました。この物語でサマリア人は、殴られ、大怪我をしている人に出会いました。彼は、その当時、最高の薬であった油とぶどう酒でその人の傷を治療し、包帯を巻きました。さらに、男性が怪我から回復するまでの時間を確保するようにしました。イエスはこの男の慈悲深い態度を褒め称え、それは真似するに値すると言われました。ここでわかるのは、イエスは必要な時に薬を使うことに反対はしていなかったということです。 2. ルカは医者で、パウロとともに旅をし、自分の名がついている福音書や使徒言行録を書きました。実際、パウロはルカを「愛する医者」(コロサイ4:14)と呼んでいる。パウロが鞭打ち、殴打、投獄などの虐待を受けたとき、ルカはパウロに軟膏をぬり、包帯を巻くなど傷の手当てをしていたと考えるのが妥当でしょう。パウロが彼を「愛すべき」医師と呼んだのは、このためだったかもしれません。 3. […]
神に目を向ける
暗殺、戦争、疫病、恐慌。 まるで教科書の世界を生きているような現代と世間は言いますが、 あなたの希望はどこにありますか? 聖書は希望の本です。 長年の経験から、躊躇無く言えます。 真っ暗だった私の人生、どこに向かっているのか、何を探しているのか。 道を見失って霧の中を彷徨いながら、歩いているかのような人生だった私が、 数ある本の中で、希望を与え、人生を変え、 そして信仰とはどんなものかを教えてくれた、素晴らしい本に出会えることができたのです。 まず私たちの人生において大切なのは、 信仰によって歩むことです。 ヘブル人への手紙には、信仰は望んでいることが必ず叶えられるという確信で、その望んでいることが必ず待っていると信じて疑わないことだと言っています。 「本当にそんなことできるの」「無理なんじゃない」と疑いがあるときは、 信仰をもって行動をしていないことになってしまうのです。 信仰を働かせるには、なにかを期待する必要があります。 神様からなにも期待しないと、神様からなにも得られません。 私たちは神様を信じ、そして彼が誰なのかを知る必要があります。 神を知ることができる唯一の方法はイエスキリストを見ることです。 聖書には、イエスキリストが行った素晴らしいことが多く書かれています。 イエス様の教えや行いで多くのことを学ぶことができ、私たちに勇気と希望を与えてくれます。 […]
効果的な祈り
私たちクリスチャンの人生は祈りの人生です。 効果的な祈りができます。ケネスヘーゲン氏の本の中で、彼は、祈りの人生の中で祈りを受け取ったと書かれています。 イエス様がこの地にいる時に、彼は12人弟子と一緒に3年半行動を共にしていました。弟子達は常にイエスの人生を見ていました。 聖書ではこのように書かれています。 ルカ11:1 さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」 弟子たちはイエスに祈り方を教えてくださいと聞きました。 それはなぜかというと、イエスの祈りは全て答えられて、結果をもたらしていたからです。あなたの人生で祈ったことが起こることをどれだけ期待していますか? 私たちが効果的な祈りを得るための最初のポイント ① 私たちの祈りは聖書に基づいているべきです。 私たちの祈りが聖書に基づいているとき、聖書に書いてあることを祈る時、私たちの祈りの答えを早く受け取ることができます。 聖書に基づいて祈ることはどういうことでしょう?聖書を自分の祈りの土台の基礎にすることです。もしあなたに癒しが必要なら、御言葉に書いてある癒しを読み、その聖書箇所に基づいて祈ります。 もし経済的な繁栄が必要なら、そのことについて書かれてる御言葉を読み、それに基づいて祈って下さい。 しかし、神様は私たちの絶望的な祈りには答えることはできません。神様はただ泣いている状態の祈りに答えません。神様は御言葉を土台としている祈りに答えられます。あなたがどんな状況にいたとしても、暗闇にいて、もう自分では限界だとしても、あなたが御言葉にそって祈る時、あなたは神様が答えてくださるための道を作っています。不可能であったことが可能になる道を作っています。神様には全てが可能です。ケネスヘーゲン氏の人生を見てみましょう。彼は15歳の時に難病の病気で寝たきりの状態となり、普通の生活が出来ませんでした。しかし彼は神様の癒しを受け取ることが出来ました。彼はどうして癒しを受け取ることができたのでしょうか?彼はマルコ11:23、24節を16ヶ月もの間この二箇所を思い巡らしていました。 マルコ11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 これは彼の証ですが、私はこの証が好きです。彼の状況は最悪でした。暗い状態 世間からは何も得ることは出来ませんでした。その状況の中でも彼は神様の御言葉にある力を見つけました。効果的な祈りの方法は神様の御言葉を土台として祈ることでした。 […]
信仰の使い方
一つ目に皆さんにゲットして欲しいことは。 信仰は希望ではないということ。 希望は何かが起きるのを待つ、望みが叶える期待、という不確実性がありますよね。 だが、信仰は違います。真逆です。 もう起きた、もう叶えたという確信しそのように行動するということです。 起きてなくても、持ってなくでも、見えなくてもです。 信仰は見えないものの確信でその確信は心から来るものです。 二つ目、皆さんにゲットして欲しいことは。 その信仰の使い方です。 簡単に言うと、「心で信じ、言葉を宣言して、行動する」です。 マルコの福音書11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 ここで心の中で疑わずと書いてありますよね。 最初のステップは心で信じること。 だから、心の中で疑わないでください、心で信じたからこそ、次のステップ言葉を宣言することが出来ます。 そうです、次のステップ言葉を宣言することです。 心で信じるだけじゃあ足りないんです。 それを世に示すかのように言葉にすること、言うということが重要です。 なぜかというと、信仰には声があるからです。 言わない=信じてないと一緒です。 […]
信仰は大きくできる!
自分に信仰がないと思ってる人が多いと思います。 ですが、信仰はイエスを受け入れた時に既にあります。 最初は小さい信仰ですがそれを大きくすることができます! そう、信仰は育てることができます。 筋肉は筋トレをすればするほど大きくなりますよね? それと同様に信仰を使えば使うほど大きく育っていきます。 些細なところで信仰を使って行きましょう! 気づいた時には信仰は大きく育っているはずです。 信仰をくださいと祈っても何も変わりません。 イエスを受け入れた時、一人一人の心の中に信仰の種が植えられました。 その小さな種を育てる役目は私たちにあります。 その小さな種を育てれば、大きな木になり実ができます。 その実こそが、今、求めている奇跡の実です。 イエスを受け入れた時にもう既に奇跡がおきてます。
化学反応
春が来て、暖かい日もやってきて、そのおかげで枯れていた木に実がみのり、美しい花がたくさん咲きはじめました!! 桜が満開となり、お花見をした方々もいるでしょう!! そして花びらが春の風に誘われるように桜が舞い散る光景も美しいですよね!! 日本の四季はそれぞれ美しく、それぞれの特別さがあり、素晴らしいです。そのすべては神様が造ったものです!! 実はそれも「化学反応」と表現します。化学というと、一番最初に頭に浮かぶイメージはラボにある沢山の難しい名前がついているものの事を思いますよね。実は理科や化学の授業で物質の名前を覚えるためにラップ曲を作った記憶がありますwww ですが、化学反応には沢山の種類があります。最近、よくこの言葉について考えています。私たちの周りには沢山の化学反応があります。 春が来ると恋の季節だという方もいますし、実は恋にも「恋の化学反応」という表現もあります。知っていますか?それは何かというと、心がドキドキしたり、いつも違う目線で物事を見たり、考えたりすることです。それが私たちの中に起きる「化学反応」です。 人と人が繋がりを持つこと、それが友情にしても、恋人にしても、交流にしても、その全てに変化が起きます。液体が固体に変化すると同じように、その人とつながることによって私たちは成長するか、成長しないかのどちらかとなります。自分が語る言葉さえも変化を生み出します。聖書はこう書いてあります。 「剣を持って刺すように、みだりに言葉を出す者がある、しかし知恵ある人の舌は人を癒す。」 箴言12章18節 その全てに対してある変化、反応が起きます。 「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」 ローマ10章9~10節 私達がイエスを主・救い主として受け入れたときには、外見が変わったわけではなく、内側から変化しました。私達は新しく造られた者となりました。 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」 第2コリント5章17節 神様の御言葉によって私達には沢山の変化をもたらします。 なぜなら、神の御言葉は生きておられ、力があるだからです(へブル4章12節) そして放たれた言葉は空しく帰ってこないし、命じた通りに果たされる。(イザヤ55章11節) 神の御言葉による変化は書いても書ききれませんwww なぜなら、父を知れば知るほど、沢山の変化が起きるからです。 今日はその中から7つの変化を書きたいと思います。 1つ目「新しく生まれ、救われること」 […]
信仰とは
聖書による信仰とは、へブル人への手紙 11:1 には、このように書いてあります。 ——— 信仰とはいったい何でしょう。それは、望んでいることが必ずかなえられるという確信です。また、何が起こるかわからない先にも、その望んでいることが必ず待っていると信じて疑わないことです。(JCB) 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 (新共同訳) 信仰とは、願い事が必ずかなえられるという、不動の確信のことだ。 また、どうやって起こるかわからない行く手にも、望みどおりのことが必ず待ち受けていると信じて、疑わないことである。(AB) さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。(口語訳) ——— 要するに、今はない、目に見えない、持ってないが、それがあると確信することです。 一番簡単に例えると神さまです。 神さまが存在しているかしてないかは、誰にも証明出来ないです。 しかし、私達クリスチャンはいると信じています。 信じてない人から見れば、変な話です。どうして信じるの?と思うかも知れません。 これこそが信仰です。確信です。 神さまが存在するという確信を持つことが信仰です。 普段でも信仰を使う場面があると思います。 信仰とは存在するという確信です。 […]
どうやって神様に約束されたものを得るのか。
新しい年が始まったので、新しいシーズンが始まりました。 「あなたは2021年に何を期待しているでしょうか。」おそらく何回かこういう質問をされたと思います。 もし、何も期待しないならそれは良くないと思います。もしかしたら先が見えていない状況なのではないかと思います。また、先が見えないなら、行くべき方向が分からにということです。先も方向も知らないと、どこへも行くことができません。しかし、あなたには神様の約束があります。もしかしたら、ただそれを知らないだけかもしれません。 まず、知っていただきたいのは、神様が神様の家族に属している人をみな導いてくださることです。 ロマ 8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。 イエスキリストを受け入れたあなたは、神様の子供です!それを信じて受け取ってください。過去の過ちがどうであろうと、イエスキリストを受け入れたあなたは、完全に赦され、霊の上で新しい人とされました。なので、あなたは神様に導いていただく権利を持っています。そればかりか、神様自身があなたを導いてあなたと親しく関わりたいのです。 詩 34:15 主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。 もし目標がなかったとしたら、あなたが神様に聞いて、神様から目標や目的が与えられること、そして、導かれた通りに前進するように励ましたいです。過去の自分を忘れて、キリストにあって新しくされた自分を信仰の目で見てください。 また、神様がこの2021年にあなたに大いなることをたくさんを約束していることを知っていただきたいです。あなたが今年成功できるように、神様はあなたに素晴らしいものや、自分がまだ知らなくても、これから必要とすることさえも、用意してくださっています。何と最高な神様でしょう!神様というより、彼は私たちにとって天のお父さんです。なので、いつも私たちのことを気にかけ、守り、たくさん備えたりしてくださっています。 しかし、多くの人が苦労しているのはどうやって神様に約束されたものを手に入れるか知らないからです。 現在教会でそれを解くために『FIGHT』というシリーズのメッセージを日曜日にしています。なので、その課題をさらに深く理解できるように青空礼拝の『FIGHT』のメッセージをYoutubeかFacebookで視聴することを強く薦めたいと思います。 神様が私たちに準備してくれたことを手に入れるために不可欠なことが一つあります。それは、あなたの信仰です。信仰は、神様のみことばに約束されている祝福を受け取る手段でもあります。なぜなら、信仰はそれよりはるかに深いことで、イエスキリストを受け入れた人のライフスタイルそのものだからです。なので、信仰について学ぶ必要もあり、信仰というのは成長させることができることを理解する必要があります。一つの例をあげると、マルコ5章25節から34節に12年間長血にわずらっていた女の実話が書いてあります。そこに、その女がどのように癒されたかが書かれています。まず、彼女はイエスキリストが誰でも癒されると聞いて、イエスキリストに触れることを決心しました。なぜならそのように癒しを受け取ると確信したからです。ところが、自分を触れて癒された女に対してイエスキリストはこう言いました。 マコ 5:34 そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」 興味深いと思うのは、彼女が癒しを手に入れるために必要だったのは彼女自身の信仰です。神様の力が既にイエスキリストにあったにも関わらず、その力を働かせたのは彼女の信仰でした。信仰さえあれば、神様に約束されたことを手に入れることができるということです。4つの福音書を細かく読めば、イエスキリストはいつも信仰の行動に対して、応えてくださったことが分かります。一方で、不信仰の態度に対して多くの場合、イエスキリストは怒りました。 […]
人生に必要な5S
会社で働いたことがある人なら5Sという言葉を一度は耳にしたことがあると思います。職場環境の維持、整理整頓を皆で協力をしながら行い、また問題点を改善するという意味が込められています。 その5Sとは、整理、整頓、清掃、清潔、しつけです。無駄をなくし、どれだけ効率よく仕事ができるかに重点を置いています。 この5Sは大切なことですが、私たちの人生にはもっと重要な5Sがあることをご存知ですか。もちろん他にも大切なことはまだまだありますが、今日はSにかけて、Sから始まる大切なことをお話ししていきたいと思います。 ① 救い クリスチャン人生を始めるために誰もが必要で通るべき道です。神様に背いた人生を歩んだ結果として罪が入り、その溝のせいで神様と関係を持つことができなくなってしまいました。しかし、イエスが人間と神様の橋渡しとなるためにやってきて、救いを与えてくれています。イエスを受け入れ、救いを受け入れる時、私たちはお父さんである神様と交わりを持ち、彼から来る祝福を受け取り、神の子供となることができます。 ヨハネの福音書 14:6「イエスは言われました。「いいですか。わたしが道です。そして真理でもあり、いのちでもあります。わたしを通らなければ、だれ一人、父のところへは行けません。」 ヨハネの福音書 1:12「しかし、彼(キリスト)を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」 ② 聖霊 イエスキリストを受け入れる時、私たちの中に聖霊が宿ってくださいました。イエスが天に行く時、それを拒んだ弟子たちに彼は、このように言われました。 ヨハネの福音書 14:16-17「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。」 ここで見ることができるように、イエスは彼と同じ性質を持った助け手を送ってくれました。それだけでなく、彼はいつも私たちの中にいて、導いてくれます。聖霊は真理であるので、私たちがどうすればいいかわからない時いつも彼に頼ることができます。 ③ 信仰 […]