One of these days, I came across a Bible verse that I like very much. It is Psalm 37:25: “I […]
神様に恋をする
あけましておめでとうございます あなたが今年、神様との関係をもっと深くなり、そしてあなたの人生を通してより多くの人が祝福され、救われ癒されることをお祈りし求めます。 クリスチャンとして私が他のクリスチャンと交流してよく悩んでいるのは、彼らが本当にクリスチャン生活を楽しんでいるか、またそれによって充実に生きているかどうかということです。 多くの人はサークルのように教会に行っていますが、はたして礼拝で聴いているメッセージから神様のいのちを受けて取っているでしょうか。実際に、私自身が気を付けているのは、信仰生活を活動的なものとして行わないことです。つまり、私は、クリスチャンとして、ただ教会の活動をするために存在しているわけではないということです。私がクリスチャンになったのは唯一の神様と関係を持つためです。 特に牧師は、クリスチャン生活をただの活動として生きる傾向が高いと思います。それには、メッセージを用意するときだけに祈ったり、一生懸命聖書を勉強したりすることが当てはまります。だからこそ、私は他の誰よりも、活動家にならないように気を付けています。 私が神様を求めるのは、日曜日にメッセージするからではなく、毎日神様を、きのうよりさらに深く恋をするように求めたいからです。教会を指導するためだけに、導きを求めるのではありません。私は神様を喜ばせたくて、よりに深く神様を知りたいので、神様との時間を費やします。私はプロフェッショナルの牧師ではありません。私は、イエスキリストが言った真の礼拝者です。私は神様の子供です。 ヨハネ 4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。 真の礼拝者は、神様を礼拝するための場所と時間は制限されていません。真の礼拝者はいつでもどこでも真と霊をもって神様を礼拝します。また、どのように神様を喜ばせるかを常に思い巡らします。 事実、真の礼拝者は一日中、神様を喜ばせる方法を考えています。そして、自分が行なっていることが全て神様の計画であるのかを考慮します。なぜなら自分の時間と行動を少しも無駄にしたくないからです。真の礼拝者は神様に恋しているからです。 2コリント 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。 この通りです。私たちは神様に恋をしなければなりません。そして、日々を重ね、さらに恋をするべきだと思います。なぜなら、私たちに永遠のいのちを与えてくださる唯一の方は神様だからです。また、私たちが、一切神様を求めず、神様に相応しくない罪人であった時にでも、神様は私たちを愛してくださり、恵みの上で私たちを救ってくださったからです。どうしてその素晴らしい神様を愛さないのでしょうか。 2テモテ 1:6 それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。 ある人はこう考えるかもしれません。「私はイエスキリストを受け入れた時、とても情熱なクリスチャンだったですが、最近、聖書を読む気もありません」。しかし、神様への恋の炎を燃え立たせる責任は私たちにあります。 おそらくどこかで妥協して、ぬるい霊的生活になってしまったのではないでしょうか。事実、私たちは愛の歩みで失敗して、そこで悔い改めないと、少しずつ霊的に冷めてしまいます。また、聖書を読む時間、また、祈る時間を大切にしない時、自分が気付かないところで、かなり神様の臨在から離れてしまいます。なので、どれほど忙しくても、神様との交流の時間を惜しみなく費やしてください。確実に神様を愛しており、神様を第一にしたいと思っているなら、犠牲を払う覚悟しなければなりません。 […]
Giving Him praise!
Could you imagine a scene with me? A father and a mother recently had a baby and they do their […]
神を知る
本当に私達は神を知ることができるのでしょうか。 私達は霊によって神を知ることができます。 霊的なものは霊によって識別されます。 人間は自然な考えや五感で神を知るのは不可能です。 わたしたちには、神が “霊” によってそのことを明らかに示してくださいました。 神の霊以外に神のことを知る者はいません。 わたしたちは、この世の霊ではなく、神からの霊を受けました。 それでわたしたちは神から恵みとして 与えられたものを知るようになったのです。 神は無限大であり、どんな生き物であっても神を完全に知ることは不可能です。 しかし、彼自身が自ら自分を表しているのです。彼の御言葉によって私たちは神を可能な限り知ることができます。 しかし、どうして神を知ることが重要なのでしょうか。 神様ご自身が全ての人に知ってもらいたいからです!歴史を通して神様は様々無方法で人間に自分を明らかにしようしました。(使徒14:17、ローマ1:19−20をご参照ください) 神は皆が彼を知ることができるように意図的に御言葉を残しました。神は私たちとかくれんぼで遊んでいるのではなく、彼の目的は自分の存在、性質、力を私たちが理解してほしいのです。 私達が神を知るとき、過ちに誘導する論証や言葉に惑わされ なくなります。真実を知ると、偽りの道から反れて正しい教えに 留まることができます。 しかしながら、御言葉の真理を知らな […]
あなたは愛されています
私は、以前、愛されているとは思っていませんでした。 しかし、神様は私への愛を明らかにしてくださいました。彼はあなたをとても愛しています。それは、あなたが想像するよりもずっとです。 彼は、最も大切な自分の息子を身代わりにしてくれました。イエス様はご自分の命を捧げ、その命はすべてイエス様から出て、あなたが信仰によってそれを受け取るために注がれました。 イエス様は、私たちの身代わりとなって、私たちが豊かな命を持つことを望んでおられるのです。神様はあなたに不足を望んでいません。彼があなたのために持っているものを受け取ってください。しかし、何でもかんでも受け入れてはいけません。 あなたの信仰を使い、あなたの人生の変化を宣言し始めましょう。彼を信じて! あなたは、普通の人ではありません。聖霊はあなたの中に宿っています。 そして、あなたに、教え、指導し、明らかにし、慰めるのです。彼はあなたに能力、恵みを与えてくれます。多面的な優美さです。あなたには神の恵みがあります。あなたは、今までできなかったことをできるようにする能力を神から与えられているのです。 あなたが女性や男性でありながら、信仰を持てる理由を知っていますか? それは、神様の愛があるからです。この愛は、想像もつかないほど深いものです。常に愛を持って歩むことがとても大切です。愛から外れた一歩が罪なのです。しかし、私が伝えたいのは、神様の愛を知ることです。私は、このような喜びと安らぎを感じたのです!神の愛が私の全身を貫いているのです。💗 以前は、愛されている実感がありませんでした。他の人と比較され、そして、いつも他人を喜ばせようとするばかりで、自分のアイデンティティがありませんでした。 しかし、あなたはユニークな存在であることを知ってください。彼は、独自の個性を持つバイスを創り出したのです。神様の愛は深いです! エペソ3章には、パウロの祈りが記されています。11節と12節にこう書いてます。 エペソ3:11-12 “私たちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。この主キリストにあって、私たちは、彼に対する信仰によって、確信を持って大胆に神に近づくことができるのである。” 神の目的は、大胆さと自信を持ち、神の御座に近づくことであることをご存知ですか? 私たちは神の家族なのです。パウロは私たちのために祈ってくれていたのです。私たちは、主が私たちのために持っておられる愛について、十分に根拠を持ち、確信する必要があります。 もし、あなたの実の父親が、あなたへの愛と、あなたに最高のものを与えたいという気持ちから、あなたに財産を与えたのなら、私たちには限界のない父親がいることを知ってほしいです。 しかし、彼は私たちが守らなければならないルールを与えています。彼は、罰を与えたくなく、あなたに性質を作りたいからです。彼は、あなたの内面を向上させたいと考えています。 キリストにあるあなたが何者であるかを知り、あなたが地上でキリストをよく表すことを望んでいるのです。世間はそれを見ることができませんが、子供たちの中に天の父の性格を見ることができます。神をも恐れぬ私たちを採用してくださったのです。彼は私たちの生活をあらゆる面で向上させたいと考えていますが、それには私たちの協力が必要です。だから、私たちは彼の道を歩まなければならないのです。神様があなたをとても愛していることを知るために、あなたは心を新たにしなければなりません。 愛は感情ではありませんが、愛されていると感じることはとても良いことです。 […]
あなたのレガシーはなんだ?
自分の生き方を考えたことありますか? もし、あなたがいなくなったら、あなたの教えは受け継がれるものでしょうか? それとも、すぐ忘れるものでしょうか? 人びとは私たちがいなくなったら「恋しい」といった思いを感じるのでしょうか? それとも、その反対の感情を抱くのでしょうか? もちろん、この世を去った時だけではなく、様々な場面について話しています。部活・学校・職場・教会など、様々な場面で人と接し、教える場面に対面します。 言葉を使った教えだけではなく、私たちの生き方は何を教えているのでしょうか? 12月に入って、レーマ聖書学校で「神様の性質」という科目で、中村光子先生の通訳をしていて、神様の性質について沢山学んでいます。 学んでいる中で、「神様は情け深い」と書いてあって、沢山の聖書箇所があり、そのうちに詩篇86篇15節も記載されていました。 レガシーとどんな関係があるのかと言いますと、 皆さん、聖書に書かれているヨナをご存知でしょうか?すごく簡潔に述べます。。(しかし、是非ヨナ書を読むことをお勧めします。) ヨナは主の召しがあり、御言葉を受けたのです。 ヨナ書1章2節(新改訳) 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」 しかし、ヨナは主の御顔を避けて、ニネベの正反対の町のタルシシュに向かおうとしました。ところが、主の臨在から逃れることはできません!(詩篇139章にも書かれている通りに) それで、不順な心のせいで沢山の悪影響を及ぼした。しかし、主は魚を備えてヨナを飲み込ませ、ヨナは悔い改め、主は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させた。再び、ヨナに主の言葉があって、ニネベに行って、悔い改めるようにと言いました。ヨナはその通りにして、人々や国王まで全員悔い改めました! ヨナ書3章10節(新改訳) 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らを下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。 ここに書かれている「思い直し」は「後悔」の意味ではなく「憐れんだ」ということです! ヨナ書4章1~3節(新改訳) […]
Praise and Worship
“Let everything that has breath praise the Lord. Praise the Lord!” Psalms 150:6 NKJV I grew up going to Sunday […]
主を畏れる
私たちには、福音を宣べ伝える責任があり、神様の目的に従って生きる必要があります。この聖書箇所では、私たちは世の光だと言っています。光は輝くためにあって、そして暗闇があるところに届かなければなりません。私たちにある光はとても強い光で、この光は隠しようがないんです。その光は輝かせないといけない、人々の心に届かなければいけないのです。 それが光の目的です。 そして15節では、その光は隠してはいけないと言っています。 キリストにある私たちのアイデンティティには、神様の栄光と臨在を映し出す目的があるのです!神様がみなさんを創った時、神様の性質で創りました。なので、神様は私たちを光だと言ってるのです。 では、皆さんに聞きます。 あなたの行動は神様の光を輝かせていますか? 私たちが神様の光を輝かせるためには、主を畏れる必要があります。 ここでは主を畏れることは、宝であると言ってますよね? 『おそれる』という字はほとんどの聖書では恐怖の方の恐れるを使っていますが、正確に言うと、『畏れる』の方です。 私たちが主を畏れることは恐怖や怖がることではなく、神様は偉大なお方であり、私たちより優れていることを知っているからこそ、神様に対して尊敬する気持ち、敬意を持つ、その意識を持っているのです。 ルカの福音書10章27節では、心を尽くし、思いを尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、あなたの神である主を愛しなさい。と言っています。 神様に対して尊敬する気持ちというのは、ただ神様ができることだけではなくて、神様が誰であるかを敬うこと、敬意を表すこと、褒め称えること、そして従うことなのです。 マタイの福音書6章21節にはこう書いてあります。 マタイの福音書6章21節 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。 あなたの宝はどこにありますか? あなたが最優先にしているものはなんですか? 時間を費やしているものはなんですか? どんな計画をしていますか? 何を考えているのですか? […]
Hold on to God
Learning how to trust God fully is a journey that every Christian should be learning. It is not an easy […]
最高級の敬い
最高級というと、何を思い出しますか? 私は食べるのが大好きですから、すぐに頭に浮かぶのは正直に言いますと肉ですww さらに、最高級というと黒毛和牛などを良く聞きますよね? 最高級と言えるほどの値段もしますねww 他の人は最高級といえば、ホテルを思い浮かべたり、マンションや車などなど切りがありませんね。。。 じゃ、逆に聞きますが、あなたが持っている最高級の者は何でしょうか?? しかし、今日共有したいのが最高級の敬いの事です。 イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓に着いておられると、 ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、 そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。 「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」そして、その女をきびしく責めた。すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょに います。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。 しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。この女は、 自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」 マルコの福音書14章3-9節(新改訳) まず、背景を理解しましょう!! この時代では給料はデナリという銀貨で支払われていた。 1日の労働で1デナリをもらっていた。安息日を除き、週6日間働いていましたので週に6デナリを取得していた。 彼らのカレンダーでは毎月30日間しかありませんでした。祝日などを1日ほど計算に入れると月に25日間働いていました。ですから、25デナリが月給でした。 […]