John 3:16 TPT says “For here is the way God loved the world—he gave his only, unique Son as a […]
最近クリスチャンになった人へ
私の牧師は「クリスチャンでいることは豪華です」とよく言いました。なぜそういう言葉を使ったのかといつも興味深く感じていました。しかし、イエスキリストを受け入れ、クリスチャンになった人は、全く新しい人生を受けいれ、また、その新しい人生の中に利点ばかりがあるので、もちろんクリスチャンでいることは豪華です。それを証明するためにいくつかの聖書箇所を引用したいです。 ヨハネ 1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 まず、クリスチャンになることは神様の子供となることなので、それだけでもかなり深い意味が持たれていると思います。それは、宇宙も全世界を創造した神様の子供になるのがどれ程素晴らしいかと考えさせるからです。 ハガイ 2:8 銀はわたしのもの。金もわたしのもの。――万軍の主の御告げ―― また、神様が全てを創造しただけでなく、全てを持っておられるお方なので、その意味で豪華すぎると思いませんか。それに加えて、私達の必要性をみなご自身の富をもって、満たしてくださることを約束してくださっています。 ピリピ 4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。 クリスチャンでいることは豪華なことなので、それを知らずにいれば損だと思います。 また、神様が私達に何を用意して下さっているかを知るには聖書を読むことが不可欠です。なぜなら、聖書に「みことばを思い巡らす人は成功する」と書いてあるからです。 ヨシュア 1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。 残念ながら、多くのクリスチャンは聖書を読んでいないため、あまり霊的に成長しておらず、逆境が来る時に自分に与えられた霊的な武具を使うことができなく、神様が何を約束してくださっていることも知らずに、絶望したりします。しかしながら、信仰の上でみことばで養われたらそのクリスチャンが敗北することはありません。なので、私が深く推薦したいのは、毎日聖書を読み、それを思い巡らし、学んだことを行動に移すことです。そうすることによって、あなたは必ずいつも勝利に導かれると信じます。 そして、多くの人はクリスチャンになる時に、自分が神様の恵みや臨在に相応しくないと思ってしまうことがありますが、そういう思いを受け止めないでほしいです。なぜなら、イエスキリストが死んでよみがえった理由はあなたが神様の恵みに値する人となるためで、あなたは神様の全ての祝福を受け取るに相応しくなったからです(コロサイ1:12)。過去の過ちを忘れても問題がなく(IIコリント5:17)、自分も霊的に成長しているので、たまに失敗したりすることがあります。しかし、犯した罪を悔い改めて神様に告白すれば十分です(Iヨハネ1:9)。それ以上、他にする必要はありません。 次に、深く励ましたいのは、教会に通い、牧師からみことばを教わることです。それは聖書的な教えだからです。 […]
光を照らす
私が誕生日の次に好きな月は12月です。 12月はクリスマスシーズンで、町中がイルミネーションで明るくなりますよね。 特に冬って夜になると寂しいイメージがありますが、どんなに真っ暗で何もないところでも、イルミネーションがあることによって外を歩く楽しさが湧いてきます。 そんな綺麗に輝くイルミネーションのように、私たちも神の光を輝かせる必要があります。 「光」と言うものは、私たちの人生に必要不可欠なものです。 光を照らさなければ、真っ暗で何も見えないし、どこに何があるのかもわかりません。 マタイ5章14節には、「あなたは世の光である。」と語っています。 「あなたがたは世の光です。丘の上にある町は夜になると灯がともり、だれにもよく見えるようになります。」 マタイの福音書 5:14 私たちは光です。 暗闇があるところに光を照らす人たちです。 さらにイエス様はこう言います。 「あなたがたの光を隠してはいけません。すべての人のために輝かせなさい。だれにも見えるように、あなたがたの良い行いを輝かせなさい。そうすれば、人々がそれを見て、天におられるあなたがたの父を、ほめたたえるようになるのです。」 マタイの福音書 5:15-16 光を照らすということは、神様の愛を表すことです。 暗闇の中に歩いてる希望のない人々に私たちが光を照らし、永遠の命の道に導くことです。 […]
A Good Wife – Submission
Some months ago, I wrote about being a good wife. Today, we are going to talk a bit more about […]
自分の父を知る パート2
前回のブログでは、父の知識を得るだけではなく関係性を持つためには重要な点が3つあるという話をしました。さらに、どうして父を知る必要があるのかについても書きました。 様々な特権があり、沢山のものから私たちを守ってくれるからです。 まだ、読んでいないのであれば読むことをお勧めしますwww 主イエスは神様の本質の完全な現れであると聖書は教えてくれます。 しかし、それを知らないと人間の知識で神様の存在やその性質に制限がかかってしまいます。 多くの場合、自分の行動に言い訳をしたり、相手を自分の思い通りにさせたい時に誤ったことを言ったり聞いたりしていませんか? 私は小さいときによく祖父たちや保護者に言われた言葉があります。思い返すと、大きくなった自分も言ったりしていました。 皆も聞いたり、言ったことがあるかもしれません。 「こんなことすると、罰当たるよ」という言葉です。 神様はそんなことをしません。 なぜなら、神にはその属性を持っていないからです。 属性というのは、性質そのもの、特徴ともいえます。 要するに、それなしでは実体が考えられないような本質的な性質のことです。 その事は創世記を見るとわかります。 神は全てのものを造り、全ての物を調えてから人間を創造してくれました。 創造したものに対し、神は「良しとされた」とあります。 悪いところを見ることはありません。 または、「神は病気を造った。それを良しとされた」などとどこにも書かれていません。 なぜなら、神にはその属性がないからです。 では、神の属性とはなんでしょうか? […]
Let’s Not Be a Stumbling Block
Years ago, I received a call from a nurse at a local public elementary school. She was asking if I […]
つまずきの石にならないように
数年前、地元の小学校の看護師さんから電話がありました。彼女は、ある状況について私に助けを求めていました。家族の世話をしてくれる医師について質問されたとき、新入生の両親は、用紙に「ドクター・ジーザス」と記入していました。その看護師は、キリスト教の信仰に反対していたわけではありませんが、生徒が健康上の問題が起こったときに頼れる医師を知っておくことが必要だと説明していました。彼女は保護者を説得することができなかったので、私が保護者に話をして、学校と協力して働く必要性を理解してもらいました。 今回は些細な出来事でしたが、ご両親はできる限りの誠意を持って対応していたと思います。しかし、彼らは、自分たちの「信仰の立場」が、外部の人たちに肯定的な証とはならないことを認識していませんでした。これを見て私は、「外部の人に対して賢明にふるまう」ことについてのパウロの言葉を思い出しました(コロサイ4:5) 私は最近、何人かの有名な牧師の言葉を抜粋したビデオを見て、同じような気持ちになりました。そのような 『モンタージュ 』の中で、福音とは関係のない問題について、賢明とは思われない発言をしており、その発言により、福音派のクリスチャンがいかに無知であるかが描かれているのを見て、思わず苦笑してしまいました。 私はこの兄弟を批判する気はありません。誰かが、私たちの誰かから文脈を無視した「抜粋」をして、私たちを否定的に見せたのでしょう。ここで私が挑戦したのは、自分の言葉を啓発的かつ賢明なものにするという課題です。もし批判されるとしたら、それは私がイエスを説いているからであって、福音に関係のない問題のためではないと思います。 このようなことを考えているうちに、3つの聖書の一節が頭に浮かんできました。 コロサイ人への手紙4:5-6 5 外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。 6 あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。 ローマ人14:16, 22 16 ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。 22 あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。 リビングバイブルの22節には、「自分のしていることが神の目から見て潔白だと思っていても、その確信は心にしまっておきなさい。正しいと思うことをして、それが罪を犯すことにならない人こそ幸せです。」と書かれています。 マタイ […]
神様との交わり
私達は仕える前に神様の子供です。 私達クリスチャンは教会での奉仕があります。教会の中では五職のミニストリーで奉仕をする人、ワーシッパー、子供達の先生や他にも奉仕がいっぱいあります。奉仕をすることはいいことです。しかしながらそれだけにフォーカスを向けるのは良くないことです。聖書ではその例があります。 ルカ10:38-42 38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。40 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」 私達が教会で奉仕をすることは神様への行いです。神様の働きは彼のためにあります。神様はそれが成就するのを最も期待しています。 しかし、残念ながら多くのクリスチャンが忘れていることがあります。神様は私たちの奉仕、行い、忙しさよりも、私たちとの交わりをもっと望んでいるということです。神様の望みは私達との時間です。彼は私達クリスチャン一人一人との交わりを大切にします。 神様の喜びは彼を求める人であり、奉仕がありすぎて忙しいことではありません。 しかし、神様の行いを何もしないで、ただぼーっとすることを言ってるのではありません。 神様の奉仕、働きがなければ前進できないからです。 しかし、多くのクリスチャンが働きだけを見るのはとても悲しいことです。 また、自分のタイトルに気をかけている人もいます。牧師、預言者、偉大なメッセンジャーなどのビッグネームにフォーカスしています。 しかし、そこに目を留めるのではなく、最も重要なのは神様の息子、娘であることです。 マルタとマリアのこの聖書箇所では、 40節で「マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず」と書かれています。マルタはイエスを自分の家に招きました。イエスのために最高なおもてなしをしたかったと思います。 マリアはどうだったでしょうか? […]
そこのあなた!
あなたは自分の言葉をコントロールできない人ですか? あなたは、考えもなしに冒とく的な言葉を含め、あなたの心にあることを言いますか? クリスチャン人生の中で最も重要なことは、言葉を支配することです。 まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。 (マタイによる福音書 12:34 口語訳) マタイに書いてあるように、心から溢れることを、口が語るのです! だからこそ、私たちは自分の心に何を入れるかについて非常に注意しなければなりません。 メディア、特にテレビやSNSの強さは、私たちの言うことに大きく影響する可能性があります! 暴力的な発言や相手の能力・性格・容貌を含めた人格を貶す言葉、つまり人格攻撃は誹謗中傷につながるのです。 私たちは、自分の口から何を発しているのか、その発した言葉が悪意のあることだとしたら、それはのちに悪い結果をもたらします。 その場を悪くすることに加えて、関係を引き裂き、トラブルや噂話を生み出しますが、それ以上に、人の心がわかってしまいます。 だから、自分の心を守ってください。 言葉には力があります! 今からちょっとした面白い話をしたいと思います。 みなさんの家庭ではあるかどうかはわかりませんが、 私の家には、あるルールがあって、 それは、使ったヒール等は箱に入れて靴棚に入れるというのがあります。 でも私は、教会から帰るときにいつも靴を玄関におきっぱなしにしてしまいます。 […]
勝利の道のステップ
こんにちは みなさんは、何か物事を行う時、1つ1つを自分の頭で考えながらステップを踏んでいく人ですか?それとも何となく感覚でやっていくタイプの人ですか? どちらにもメリットとデメリットがありますが、残念ながら1番いい方法ではありません。なぜなら、物事が進む1番いい方法は神様のステップを踏むことだからです。 それが勝利と成功への道です。 では、そのステップとは何なのでしょうか。今日は、神様と歩む4つのステップについて『長血の女』の聖書箇所を見ながらお話ししたいと思います。 それらのステップは決して難しいものではありません。なぜなら神様は私たちが理解できないような難しいことは言わないからです。神様の言葉はいつもシンプルで力強いものです。 では、勝利の道の第1ステップは「言うこと」です。 マルコ5:28 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。 長血の女はイエス様が癒しているのことを聞いて、「私も癒される」と言ったのです。彼女は否定的な考え方や否定的な言葉を発することもできました。 例えば「あーどうせ治らないよ。もう12年もこの病気だしー。」と言うことができました。しかし、彼女は「癒される」と肯定的に話し、その通りになりました。私たちは口から出る言葉通りのものを得ます。 箴言6:2 あなたの口のことばによって、あなた自身がわなにかかり、あなたの口のことばによって、捕らえられた もし、あなたが恐れ、不安、失敗などを言っていると、あなたはそれに縛り付けられてしまっています。それから解放される唯一の方法は、神様の言葉、つまり聖書の言葉を話すことです。なので、日頃どんな言葉を話しているか吟味する必要があります。 勝利の道の第2ステップは「行う」ことです。 自分が言ったことを行動に移さなければただの言葉で終わってしまします。 また、勝利の道にはそれを邪魔しようとするものもたくさんあります。長血の女もそうでした。 マルコ5:31 そこで弟子たちはイエスに言った。「群集があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。 この聖書箇所を見てわかるように、女が出ていこうとしていた場所には多くの人がいて、彼女が行動するのを妨げようとしていました。しかし、彼女は諦めずに「人混みは関係ない!私はイエスのところに行って、癒されます!」と言って出て行きました。また、この時代では女が群衆に混じること、ましてや出血のある人は外に出られませんでした。しかし、彼女は「病気でも、女でも関係ない!私は癒されます!」と言って、彼女を諦めさせようとしていた状況を踏みつけて行動におこしました。それが彼女のとった信仰の行動でした。 […]