Question: I was diagnosed with a certain disease and have been taking medicine for that condition. I have recently been learning […]
Good servant
We are used to see people working hard in their lives, so they can stop working and delight in the […]
イエス様からあなたへのメッセージ
マタイの福音書16:7 今から弟子たちとペトロのところへ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう!と。 キリストがよみがえられた日、3人の女性がキリストが埋葬された場所へ、遺体に香水をつけに行きました。 しかし、墓を埋めていた巨大な石が、同じ場所にはなく、すでに持ち去られていることに気がつきました。墓の中に入って、彼女たちはびっくりした。 なぜなら、イエス様はもうそこにはいなかったからです。その場所には白い服を着た天使がいて、彼女たちにこう言いました。 マルコによる福音書16章6節 するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ女イエスを探しているのであろうが、イエスはよみがえってここにはおられない。ごらんなさい、ここが納めした場所である。 そして、天使は彼女たちに、ペテロと他の弟子たちに伝えるようにと言いました。なぜ、ペテロが特に言及されたのでしょうか? それは、彼はイエス様を否定した人だからです。イエスはペテロに自分が赦されたことを知らせたかったのです。天使が「…このメッセージをペテロに伝えよ」と言ったのは、おそらく弱くて臆病だった自分を責めていたあの弟子に、主イエスの回復の恵みを伝えるためだったのです。 ペテロは、受難の夜に主イエスを冒涜し、知ることを否定して以来、その人生は暗雲に包まれていたのでした。ペテロは、イエス様がよみがえった日曜日に昇った太陽が、恥、失敗、自責の念の雲を払拭してくれることを知る必要がありました。 イエス様がよみがえられたので、お会いしたいというメッセージを受け取ったペテロは、どんな気持ちだったでしょうか。 私たちは皆、イエス様を裏切ったことがあると思います。 私は、彼を裏切ったことは分かっています。あなたも裏切りました。 あなたは落胆し、失敗や恥、失望によって打ちのめされ、自分を責め、こう尋ねるかもしれません。「私にまだ許しがあるのだろうか?」 今、この瞬間、イエス様は聖霊様を通して、「このメッセージはあなたのためです!」と言っているのです。 神様があなたの名前を呼ぶのが聞こえますか? マルコの福音書16章7節 今から弟子たちとペトロのところへ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう!と。
誰をフォローし、どんなフォロワーがいますか?
私は最近、インスタで1千人以上の人やページ等を含めてフォローしていたことが発覚しました!! 細かく見ると、なんで・いつフォローしていたのか覚えていない自分がいました!! こんな経験したことありますか?? 私はパソコンやSNS等の物に対して少し疎く、流されやすいところがあります!! 内容を見ずに何か一つでも気に入ることがあれば、「これが好き」となっていました!! たまに、ただ単に「いいね」を押していた自分がいました! それについて考えていくとこの聖書個所が目に留まりました! テモテの手紙第二 3章10節(ALIVEバイブル) おまえは私についてすべて知っている。私の教え、生き方、人生の目標、信仰、根性、愛を。私が決してあきらめないことも。 ほかのバージョンの聖書では「すべてを知っている」が「倣い(ならい)」と記載されています。 国語辞典では、「倣い」の意味は、既にあるやり方、例を真似て、その通りにする。手本として真似をする。と書いてあります。 英語のバージョンでは「FOLLOW(フォロー)」と記載されています。 原文のギリシャ語では「Parakoloutheo(パラコルーテオ)」とあります。意味は、いつもそばにいるように、すぐ近くでその人についていくと書いてあります!! 何が言いたいかというと、インスタとかでのフォローはほとんど遠くから見ていたり、その人の生き方を想像しながら、その人が教えることや、伝える事を真似しようとします。 しかし、パウロが言いたいのは、弟子のテモテがいつもそばにいて、いつもパウロの生き様を見ていたことです。 パウロの教えていること、誰も見ていない時でもキリストの生き方、キリストと生きるという人生の目標、どんな信仰を持っていたのか、どんな人に対してでも神の愛を表し、そしてあきらめないド根性も全て受け継いでいきました!! SNSで誰をフォローしたらよいのか、限度などを言いたいわけではありません!! それはあなたの自由です! ただし、理解していただきたいのは、誰と付き合っているのか、どんな人の傍にいるのか、考えてほしいということです。 私達の近くにいる人たちは、どんな信仰を持っていますか? […]
You are righteous!
When I first heard the statement “You are righteous” I was in a state of total disbelief and disapproval because […]
神に目を向ける
暗殺、戦争、疫病、恐慌。 まるで教科書の世界を生きているような現代と世間は言いますが、 あなたの希望はどこにありますか? 聖書は希望の本です。 長年の経験から、躊躇無く言えます。 真っ暗だった私の人生、どこに向かっているのか、何を探しているのか。 道を見失って霧の中を彷徨いながら、歩いているかのような人生だった私が、 数ある本の中で、希望を与え、人生を変え、 そして信仰とはどんなものかを教えてくれた、素晴らしい本に出会えることができたのです。 まず私たちの人生において大切なのは、 信仰によって歩むことです。 ヘブル人への手紙には、信仰は望んでいることが必ず叶えられるという確信で、その望んでいることが必ず待っていると信じて疑わないことだと言っています。 「本当にそんなことできるの」「無理なんじゃない」と疑いがあるときは、 信仰をもって行動をしていないことになってしまうのです。 信仰を働かせるには、なにかを期待する必要があります。 神様からなにも期待しないと、神様からなにも得られません。 私たちは神様を信じ、そして彼が誰なのかを知る必要があります。 神を知ることができる唯一の方法はイエスキリストを見ることです。 聖書には、イエスキリストが行った素晴らしいことが多く書かれています。 イエス様の教えや行いで多くのことを学ぶことができ、私たちに勇気と希望を与えてくれます。 […]
Experiencing Joy in the Faithfulness of God
God’s faithfulness is a part of who He is. It is not dependent on our faithfulness or on our works […]
いつも掃除をしましょう!
私は先週、学校の大掃除をしていました。教室はもちろん、トイレ、階段も全てゴシゴシして、ピカピカにしました。 掃除をしているときに他の先生が「毎日こまめに汚れたら拭き掃除をすることを習慣づけたら掃除も簡単なのに〜」と言っていました。その時は何とも思わなかったのですが、聖書を読んでいるときに、ふと思い出しました。その聖書箇所はこちらです。 ローマ12:2 「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」 私達の周りには悪い考えがたくさんあり、それに襲われていることがありますが、多くの人は気づいていません。否定的な考えや、嘘、詭弁などが私達の周囲にあります。それを何も考えずに、注意せずにいると、自分も同じような考えをしてしまっていることがあります。「みんなが言ってるから」「みんなそう思ってるから」と話し始めます。そうやっているうちに私達の考えに汚れやほこりが溜まってしまいます。 もし、いつもきれいな状態であれば、汚れがつくとすぐに目につくので取り除くことができますが、こまめに綺麗にしていないと汚れがへばりついてしまって、なかなか落とすのに苦労するか、汚れているけど見て見ぬふりをする、あるいは汚すぎて何が何だか分からない人もいるでしょう。 なので、汚れはためるのでなく、入ってきたらすぐに綺麗にすべきです。 先程のローマ12:2の聖書箇所の最後をよく見てください。 「すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」と書かれています。 この「わきまえる」という言葉のオリジナルは、「詳しく細かく調べる」という意味があります。例えば、空港で入国する際に緻密なチェックがなされるのを想像してみてください。 なぜ、あそこまで検査するのでしょうか。それは、国の中に何も害するものを入れさせないためです。どれだけ違法とされるものを隠して密輸しようとしても、センサーなどで詳しく検査をし、入れないようにします。それが、この聖書が言っている「わきまえる」という意味です。 なので、何が神様によって良いものであるかを詳しく知るためには考えを新たにすべきだと言っています。 「神様の御心がわからない」「神様が何を言いたいのかわからない」と言っている人がいるなら、神様は何かを伝えたいのに、あなたの考えに汚れが溜まってしまっていて、この世のものと神様からのものが混同して分からなくなっているかもしれません。神様から来る完全なもの、純粋なものを受け取るためには、まず考えを綺麗にして、綺麗なまま受け取る必要があります。 何を受け取って何を受け取らないかを調べるべきです。 受け取るべきものは、みんなが思っていることや、自分の意見ではなく、神様の考えです。そのためには交わりの時間を十分にとる必要があります。 あなたと神様との交わる時間はどうですか。私達が十分すぎると思っていても、神様はもっと欲しい、もっと良いものを与えたいと思っています。 そうすると、何が真実で、何が嘘、汚れかが見えてきます。 その汚れが入ってこようとするのをシャットダウンすることが重要です。 入ってきたとしても、毎日のお掃除、御言葉の石鹸で綺麗に落としましょう。
効果的な祈り
私たちクリスチャンの人生は祈りの人生です。 効果的な祈りができます。ケネスヘーゲン氏の本の中で、彼は、祈りの人生の中で祈りを受け取ったと書かれています。 イエス様がこの地にいる時に、彼は12人弟子と一緒に3年半行動を共にしていました。弟子達は常にイエスの人生を見ていました。 聖書ではこのように書かれています。 ルカ11:1 さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」 弟子たちはイエスに祈り方を教えてくださいと聞きました。 それはなぜかというと、イエスの祈りは全て答えられて、結果をもたらしていたからです。あなたの人生で祈ったことが起こることをどれだけ期待していますか? 私たちが効果的な祈りを得るための最初のポイント ① 私たちの祈りは聖書に基づいているべきです。 私たちの祈りが聖書に基づいているとき、聖書に書いてあることを祈る時、私たちの祈りの答えを早く受け取ることができます。 聖書に基づいて祈ることはどういうことでしょう?聖書を自分の祈りの土台の基礎にすることです。もしあなたに癒しが必要なら、御言葉に書いてある癒しを読み、その聖書箇所に基づいて祈ります。 もし経済的な繁栄が必要なら、そのことについて書かれてる御言葉を読み、それに基づいて祈って下さい。 しかし、神様は私たちの絶望的な祈りには答えることはできません。神様はただ泣いている状態の祈りに答えません。神様は御言葉を土台としている祈りに答えられます。あなたがどんな状況にいたとしても、暗闇にいて、もう自分では限界だとしても、あなたが御言葉にそって祈る時、あなたは神様が答えてくださるための道を作っています。不可能であったことが可能になる道を作っています。神様には全てが可能です。ケネスヘーゲン氏の人生を見てみましょう。彼は15歳の時に難病の病気で寝たきりの状態となり、普通の生活が出来ませんでした。しかし彼は神様の癒しを受け取ることが出来ました。彼はどうして癒しを受け取ることができたのでしょうか?彼はマルコ11:23、24節を16ヶ月もの間この二箇所を思い巡らしていました。 マルコ11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 これは彼の証ですが、私はこの証が好きです。彼の状況は最悪でした。暗い状態 世間からは何も得ることは出来ませんでした。その状況の中でも彼は神様の御言葉にある力を見つけました。効果的な祈りの方法は神様の御言葉を土台として祈ることでした。 […]
休む力
イザヤ書 32:17―18 正義は平和を生じ、正義の結ぶ実はとこしえの平安と信頼である。 わが民は平和の家におり、安らかなすみかにおり、静かな休み所におる。 私たちは平安が溢れている生活を送っていますか? 聖書では、私たちがが平和に生きることが可能であることを教えてくれています。 では、平和とは何でしょうか。 小さい頃から私は「日本は平和を大切にする国だよ」ということを聞いていました。戦争に負けた日本は、戦争の恐怖を覚え、軍隊を持たない国となりました。 学校で「戦争がないイコール平和ではなく、みなさんがご飯を食べ、学校へ通い、安全が保障されている社会も平和なのですよ」と繰り返して言っているのを聞きました。 では神様がイザヤ書で言っている『平和』とは果たしてどうのような平和なのでしょうか。 そのためには、まず、神の平和は、すでに私たちのものであることを理解する必要があります。 ヨハネ14:27 わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。 「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。」この箇所の前半部分では、平安を理解するためのとても大切な鍵を残しています。 イエスにはどのような平安があったのでしょうか。 マルコ4:35-39 さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。 そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。 すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。 ところが、イエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。 イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。 これはとても有名な聖書箇所です。弟子たちは大変恐れていましたが、イエスは、嵐の中でも何事もなかったかのように寝ていました。私たちは、どんな状況に陥っても、休むことが可能なのです。そのような平安をイエスは残してくれました。弟子たちも、その平安の力を知っていました。 […]