私は何回か取扱説明書を読まないで家具を組み立てようとしたことがあります。しかし思うようにうまくいきませんでした。 取扱説明書にはその家具がどのように設計されていて、組み立てるかが書かれています。もし取扱説明書がなければどうだったでしょうか?取扱説明書にはその商品の良さ、必要性、様々トラブルについても書かれてます。 聖書は私たちの人生の取扱説明書です。新しく生まれ変わったクリスチャンは全てを理解しているわけではありません。そのために神様は聖書を私たちに与えてくださいました。私たちが日常生活の中で大きな決断やほんの小さな決断でさえも御言葉を通して私たちを導きます。 詩篇 119:105 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。 多くの人は聖書は神様が人にこれをしてはいけない法律が山程あるといいますがそれは違います。 聖書は私達の性質、ポテンシャルを知ることができ、私達を創造した人が与えてくれたマニュアルです。創造主である神様は私たちにとって何が良くて何が悪いかを知っています。 そして、私たちが知らず知らずのうちに惑わされて生きてしまわないように、彼は私たちに御言葉を残してくれました。聖書が私たちに提案していることとは違う生き方をするのは愚かなことです。 ヨシュア記1;8にはこのように書かれています。 ヨシュア記 1:8 人々に、律法をいつも思い出させなさい。まずあなたが、昼も夜も律法を忘れず、それを完全に守るよう心がけなさい。模範を示し、どんなことも律法どおりきちんと行わなければならない。成功するもしないも、すべてその一点にかかっている。 私達がこの世で成功する方法は神様の言葉を受け入れそれを実行することです。 私達は神様によって造られました。 神様が与えてくださったマニュアルを読んで、行うことによって私達は正しいことを行い、人生も楽しくなり、この人生で成功することができます。
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成功の秘訣
もし成功の秘訣が本当に存在するなら、あなたはどうしますか。成功するために、人生をかける覚悟ができているでしょうか。おそらく、成功したくない人は一人もいないと思います。もし「成功したくない」という人がいれば、かなり強い表現ですが、偽善者だと思います。人は誰でも成功したいと思うものです。なので、たくさん勉強し、一生懸命働いて、家族のために良い物を備えようとします。「成功したくない」という人は、おそらく自分を謙虚な者として見せようとしているか、人生で色々苦労したり失敗したりしてしまい、今は精神を滅ぼすまで努力しないと決めたかと思います。しかしながら、私達は本当なら成功したいと考えているはずです。 成功し、栄えることは別に悪くありません。むしろ、神様自身はみなに成功し繁栄してほしいと願っていることを、今日は聖書をもって証明したいと思います。 読んでくれている皆さんに「あなたが成功しても良い」と言っている3つの聖書箇所を紹介したいと思います。他にもたくさん聖書箇所あげることができますが、今回は、旧約聖書から新約聖書まで「成功の秘訣」を教えながら、その3つの聖書箇所に書かれている真実を信仰の上で受け取ってほしいです。 まず、私の大好きなヨシュア記の聖書箇所をあげます。ヨシュアは、神様に約束された地に入る前に、使命が成功するように、神様にこう命じられました。 ヨシュア記 1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。 「律法の書」と書いているところを「みことば」として理解していただきたいです。なぜなら、「律法」は当時、イスラエルの民に与えられた神様のみことばだからです。また、律法は現在、旧約聖書の始まりの部分なので、「律法の書」を「みことば」に変えても間違いではありません。その理解をもって、皆さんに、改めてヨシュア記1:8を読んでいただき、質問したいと思います。 あなたの成功はだれにかかっているでしょうか。 答えを見つけたでしょうか。多くのクリスチャンは残念ながら、成功や繁栄に関して完全な理解ができていないため、成功していないことを神様の責任にし、自分の人生がうまく行っていないのは「それは神様のみこころです」というような言い方をしてしまっています。しかし、それは偽りであり、みことばでも裏付けできません。 最初に、上に挙げた質問を、聖書箇所を見ながら、答えましょう。あなたの成功は「あなたのすることで」と書いてあります。つまり、あなたのすることによって、あなたは繁栄するかしないかに分かれます。なので、あなたが成功しない理由は神様にありません。次に、また質問させてください。 ヨシュア記1.8であなたは、何をして成功することができると分かるでしょうか。 自分で読んで答えを見てけられたでしょうか。その聖書箇所に関してさらに分かりやすく理解できるように、別のバージョンを引用します。 ヨシュア記 1:8 人々に、律法をいつも思い出させなさい。まずあなたが、昼も夜も律法を忘れず、それを完全に守るよう心がけなさい。模範を示し、どんなことも律法どおりきちんと行わなければならない。成功するもしないも、すべてその一点にかかっている。 第一歩としてあなたの成功はみことばにかかっていることが既に分かったと思います。まず、みことばを読み、理解し、それを口で宣言する必要があると書いてあります。私は「あなたの口から離さず」と書かれているこの箇所が大好きです。 正にその通りです。みことばを心から守るには、そればかりを言う必要があります。しかし、みことばを宣言するためには、みことばを知る必要があります。もし、みことばに何が書いているか分からなければ、それを宣言することができないでしょう。あいにく、今まで出会ったクリスチャンの中で多くの人は、みことばを知らなかったため、敗北しているように、いつも色々なことで苦労して悲しい人生を送っているようです。また、神様は彼らに最高で幸せな人生を計画してくださっているにもかかわらず、彼らはそれを知らないため、最高な人生を楽しめておらず、サタンに苦しめられています。 ヨシュア記1:8で神様は私達に「成功の秘訣」を教えてくださっています。昼も夜も毎日みことばを思い巡らす必要があります。その次の行動はみことばの知識にかかっているからです。ここで、思い巡らすことはどういうことなのかを少し説明したいと思います。ヨシュア記1:8によると、みことばを思い巡らすことは、みことばを知り、みことばを読み、それを昼も夜も考えて、口にすることです。イエス様も教えたように、口に出ることは心に満ちているものです(マタイ12:34)。もしあなたの心がみことばで満ちているなら、状況に問わずいつもみことばを口にするでしょう。 次に成功するためには、ただみことばを知り、言うだけでは足りません。もちろんそれは大事ですが、全てではありません。多くの人はみことばを知っていることを自慢しますが、それを実践しないなら無駄です。あなたはいくら聖書を宣言していても、信じている通りに歩まないなら、何も効果がありません。なので、みことばを完全に守るように心がける必要があります。状況を問わずにみことばの通りに歩めば、最終的にあなたは必ず成功します。ヨシュアも約束された地を獲得するために、与えられた通りにみことばを守り、色々大変な挑戦をしましたが、最終的に、神様が約束してくださった通りに、約束の地を獲得できました。 […]
なぜみことばを読むことが大事?
ヨハ 1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 クリスチャンになる時、クリスチャンと交流しているうちに、あるいは、メッセージを聞いている時に、新しい知識だけではなく、新しい体験も多く得ます。その中で、よく聞くようになるのはもちろん「みことば」です。なぜなら、みことばとしてよく知られている聖書がキリスト教の基礎だからです。聖書がなければ、基礎がなく、全てが矛盾するでしょう。しかし、聖書が私たちの信仰の源であり、安全な場所です。今日、聖書の読書の大切さを一緒に考えたいと思います。そして、聖書を読むことを強く薦めたいと思います。 まず、クリスチャンとして理解しなければならないのは、みことばそのものが神様であることです。それは聖書自体が言っていることです。私は、みことばを強調する時に、もちろん物資的な部分である本のことを指しているのではなく、聖書の内容が神様から来たものであり、神様の本質を持っているので、私たちにいのちを与えることもできます。なので、聖書を読むことによって神様の本質そのもので満たされます。 ヨハ 8:32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。 また、イエス自身がみことばであり、真実です。イエスキリストがこの世にいる間、弟子たちに真実を知る必要性をいつも教えていました。それに、真実を知ることによって私たちが自由にされると教えました。あなたは、今、何かに束縛されているでしょうか。もしかしたら、借金やアルコール依存症などに束縛されているかもしれません。または、何か病気やうつ病なので苦しめられているかもしれません。 しかし、みことばは真実であり、その真実を知ることによってどんな束縛であろうと自由にされます。なので、みことばを知ることは欠かせないことです。 ホセ 4:6 わたしの民は知識がないので滅ぼされる。 上の聖書箇所をよく読んで考えてください。多くの人が滅ぼされている理由は、悪魔が強いとかではなく、知識がないために、敗北しています。私自身が他のクリスチャンと交流している時に、彼らがどれほど悩んで苦しんでいるのかを聞くと、そんなに苦しめられなくてもいいと目を覚めさせたいのですが、多くの場合、彼らは苦しむに値している人だと思ってしまっています。 しかし、神様は私たちが敗北した人生を送ることを願っていないので、私たちにみことばを与えてくださいました。それは、イエスが十字架で達成したものが何か、また、キリストを受け入れてから私たちが誰になったかを理解するためだからです。もし、キリストにあって自分の立場が分かったら、敗北された人生を送る代わりに、圧倒的な勝利者として生きることができるようになるのです。 マタ 4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」 人間は、外なる人である肉体的な部分もありながら、内なる人である霊もあります。体が健康的に成長するために、私たちがきちんと栄養を取らなけらばならないように、内側の部分である私たちの霊も神様から来る食物を受け取って成長する必要があります。私たちがイエスキリストを信じ始める時に、幼児のようになります。なので、聖書はこう言います。 1ペテ […]
神様からの贈り物
みなさんも大掃除をした時に、「私こんなものあったんだ」って思えるようなものを見つけたことがありますか? つい最近の話なんですけど、部屋の掃除をしていたら、本に1万円が挟んであるのを見つけました。 その1万円は私が自分へのお小遣いとして使うためのお金だったのですが、財布に入れたら全部使ってしまうと思い、本に挟んでおいたものでした。 しかし、私は挟んでおいたことを忘れてしまい、見つけた時は数ヶ月も経ってしまっていました。 ケネス・ヘーゲン師の本にも似たような話があり、彼が財布に20ドルの紙幣を入れていたのに、そのことを忘れていたことがありました。 ある日ガソリンが尽きてしまい、自分の財布を探すと、財布から20ドルを見つけたのです。何ヶ月も、カバンのポケットにそれをずっと持っていたのに、自分が持っていることを知らなかったので、そのお金を使うことが出来なかったのです。 これらを踏まえて、私が何を伝えたいのかというと、私たちクリスチャンは、新しく生まれ変わった時に神様から様々なものを与えられたのですが、持っているのにも関わらず、自分は惨めだ、神様から良いものを与えられるのに値しない存在だと思っている人がおり、神様が与えてくれた素晴らしいものを忘れてしまってる人がいるのです。 放蕩息子のたとえ話を覚えてますか? 父親は息子2人に財産を分け与えました。 弟は遠くへ旅立ち使い果たしましたが、兄は、父親が持っていたものを全て持っていたのに、使ったことがありませんでした。 財産を使い果たして飢えに苦しんでいた弟が帰ってきた時、父親が指輪や服などを弟に贈り、パーティーをしたことに対して、兄は平等に扱われていなかったことに腹を立て、父親に不満をぶつけました。 その後に、父親が何を言ったかわかりますか? ルカの福音書 15:31 「すると、父親は言いました。『いいか、よく聞きなさい。おまえはいつだって、私のそばにいたではないか。私のものは全部おまえのものだ。」 兄は全てのものを利用することができたはずです。 しかし彼は自分にある権利、そして父親にとってどれだけ価値のある人なのかを理解していませんでした。 私たちは自分が誰なのか、何が自分のものとされているのかを理解する必要があります。神様が私たちにみことばをお与えになったのは、何が私たちのものであるかを私たちに教えるためです。 みなさんは自分が誰なのか、どのような存在なのか、そして神様は私たちに何を与えてくださったのかを考えてみたことはありますか? 聖書にはそのことについてはっきり示してくれてます。 […]
人生に必要な5S
会社で働いたことがある人なら5Sという言葉を一度は耳にしたことがあると思います。職場環境の維持、整理整頓を皆で協力をしながら行い、また問題点を改善するという意味が込められています。 その5Sとは、整理、整頓、清掃、清潔、しつけです。無駄をなくし、どれだけ効率よく仕事ができるかに重点を置いています。 この5Sは大切なことですが、私たちの人生にはもっと重要な5Sがあることをご存知ですか。もちろん他にも大切なことはまだまだありますが、今日はSにかけて、Sから始まる大切なことをお話ししていきたいと思います。 ① 救い クリスチャン人生を始めるために誰もが必要で通るべき道です。神様に背いた人生を歩んだ結果として罪が入り、その溝のせいで神様と関係を持つことができなくなってしまいました。しかし、イエスが人間と神様の橋渡しとなるためにやってきて、救いを与えてくれています。イエスを受け入れ、救いを受け入れる時、私たちはお父さんである神様と交わりを持ち、彼から来る祝福を受け取り、神の子供となることができます。 ヨハネの福音書 14:6「イエスは言われました。「いいですか。わたしが道です。そして真理でもあり、いのちでもあります。わたしを通らなければ、だれ一人、父のところへは行けません。」 ヨハネの福音書 1:12「しかし、彼(キリスト)を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」 ② 聖霊 イエスキリストを受け入れる時、私たちの中に聖霊が宿ってくださいました。イエスが天に行く時、それを拒んだ弟子たちに彼は、このように言われました。 ヨハネの福音書 14:16-17「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。」 ここで見ることができるように、イエスは彼と同じ性質を持った助け手を送ってくれました。それだけでなく、彼はいつも私たちの中にいて、導いてくれます。聖霊は真理であるので、私たちがどうすればいいかわからない時いつも彼に頼ることができます。 ③ 信仰 […]