私たちクリスチャンの人生は祈りの人生です。 効果的な祈りができます。ケネスヘーゲン氏の本の中で、彼は、祈りの人生の中で祈りを受け取ったと書かれています。 イエス様がこの地にいる時に、彼は12人弟子と一緒に3年半行動を共にしていました。弟子達は常にイエスの人生を見ていました。 聖書ではこのように書かれています。 ルカ11:1 さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」 弟子たちはイエスに祈り方を教えてくださいと聞きました。 それはなぜかというと、イエスの祈りは全て答えられて、結果をもたらしていたからです。あなたの人生で祈ったことが起こることをどれだけ期待していますか? 私たちが効果的な祈りを得るための最初のポイント ① 私たちの祈りは聖書に基づいているべきです。 私たちの祈りが聖書に基づいているとき、聖書に書いてあることを祈る時、私たちの祈りの答えを早く受け取ることができます。 聖書に基づいて祈ることはどういうことでしょう?聖書を自分の祈りの土台の基礎にすることです。もしあなたに癒しが必要なら、御言葉に書いてある癒しを読み、その聖書箇所に基づいて祈ります。 もし経済的な繁栄が必要なら、そのことについて書かれてる御言葉を読み、それに基づいて祈って下さい。 しかし、神様は私たちの絶望的な祈りには答えることはできません。神様はただ泣いている状態の祈りに答えません。神様は御言葉を土台としている祈りに答えられます。あなたがどんな状況にいたとしても、暗闇にいて、もう自分では限界だとしても、あなたが御言葉にそって祈る時、あなたは神様が答えてくださるための道を作っています。不可能であったことが可能になる道を作っています。神様には全てが可能です。ケネスヘーゲン氏の人生を見てみましょう。彼は15歳の時に難病の病気で寝たきりの状態となり、普通の生活が出来ませんでした。しかし彼は神様の癒しを受け取ることが出来ました。彼はどうして癒しを受け取ることができたのでしょうか?彼はマルコ11:23、24節を16ヶ月もの間この二箇所を思い巡らしていました。 マルコ11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 これは彼の証ですが、私はこの証が好きです。彼の状況は最悪でした。暗い状態 世間からは何も得ることは出来ませんでした。その状況の中でも彼は神様の御言葉にある力を見つけました。効果的な祈りの方法は神様の御言葉を土台として祈ることでした。 […]
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演奏する前に、自分のギターをチューニングした?
私は高校生になる前に、クリスチャンになり、そこであるクリスチャンの歌手にとても影響を受け、ギターを弾くのを学び始めました。最初、私にとってかなり大変なチャレンジはギターをチューニングすることでした。 いつも友人にお願いをしてギターをチューニングしてもらっていましたが、私もチューニングのやり方を学んだことにより、耳で聞いただけでギターの調子がわかるようになってきたと思います。 もしギターの調子が悪く、少しでも外れた音を聴くと落ち着かなくなりました。 私は、礼拝で何度か賛美をリードしたことがあり、その時ギターをチューニングしないで演奏してしまったために、音程が外れたまま賛美し、ギターの音が気になることがありました。そういう時は、賛美しづらくなるので、なるべく賛美をリードする前に、ギターのチューニングを行い、音程が外れているところがないかを確認します。 楽器を弾く方は、おそらく私の気持ちに同感できるのではないかと思います。また、ギターで一つ興味深い点は、ギターは弾いても弾かなくても、ギターの音程が必ず外れてしまうので、毎回伴奏する時に、チューニングをする必要があるということです。 私が、ここで自分のギターに関する経験を分かち合いたい理由は、私達も神様の手にある楽器のような存在だからです。神様が私たちの人生を美しく弾くためには、私達で自分自身をチューニングする必要があります。 もし、私達の人生の音が外れていると、神様は私達を通して美しいメロディーを弾くことができません。では、私達はどのように自分の人生をチューニングすることができるでしょうか。 一番最初にチューニングする方法は、みことばを通して自分の考え方を一新することによるものです。日々、聖書を読み、みことばを思い巡らし、それを宣言することによって、何が神様を喜ばせるか知るようになり、それを実践することができるようになります。 ローマ 12:2 また、この世の人々の生活態度をまねてはいけない。むしろ、神の御心は何なのか、何が善で、何が神に喜ばれ、何が完全であるのかを見分けることができるために、心を一新して、変えていただくがよい。 また、自分の人生をチューニングするにあたって、とても大切な手段があります。それは聖別の祈りによるものです。聖別の祈りというのは、神様に自分自身を捧げる祈りです。特に、何かの目的を果たす時、神様に仕える時やこれから何か大事な決断をしなければならない時などにする祈りです。しかし、それは特別な時だけにする祈りではなく、むしろ、いつもしなければならない祈りだと思います。実際に毎朝、目を覚ます時にするべき祈りなのではないかという程です。 先ほど言ったように、ギターは弾いても弾かなくても、必ず音程が外れてしまうのですが、演奏する前に、ギターをチューニングするとことで、確実に美しいメロディーが奏でられます。同じように、私達もいつもキリストの体に奉仕しているので、聖別の祈りをする必要があると思います。そして、もし、逆にあなたがキリストの体に奉仕していないのであれば、さらに聖別の祈りをする必要があります。なぜなら、メロディーも認識できない程になり、自分の人生の音程が究極的に外れてしまっているかもしれないからです。 私たちは皆、美しいメロディーを奏で、それを聞いている人が祝福されるように、自分自身の人生によってキリストの体を祝福するために召されました。 イエスキリスト自身も何回か聖別の祈りをしたことがあります。12人の使徒を任命する時に、イエスキリストは一晩祈ってから、使徒たちを任命しました。また、十字架にかかる前に、自分自身の志を献身して父なる神様の目的を果たすためにその志さえをも捧げました。 ルカ 22:42 「天のお父様。あなたに不可能なことは何もございません。どうぞ十字架に掛るというこの苦い杯を飲まないでもよいように、わたしから取りのけてください。けれども、わたしが願っていることよりも、あなたの御心が成りますように。」 イエスキリストの人生を見ると、聖霊に導かれ、神様を喜ばす人生を送ることがどれほど大切なのかが分かります。全世界の歴史を変える12人の任命はとても重要だったので、少しでも彼らが任命を外れていたなら、大きな間違いになったかもしれません。しかし、イエスキリストは完全に父なる神様の御心を成し遂げたかったので、神様の御心の理解ができるまで、休まずに何時間も聖別の祈りをしました。つまり、主イエス自身も神様の目的のために自分自身をチューニングしていたことになります。 残念ながら、多くのクリスチャンはいつも神様の心を聴くための時間がないと言い、何でも自分の思ったまま、決断してしまいます。結局、自分が選んだ道に苦労がたくさんあり、それを後悔して、そういう時にまた神様に向かって神様の助けを求めます。しかしながら、最初から神様の導きを求め、聖別の祈りをしていたなら、おそらくそれらの苦労に直面する必要がなかったでしょう。 […]
イエスの名
私たちクリスチャンは、イエスキリストを受け入れたとき、全ての祝福をもらいましたが、そのうちの1つに「イエスの名」があります。 しかしながら、多くの人はそれをどうやって使うの?と疑問に思っています。今日は、聖書で私たちはどのようにイエスの名を使うか4つみていきたいと思います。 ① 祈りの中でのイエスの名を使う 祈りというのは、イエスの名において父に祈ることです。それはイエスが聖書で教えています。 ヨハネの福音書 15:16 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選んだのです。そして任命しました。だから、あなたがたは行って、いつまでも残るすばらしい実を結びます。また、わたしの名前によって父に求めるものは、何でもいただけるのです。」 イエスはここで、私たちの祈りの方法、つまりイエスの名において父に祈ることを教えています。祈りは神様の御言葉の原則に従って祈るべきです。 神さまの御言葉が私たちに教えているように、私たちはそれに応じて祈らなければなりません。 なぜなら、イエスは、彼の言葉で表現されている父の意志に反することを決してしないからです。 ② イエスの名において主張することが必要 聖書がすでに私たちのものとして保証していることを、私たちは祈る必要はありません。 結局のところ、それはすでに私たちのものであるため、私たちはイエスの名の権威で主張することができます。 イエスの名前はまた、私たちにイエスと同じ力を保証します ヨハネの福音書 16:23-24 「その時には、何一つわたしに求める必要はありません。直接父に求めることができるからです。父は、わたしの名によって求めるものは何でも与えてくださいます。 あなたがたは、今までこのような求め方をしたことはありませんでした。わたしの名によって求めなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びに満ちあふれるのです。」 […]
祈りの依頼
ヤコ 5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。 クリスチャンにとって祈りというのは、非常に重要なことで、日常生活で欠かせないものです。なので祈らないクリスチャンはおそらくクリスチャンではないと言っても過言ではないと考えられます。もちろん、祈りは話題が広いので、祈りについて一つの記事で全て説明しませんし、そもそもできません。しかし、最近よく私の注目を引いたのは誰かのために祈ることです。誰かのために祈るというよりも、祈ってもらいたいという祈りの依頼です。実際に宣教師として誰かのために祈る経験は数え切れません。 まず、そのために私たちが理解しなければならないのは、祈りが一つのタイプだけでなく、様々であり、それぞれ異なる目的を果たすために、存在しており、祈り方も異なります。エペソ6:18がそれをさらに明らかにします。 エペ 6:18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。 次に、クリスチャンがイエスキリストを受け入れることによってこの地上で支配する権威が、イエスキリストを通して与えられたことを認識するべきです。全てのクリスチャンが祈る権威、力をもっている証明できる聖書箇所が多くありますが、ここではマルコ16:15-18だけを引用します。 マコ 16:15-18 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」 ところが、祈りで全てが解決するわけではありません。それを言って、私は祈りの効果をけなそうとしているわけではありません。しかしながら、多くのクリスチャンが祈りの使い方を間違え、祈りを効果的にできていません。例えば、もしあなたが祈る時に、その動機が悪いことなら、もちろんそれは叶えられない祈りです。 ヤコ 4:3 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。 また、最近一つ気になっています。いつも誰かに「私のために祈ってください!」と頼むクリスチャンです。なぜいつも誰かに祈ってほしいのでしょうか。なぜ自分で祈らないのでしょうか。多くの場合、祈りを依頼するクリスチャンが自分の祈りに対して確信がないので、牧師や成熟したクリスチャンに依頼するのではないかと思います。また、ただ消極的で、自分で祈る慣習をもっていないためか、自分の祈りが聞かれないと勝手に思い、祈る役割を誰かに任せてしまいます。しかしながら、ここで最も明らかにしたいのは、全てのクリスチャンが祈る資格を持っていることです。牧師や、教師だけでなく、イエスキリストを受け入れた人たちは、みな同じ祈る力を持っています。 先ほど読んだように、義人の祈りが働くと、大きな力があります。では、ここでとても深い啓示を教えて差し上げましょう!イエスキリストを受け入れた人がみな信仰によって義人とされました。なので、あなた自身にもあなたが祈る度に、大きな力が働きます。 それから、祈りの依頼が来る時に、興味深いと思うのは、その人が苦しんでいるので依頼してくるでしょう。しかし、聖書箇所が一番最初に勧めるのは、その人自身が祈ることです。 ヤコ […]