あなたにとって幸せとは何ですか? ある人はお金持ちになることによって幸せであると思っている人もいますが、聖書ではこのように書かれています。 マタイの福音書 6:19-21 財産を、この地上にたくわえてはいけません。地上では、損なわれたり、盗まれたりするからです。 財産は天にたくわえなさい。そこでは価値を失うこともないし、盗まれる心配もありません。 あなたの財産が天にあるなら、あなたの心もまた天にあるのです。 お金を貯金することがいけないとは言っていませんが、ここでイエスが強調しているのは、財産に焦点を当てるのではなくて、天に財産を蓄えなさいと言っていることです。そうすれば私達はこの世のお金に心を奪われるのではなく、心を天に置くことができます。 この世の全ての物質的な物は過ぎ去ると聖書は言っています。お金の幸せは一時的なものなのです。お金が無くなれば幸せがなくなるのは、真の幸せではありません。では、どのようにして私達は幸せな人生を送ることができるのでしょうか? 申命記 6:1-2 これはあなたがたの神、主があなたがたに教えよと命じられた命令と、定めと、おきてであって、あなたがたは渡って行って獲る地で、これを行わなければならない。 これはあなたが子や孫と共に、あなたの生きながらえる日の間、つねにあなたの神、主を恐れて、わたしが命じるもろもろの定めと、命令とを守らせるため、またあなたが長く命を保つことのできるためである。 この一節はなんと豊かなことでしょう! 神様は、私が神様の教えを実践し、この現在の人生の旅路で神様の御言葉の原則に従っている場合、私、私の子供、孫は、神様のみが私たちに提供できる幸せと善を味わうことを保証しています! 聖書的には、幸せはすべての人のためのものであり、今のためのものです。 他の聖書箇所でも書かれています。 詩篇 34:11-13 […]
あなたは真の礼拝者ですか?礼拝の参加者ですか?
あなたにとって礼拝するとは何ですか? ある人は、毎週教会に行くことが礼拝すること、教会で賛美をすることが礼拝をすることと言います。それは決して間違ってはいません。 教会に行くことも、賛美をすることも、座ってメッセージを聞くことも大切です。 しかし、「礼拝をする」とはそれ以上の意味があります。 ヨハネ 4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。 この文章は非常に興味深いものです イエスが言っているのをよく見ると、神を礼拝する方法に大きな変化があることを確認することができます。 イエスは「真の礼拝者が霊とまことをもって父を礼拝する時が来ます」(未来)と「今がその時です」(現在)と言っています。 ここでは現在と未来の二つの時制が使われており、過去の時制は一切使われていないことがわかります。イエスは、過去の人物を示していません。 なぜでしょうか? それは、霊とまことに父を礼拝する真の礼拝者は、キリストの死と復活と昇天の後にのみ約束されるからです。つまり、恵みの時代、新生の時代です。 神を礼拝することは、キリストにあって新しく生まれた者が成し遂げるすべてのことにおいて、主にインスピレーションされた生き方です。 ヨハネの4章でイエスがサマリヤの女と出会った話を知っていますか? その女がイエスにあった時、正しい礼拝場所は山ですか?エルサレムですか?と聞きました。イエスは、こうお答えになりました。 ヨハネ 4:21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。 それは、新しい時代、新しい礼拝の時代が来ます。聖徒が霊とまことをもって神を礼拝できるようになる時であり、それは神の霊が彼らのうちに宿っているからです。という意味になります。 […]
決して簡単ではない
というのは、働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大勢いるからです。第1コリント16:9 最近、ムーディーの後を読んでいたら、このような名文に出会いました。 「ドイツでマルティン・ルターを取り囲んだ濃い闇を見よ、スコットランドでジョン・ノックスが直面した困難を見よ。しかし、彼らは、その時代、その世代において、神のために力強く、永続的な仕事をしたのである。ウェスレーとホワイトフィールドの時代、イギリスを覆っていた暗黒を見よ。彼らには、今の時代にはない多くの障害があった。しかし、彼らは強く勇敢な心で前進し、主は彼らに成功を与えたのである」 ムーディは自分が何を言っているのか分かっていました。1871年10月8日の日曜日の夜、ムーディが説教をしている間に、シカゴで大火災が発生しました。ムーディーの教会と自宅が焼失したほか、10万人が家を失い、約17,000の建造物が破壊されました。死者は300人と推定されていました。 ムーディは、その夜のメッセージ(タイトルは「キリストと共に何をするか」)を終えたとき、会衆にその質問を考えさせ、次の週にまた来るようにと言ったことが心に残っているでしょう。なぜなら、次の日曜日の礼拝は行われることはなかったからです。それから20年以上経ってから、彼はこう言いました。 「なんという間違いだろう。それ以来、私はあえて一週間も聴衆に救いを考える時間を与えたことはありませんでした。もし、彼らが迷子になっていたら、私に対して裁きに立ち上がるかもしれません。それ以来、私はその会衆とは二度と会うことはありませんでした。今日も涙をこらえるのに必死です。その夜、私が学んだ一つの教訓で、決して忘れることができないのは、私が人々にキリストについて説教するとき、その瞬間に決断させるようにすることです。私は、今、聴衆にイエスをどうするかという決断を一週間もさせるくらいなら、自分の右手を切り落とす方がましだ」と。 1871年にそのような壊滅的な損失にもかかわらず、ムーディーのミニストリーの最盛期はこれからでした。 ムーディーは、大きな暗闇と困難の中で神に仕えた他の人々についても言及しています。 マルティン・ルターは、数え切れないほどの苦難に加え、自分を異端者とみなして殺そうとする者たちから身を守るために、10ヶ月間ヴァルトブルク城に閉じこもって隠れて過ごしていました。ルターは、自分が天から与えられた使命によって、あらゆる闇の力から狙われる存在であることを知っていました。サタンはできることなら、喜んで私を殺すだろうといいました。彼が私に圧力をかける時、彼は私の踵を踏んでいるのです。しかし、彼が望むことは行われず、神が望まれることが行われます。 スコットランドのジョン・ノックスは、フランス船で奴隷として19ヶ月間オールに鎖でつながれて過ごしました。その後、長い亡命生活を経て、スコットランドに戻り、プロテスタントの改革を主導した。 ジョン・ウェスレーとジョージ・ホワイトフィールドは、野外での伝道活動において、怒りや敵意を持った群衆を相手にすることが多くありました。時には石や土、果物、動物の死骸まで投げつけられることもありました。それでも、彼らは忠実に福音を宣べ伝え、イギリスやアメリカの植民地に与えた影響は計り知れません。 特に使徒パウロは苦難を理解し、厳しい環境の中で伝道しました。 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。 – 使徒20章22-24節(NKJV) 教会は、安易で快適な時代に生まれたわけではありません。対照的で人を寄せ付けない文化の中で生まれ、成長したのです。福音を広め、拡大させることができたのは、神の指導者と信者たちの恵みによる決意だったのです。この物語は今も続いており、私たちは先人たちの変わらぬ勇気を決して忘れることはないでしょう。
It Was Never Easy
For a great and effective door has opened to me, and there are many adversaries. – 1 Corinthians 16:9 (NKJV) I was […]
A Life Driven By Eternity
One of these days, I came across a Bible verse that I like very much. It is Psalm 37:25: “I […]
神様に恋をする
あけましておめでとうございます あなたが今年、神様との関係をもっと深くなり、そしてあなたの人生を通してより多くの人が祝福され、救われ癒されることをお祈りし求めます。 クリスチャンとして私が他のクリスチャンと交流してよく悩んでいるのは、彼らが本当にクリスチャン生活を楽しんでいるか、またそれによって充実に生きているかどうかということです。 多くの人はサークルのように教会に行っていますが、はたして礼拝で聴いているメッセージから神様のいのちを受けて取っているでしょうか。実際に、私自身が気を付けているのは、信仰生活を活動的なものとして行わないことです。つまり、私は、クリスチャンとして、ただ教会の活動をするために存在しているわけではないということです。私がクリスチャンになったのは唯一の神様と関係を持つためです。 特に牧師は、クリスチャン生活をただの活動として生きる傾向が高いと思います。それには、メッセージを用意するときだけに祈ったり、一生懸命聖書を勉強したりすることが当てはまります。だからこそ、私は他の誰よりも、活動家にならないように気を付けています。 私が神様を求めるのは、日曜日にメッセージするからではなく、毎日神様を、きのうよりさらに深く恋をするように求めたいからです。教会を指導するためだけに、導きを求めるのではありません。私は神様を喜ばせたくて、よりに深く神様を知りたいので、神様との時間を費やします。私はプロフェッショナルの牧師ではありません。私は、イエスキリストが言った真の礼拝者です。私は神様の子供です。 ヨハネ 4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。 真の礼拝者は、神様を礼拝するための場所と時間は制限されていません。真の礼拝者はいつでもどこでも真と霊をもって神様を礼拝します。また、どのように神様を喜ばせるかを常に思い巡らします。 事実、真の礼拝者は一日中、神様を喜ばせる方法を考えています。そして、自分が行なっていることが全て神様の計画であるのかを考慮します。なぜなら自分の時間と行動を少しも無駄にしたくないからです。真の礼拝者は神様に恋しているからです。 2コリント 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。 この通りです。私たちは神様に恋をしなければなりません。そして、日々を重ね、さらに恋をするべきだと思います。なぜなら、私たちに永遠のいのちを与えてくださる唯一の方は神様だからです。また、私たちが、一切神様を求めず、神様に相応しくない罪人であった時にでも、神様は私たちを愛してくださり、恵みの上で私たちを救ってくださったからです。どうしてその素晴らしい神様を愛さないのでしょうか。 2テモテ 1:6 それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。 ある人はこう考えるかもしれません。「私はイエスキリストを受け入れた時、とても情熱なクリスチャンだったですが、最近、聖書を読む気もありません」。しかし、神様への恋の炎を燃え立たせる責任は私たちにあります。 おそらくどこかで妥協して、ぬるい霊的生活になってしまったのではないでしょうか。事実、私たちは愛の歩みで失敗して、そこで悔い改めないと、少しずつ霊的に冷めてしまいます。また、聖書を読む時間、また、祈る時間を大切にしない時、自分が気付かないところで、かなり神様の臨在から離れてしまいます。なので、どれほど忙しくても、神様との交流の時間を惜しみなく費やしてください。確実に神様を愛しており、神様を第一にしたいと思っているなら、犠牲を払う覚悟しなければなりません。 […]
Giving Him praise!
Could you imagine a scene with me? A father and a mother recently had a baby and they do their […]
神を知る
本当に私達は神を知ることができるのでしょうか。 私達は霊によって神を知ることができます。 霊的なものは霊によって識別されます。 人間は自然な考えや五感で神を知るのは不可能です。 わたしたちには、神が “霊” によってそのことを明らかに示してくださいました。 神の霊以外に神のことを知る者はいません。 わたしたちは、この世の霊ではなく、神からの霊を受けました。 それでわたしたちは神から恵みとして 与えられたものを知るようになったのです。 神は無限大であり、どんな生き物であっても神を完全に知ることは不可能です。 しかし、彼自身が自ら自分を表しているのです。彼の御言葉によって私たちは神を可能な限り知ることができます。 しかし、どうして神を知ることが重要なのでしょうか。 神様ご自身が全ての人に知ってもらいたいからです!歴史を通して神様は様々無方法で人間に自分を明らかにしようしました。(使徒14:17、ローマ1:19−20をご参照ください) 神は皆が彼を知ることができるように意図的に御言葉を残しました。神は私たちとかくれんぼで遊んでいるのではなく、彼の目的は自分の存在、性質、力を私たちが理解してほしいのです。 私達が神を知るとき、過ちに誘導する論証や言葉に惑わされ なくなります。真実を知ると、偽りの道から反れて正しい教えに 留まることができます。 しかしながら、御言葉の真理を知らな […]
あなたは愛されています
私は、以前、愛されているとは思っていませんでした。 しかし、神様は私への愛を明らかにしてくださいました。彼はあなたをとても愛しています。それは、あなたが想像するよりもずっとです。 彼は、最も大切な自分の息子を身代わりにしてくれました。イエス様はご自分の命を捧げ、その命はすべてイエス様から出て、あなたが信仰によってそれを受け取るために注がれました。 イエス様は、私たちの身代わりとなって、私たちが豊かな命を持つことを望んでおられるのです。神様はあなたに不足を望んでいません。彼があなたのために持っているものを受け取ってください。しかし、何でもかんでも受け入れてはいけません。 あなたの信仰を使い、あなたの人生の変化を宣言し始めましょう。彼を信じて! あなたは、普通の人ではありません。聖霊はあなたの中に宿っています。 そして、あなたに、教え、指導し、明らかにし、慰めるのです。彼はあなたに能力、恵みを与えてくれます。多面的な優美さです。あなたには神の恵みがあります。あなたは、今までできなかったことをできるようにする能力を神から与えられているのです。 あなたが女性や男性でありながら、信仰を持てる理由を知っていますか? それは、神様の愛があるからです。この愛は、想像もつかないほど深いものです。常に愛を持って歩むことがとても大切です。愛から外れた一歩が罪なのです。しかし、私が伝えたいのは、神様の愛を知ることです。私は、このような喜びと安らぎを感じたのです!神の愛が私の全身を貫いているのです。💗 以前は、愛されている実感がありませんでした。他の人と比較され、そして、いつも他人を喜ばせようとするばかりで、自分のアイデンティティがありませんでした。 しかし、あなたはユニークな存在であることを知ってください。彼は、独自の個性を持つバイスを創り出したのです。神様の愛は深いです! エペソ3章には、パウロの祈りが記されています。11節と12節にこう書いてます。 エペソ3:11-12 “私たちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。この主キリストにあって、私たちは、彼に対する信仰によって、確信を持って大胆に神に近づくことができるのである。” 神の目的は、大胆さと自信を持ち、神の御座に近づくことであることをご存知ですか? 私たちは神の家族なのです。パウロは私たちのために祈ってくれていたのです。私たちは、主が私たちのために持っておられる愛について、十分に根拠を持ち、確信する必要があります。 もし、あなたの実の父親が、あなたへの愛と、あなたに最高のものを与えたいという気持ちから、あなたに財産を与えたのなら、私たちには限界のない父親がいることを知ってほしいです。 しかし、彼は私たちが守らなければならないルールを与えています。彼は、罰を与えたくなく、あなたに性質を作りたいからです。彼は、あなたの内面を向上させたいと考えています。 キリストにあるあなたが何者であるかを知り、あなたが地上でキリストをよく表すことを望んでいるのです。世間はそれを見ることができませんが、子供たちの中に天の父の性格を見ることができます。神をも恐れぬ私たちを採用してくださったのです。彼は私たちの生活をあらゆる面で向上させたいと考えていますが、それには私たちの協力が必要です。だから、私たちは彼の道を歩まなければならないのです。神様があなたをとても愛していることを知るために、あなたは心を新たにしなければなりません。 愛は感情ではありませんが、愛されていると感じることはとても良いことです。 […]
あなたのレガシーはなんだ?
自分の生き方を考えたことありますか? もし、あなたがいなくなったら、あなたの教えは受け継がれるものでしょうか? それとも、すぐ忘れるものでしょうか? 人びとは私たちがいなくなったら「恋しい」といった思いを感じるのでしょうか? それとも、その反対の感情を抱くのでしょうか? もちろん、この世を去った時だけではなく、様々な場面について話しています。部活・学校・職場・教会など、様々な場面で人と接し、教える場面に対面します。 言葉を使った教えだけではなく、私たちの生き方は何を教えているのでしょうか? 12月に入って、レーマ聖書学校で「神様の性質」という科目で、中村光子先生の通訳をしていて、神様の性質について沢山学んでいます。 学んでいる中で、「神様は情け深い」と書いてあって、沢山の聖書箇所があり、そのうちに詩篇86篇15節も記載されていました。 レガシーとどんな関係があるのかと言いますと、 皆さん、聖書に書かれているヨナをご存知でしょうか?すごく簡潔に述べます。。(しかし、是非ヨナ書を読むことをお勧めします。) ヨナは主の召しがあり、御言葉を受けたのです。 ヨナ書1章2節(新改訳) 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」 しかし、ヨナは主の御顔を避けて、ニネベの正反対の町のタルシシュに向かおうとしました。ところが、主の臨在から逃れることはできません!(詩篇139章にも書かれている通りに) それで、不順な心のせいで沢山の悪影響を及ぼした。しかし、主は魚を備えてヨナを飲み込ませ、ヨナは悔い改め、主は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させた。再び、ヨナに主の言葉があって、ニネベに行って、悔い改めるようにと言いました。ヨナはその通りにして、人々や国王まで全員悔い改めました! ヨナ書3章10節(新改訳) 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らを下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。 ここに書かれている「思い直し」は「後悔」の意味ではなく「憐れんだ」ということです! ヨナ書4章1~3節(新改訳) […]