主に待ち望む

私たちの日々の生活はやることに追われています。

起きて、仕事をし、家に帰ってからは家事や子育て、明日の用意をして寝る。そのような毎日を送っている人が多いと思います。

同時にたくさんのことをやり、会社や学校での課題があり、責任をがあります。

それによって、頭の中は「次、何をやるべきか」「どうしたらいい?」「どうして問題が早く解決されないの?」そんな疑問や心配でいっぱいになってしまっています。

あれやこれやといろんなことに手を出してしまって、結局全部自分で背負ってしまう、何かしていないと落ち着かない。そんなこともあると思います。

教会でも、ある人は神様がその人に導いていないことも「私がやらなきゃ」と思ってやり、責任を負います。そして、体や心が疲れきってしまいます。

家族、仕事、社会の中でやるべきことはありますが、神様は体に支障がでるまでやる事を与えません。なぜかというと彼は良いお父さんだからです。

それはお父さんが子供に持ってる人生のモデルではありません。

みなさんは、この地の創造主である永遠の神は疲れたり、弱ったりしないことをご存知でしたか?それは私たちの理解をはるかに超えるものです。

‭‭イザヤ書‬ ‭40:28-29‬ ‭

「まだわからないのですか。 全世界を造った永遠の神は、 決して疲れたり、衰弱したりしません。 神の知恵の深さを推し測ることができる者は、 一人もいません。 神は疲れた者に力を、弱い者に活力を与えます。」

私たちの神はクリスチャンのエネルギーの源です。源は常に湧き出ていて、途絶えたりすることがありません。そしてそれを皆に分け与えてくれています。

私たちがエネルギーが足りなくなっても神様からもらうことができます。

例えば車とガソリンで考えてみましょう。

車が走るにはガソリンが必要不可欠です。満タンの時は早く走ることができますが、時間と走る距離によって少なくなります。少なくなりすぎると赤いランプが点滅したり、車が走らなくなります。車自体にはガソリンがないと力がないのでどうしようもなくなってしまいます。

その解決方法はただ1つだけです。それはガソリンスタンドにいって給油することです。給油してもう一度走ることができます。

私たちの人生も同じです。人間はスーパーマンではないので誰でも疲れます。

聖書にもこのように書いてあります。

イザヤ書‬ ‭40:30‬ ‭「若者も疲れ果て、 若い男も限界に達します。」

‭‭

年齢に関係なく誰でも疲れます。しかし、私たちには神様から給油してもらうことができます。神様と繋がり、深い関係を持つことでエネルギーをもらうことができます。

もう1つクリスチャン人生で大切なのは、信頼して休む、主に待ち望むことです。

時々、待ち望む事と怠ける事を勘違いして「じゃあ、何もしなくてもいいんだー!!」と思ってしまう人がいますが、怠ける事と待ち望む事は全く違います。

待ち望むことは何か行動をして、それがもう起こったと信じ期待することです。信仰によるものです。

一方、怠けることは何の行動しないでただ単に楽をしようと思うことです。

聖書では待ち望む、信頼して休む事を言っていますが、「怠けなさい」とは一切言っていません。

詩篇37:34で「主を待ち望み、その道を守りなさい」と言っています。ここからわかるように、待ち望んでいる間も信仰の行動をしています。腕を組んで何もしないのは信仰の行動ではなく、神様は喜んでおられません。「信仰なしでは神様を喜ばすことができない」からです。

イザヤ書‬ ‭40:31‬「 ‭しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、 わしのように翼をはって、のぼることができる。 走っても疲れることなく、 歩いても弱ることはない。」

「待ち望む」という言葉はオリジナルのヘブライ語では、待つ、求める、一緒になる、集まるという意味があります。

なので、主を待ち望むためには、主と一緒にいて待つことを意味します。

そしてワシのように高く飛ぶ時全体を見ることができ、私たちに与えられている目的を知ることができます。

忙しい日々の生活の中でも、何をすべきか目的を知り、神様からエネルギーをもらい進み続け、後は神様に信頼し、待ち望むことが大切です。

目的もエネルギーもなく、待ち望む事を知らないと、何のためにやっているかどうすべきか何もわからなくなってしまいます。

しかし、あなたが主に求める時あなたの目を開いてくれます。

疲れてもいつでも力を与え、助けてくれます。

あなたの全てを主に委ね、待ち望み、主から来るエネルギーが溢れる人生を生きていきましょう。