私の牧師は「クリスチャンでいることは豪華です」とよく言いました。なぜそういう言葉を使ったのかといつも興味深く感じていました。しかし、イエスキリストを受け入れ、クリスチャンになった人は、全く新しい人生を受けいれ、また、その新しい人生の中に利点ばかりがあるので、もちろんクリスチャンでいることは豪華です。それを証明するためにいくつかの聖書箇所を引用したいです。 ヨハネ 1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 まず、クリスチャンになることは神様の子供となることなので、それだけでもかなり深い意味が持たれていると思います。それは、宇宙も全世界を創造した神様の子供になるのがどれ程素晴らしいかと考えさせるからです。 ハガイ 2:8 銀はわたしのもの。金もわたしのもの。――万軍の主の御告げ―― また、神様が全てを創造しただけでなく、全てを持っておられるお方なので、その意味で豪華すぎると思いませんか。それに加えて、私達の必要性をみなご自身の富をもって、満たしてくださることを約束してくださっています。 ピリピ 4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。 クリスチャンでいることは豪華なことなので、それを知らずにいれば損だと思います。 また、神様が私達に何を用意して下さっているかを知るには聖書を読むことが不可欠です。なぜなら、聖書に「みことばを思い巡らす人は成功する」と書いてあるからです。 ヨシュア 1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。 残念ながら、多くのクリスチャンは聖書を読んでいないため、あまり霊的に成長しておらず、逆境が来る時に自分に与えられた霊的な武具を使うことができなく、神様が何を約束してくださっていることも知らずに、絶望したりします。しかしながら、信仰の上でみことばで養われたらそのクリスチャンが敗北することはありません。なので、私が深く推薦したいのは、毎日聖書を読み、それを思い巡らし、学んだことを行動に移すことです。そうすることによって、あなたは必ずいつも勝利に導かれると信じます。 そして、多くの人はクリスチャンになる時に、自分が神様の恵みや臨在に相応しくないと思ってしまうことがありますが、そういう思いを受け止めないでほしいです。なぜなら、イエスキリストが死んでよみがえった理由はあなたが神様の恵みに値する人となるためで、あなたは神様の全ての祝福を受け取るに相応しくなったからです(コロサイ1:12)。過去の過ちを忘れても問題がなく(IIコリント5:17)、自分も霊的に成長しているので、たまに失敗したりすることがあります。しかし、犯した罪を悔い改めて神様に告白すれば十分です(Iヨハネ1:9)。それ以上、他にする必要はありません。 次に、深く励ましたいのは、教会に通い、牧師からみことばを教わることです。それは聖書的な教えだからです。 […]
Tag: 生まれ変わり
2つのタイプの人
ヨハネ3:5,6 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。 イエスキリストは天の御国にアクセスできるように、秘訣を教えてくださいました。それは生まれ変わるということです。 「生まれ変わり」という言葉を初めて聞くと、どういうことなのか、様々なことを考えると思います。 イエスキリストと話していた宗教家のニコデモさえも、「生まれ変わり」が何のことなのかはっきり分かりませんでした。 しかし、イエスキリストの説明を通して大切な啓示を掴むことができます。 その啓示とは肉によって生まれた人と御霊によって生まれた人の2つのタイプの人がいることでした。その二つの違いを理解することで、聖書の解釈だけではなく、私たちの人生様式にも変化をもたらします。 まず、肉によって生まれた人は、永遠の命を得ていない、自然の人のことを指しています。別に、ある宗教に属しているからと言って、永遠の命を持っているわけではありません。それは肉によって生まれる人は普通の人で、霊的なことが理解ができないからです。 Iコリント2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。 また、肉によって生まれた人は自分の視覚が行く範囲まで、または、自分の持っている知識の限りまで、生きようとしています。もし、あることが自分の知識の範囲を超える場合はそれを信じないようにします。だからといって、全てを理解しているわけではありません。ただ、そういう人は感覚によって生きるのです。なので、自分が肉体上で体験したことであり、感覚で確かめることができれば、信じることにしています。 しかし、御霊によって生まれた人は神様の命をもち、霊によって生きます。なので、霊的な人は霊的なことを理解することができます。 Iコリント2:12 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。 ニコデモは宗教家だったにもかかわらず、霊的なことを理解することができませんでした。それは自分がまだ御霊によって生まれていなかったためです。 ヨハネ3:4,9-10 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」…ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。 同じように、現在も教会の中で、教会に通っているが、まだ御霊によって生まれ変わっていない人がいます。例えば、自分は、牧師の息子なので、生まれてからいつも教会に通い、教会で育てられたが、心からイエス様を主として告白していないため、まだ御霊によって生まれ変わっていない人もいます。その人達は、教会の活動に参加して、また、教会の人たちのように、クリスチャンらしい話し方をしても、霊的なことは深く理解できないし、神様と真の関係を持っていないのです。牧師の息子であり、教会で育てられたため、御霊によって生まれたと勘違いし、だまされています。 御霊によって生まれた人と肉によって生まれた人との生活様式の大きな違いは信仰です。肉によって生まれた人は、上に挙げたように、感覚によって生きるのです。しかし、御霊によって生まれた人は信仰によって生きるのです。 IIコリント5:7 […]