最近、私は多くのクリスチャンに対して懸念していることがあります。信者として私たちはこの世と合わせてはいけないと聖書から教えられていますが、結局、私たちはこの世の人たちと同じような行動を取っているのではないかと、私は考えています。特に自分と違う性格の人と接する時、私たちは神様の愛を表すことができているのか、それとも愛の不足を正当化し、そういう人たちを避けているのかを一緒に考えたいです。 この世の人は神様の愛を知らないので、自分の性格と違う人だと、その人とかかわることを避けるのは普通ですが、クリスチャンの間ではどうでしょうか。 まず、正しくて聖い性格というのは存在しているでしょうか。クリスチャンの間でよく勘違いされているのは、おとなしくていつも丁寧な言葉を言う人はとても謙虚な人に見えることです。しかし本当にそうなのでしょうか。しつこく質問して申し訳ないのですが、一緒に聖書をもって考えたいと思うので改めて聞きたいと思います。理想的な性格というのはあるでしょうか。聖書的でしょうか。それを聞いている理由は、教会の中で理想な性格の人が求められていて、その理想に合わない人は肉的と決め付けられることがあると思い始めたからです。理想な性格の条件は誰によって決められるでしょうか。 自分が苦手な性格の人を避けるのは、健全ではないと思いますし、聖書で教える愛と違います。確かに違う人と関わると面倒なことがあります。それに相手とぶつかり合うことは不可避です。なので、聖書を見ると、神様はわざと性格が異なる人をそれぞれ造ったのではないかと思います。 箴 27:17 鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。 その聖書箇所を見るとわかるように、友だちは欠かせないものです。相手とかかわることによって成長ができ、自分の弱さが現れ、どこを改善するべきか分かります。良い刀のように、人間関係をもって自分の性格も研がれるということです。例えば、調理人はいい料理を作るためによく自分のナイフを研いでいます。それはよく研がれたナイフの方が効率よく料理を作ることができるからです。同じように神様も私たちが御国のために素晴らしい結果をもたらすために、私たちに人間関係を与えてくださいました。しかし、与えてくださった人はいつも私たちと同じ考え方や性格を持つ人だとは限られません。むしろ、自分にない能力を発展させるために、おそらく自分と違う能力を持つ人をあなたの人生に置かれるでしょう。最初はとても不快ですが、本当に成長したいなら受け入れるしかありません。 現在、パンデミックに直面している教会はとても素敵な働きをしていると思います。様々な方法で信者がみことばで養われるようにインターネットや技術を利用しオンライン活動しています。私の教会もそうしています。ところが、クリスチャンはいつもステイホームで、他の信者といっさいかかわらないことは懸念されることです。まず、人間は誰かと交流するために造られました。それから、成長するには、兄弟姉妹との交わりが大切です。しかしながら、パンデミックが起きる前も、他の人とかかわりたくないと、教会を避けていたクリスチャンもいました。それはとても危険な決断です。なぜなら、聖書にそれを裏付ける教えもないし、遠ざける羊は羊飼いから守られていないからです。 イエスキリスト自身は私たちの性格の模範です。しかし、イエスキリストさえ自分と同じ考え、行動をする人たちを選ぶどころか、全く異なる性格の人たちを集め、自分自身の弟子にしました。声が小さく、丁寧な言葉を使う人が最も霊的な人格だと勘違いしてはいけません。選ばれた12人の弟子たちを見ると、おそらく私であったら、イエスキリストは本当に自分の使徒を正しく選んだのかと疑っていたと思います。ペテロを見れば分かりますが、ペテロが一番行動力があった人にもかかわらず、言うことは極端的で愚かな場合が多かったです。多分弟子たちの中で最も感情を表した人だと考えられます。そして、クリスチャンがよく感動するヨハネはもっと酷かったと思いませんか。みことばを受け入れていない村の人たちに天から火を下し村を焼き滅びるように願っていました。しかも、弟子たちの間で、誰が一番偉いとかの話がいつも争論の原因になったりして、イエスキリストは12人の弟子たちを選んだ時に、何を考えていたのかと思われませんか。では、どうして教会の中で私たちは自分と違う性格を持つ人と認めないのですか。もしかして私たちの性格は彼らより清くて偉いものですか。 新約聖書の英雄である使徒パウロの性格も興味深いです。使徒の働きや手紙などを読むと、パウロと一緒に歩むことは簡単ではなかったことが分かるでしょう。挑戦があるばかりだけでなく、パウロの性格そのものは対応しやすいものではなかったと思います。リーダーとしていつも何でもはっきり言い、行動を求め期待する性格だったし、誰よりも努力していたので、パウロの隣にいるとどういう気持ちだったのだろうかと想像します。 聖書に出てくるのはみな人間です。神様はそれぞれ異なる性格で造り、神の目的を果たすために任命しました。それは私たちが兄弟姉妹と一緒にいるときは一人よりも強いからです。みなそれぞれが異なる能力を持ち、教会の徳を高めます。私は私と違う人を受け入れるのは神様が私を受け入れたように相手を愛することだと思います。もし、ただ相手は私と違ってその人を愛さないなら神様を愛していないことと同じです。 1ヨハ 4:20 もし、「私は神を愛しています」と言いながら、兄弟であるクリスチャンを憎み続ける人がいれば、その人はうそつきです。目の前の兄弟を愛せない人が、どうして、見たこともない神を愛せるでしょう。 わざと神様が異なる性格を造ったことを確信しています。その人たちとかかわることによって自分自身が成長するだけでなく、自分のまだ未熟な能力を発展させ、人生の目的を果たすことができます。一人より多くの人と一緒になった方がもっと遠くへ行き、効果的な働きができ、影響を与えます。苦手な性格の人を避けているなら、自分に神の祝福が現れることを阻んでいる可能性が高いです。神様が私たちにくださった出会いを受け止めていきましょう。
Tag: 人間関係
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あなたは毎日スマホやタブレットを使いますか? 今やインターネットは私達の人生の必需品です。インターネットがなかったら、連絡や仕事ができなくなります。 インターネットには2つの状態があります。 それは、接続と未接続です。 私達の人生にも接続して繋がっている人もいれば未接続で繋がれない人がいます。 未接続の人: 神様を知らない人、神様を知ってるけど繋げてない人。 接続中の人: 神様と繋がってて、聖書や祈りを通して神様と話したり、神様からメッセージをもらってる人。 神様はインターネットのような存在です。私達が話したいとき、いつでも話すことができて、私達の話(祈り)を聞いて、答えてくれます。 ギガがなくなることもありません。 でもインターネットが切れることがたまにあります。それは神様が遠いからじゃなくて、私達がインターネットがない場所に遠ざかってしまって問題が出て切れてしまいます。 でも、切れてしまっても解決方法があります!もう一回パスワードを入れればつながります。パスワードは….イエスキリストです。 イエスキリストを私達のパスワードどして生きるとき、神様からの愛のメッセージをもらうことができます! イエスは私達と神様を繋げるために地上にきました。 ヨハネの福音書 8:32 あなたがたは真理を知り、その真理があなたがたを自由にするのです」と言いました。 イエスこそ私達の真理です。 ヨハネの福音書 […]