主を畏れる

‭‭マタイの福音書‬ ‭5:14-16

『あなたがたは世の光です。丘の上にある町は夜になると灯がともり、だれにもよく見えるようになります。あなたがたの光を隠してはいけません。すべての人のために輝かせなさい。だれにも見えるように、あなたがたの良い行いを輝かせなさい。そうすれば、人々がそれを見て、天におられるあなたがたの父を、ほめたたえるようになるのです。」

私たちには、福音を宣べ伝える責任があり、神様の目的に従って生きる必要があります。この聖書箇所では、私たちは世の光だと言っています。光は輝くためにあって、そして暗闇があるところに届かなければなりません。私たちにある光はとても強い光で、この光は隠しようがないんです。その光は輝かせないといけない、人々の心に届かなければいけないのです。

それが光の目的です。

そして15節では、その光は隠してはいけないと言っています。

キリストにある私たちのアイデンティティには、神様の栄光と臨在を映し出す目的があるのです!神様がみなさんを創った時、神様の性質で創りました。なので、神様は私たちを光だと言ってるのです。

では、皆さんに聞きます。

あなたの行動は神様の光を輝かせていますか?

私たちが神様の光を輝かせるためには、主を畏れる必要があります。

‭‭イザヤ書‬ ‭33:5-6‬ ‭口語訳

「主は高くいらせられ、高い所に住まわれる。 主はシオンに公平と正義とを満たされる。 また主は救と知恵と知識を豊かにして、 あなたの代を堅く立てられる。 主を恐れることはその宝である。」

ここでは主を畏れることは、宝であると言ってますよね?

『おそれる』という字はほとんどの聖書では恐怖の方の恐れるを使っていますが、正確に言うと、『畏れる』の方です。

私たちが主を畏れることは恐怖や怖がることではなく、神様は偉大なお方であり、私たちより優れていることを知っているからこそ、神様に対して尊敬する気持ち、敬意を持つ、その意識を持っているのです。

ルカの福音書10章27節では、心を尽くし、思いを尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、あなたの神である主を愛しなさい。と言っています。

神様に対して尊敬する気持ちというのは、ただ神様ができることだけではなくて、神様が誰であるかを敬うこと、敬意を表すこと、褒め称えること、そして従うことなのです。

マタイの福音書6章21節にはこう書いてあります。

マタイの福音書6章21節

あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。

あなたの宝はどこにありますか?

あなたが最優先にしているものはなんですか?

時間を費やしているものはなんですか?

どんな計画をしていますか?

何を考えているのですか?

あなたはどんな行動をとっていますか?

これらすべてはあなたの宝です。そしてその宝があるところにあなたの心があります。

イザヤ書33節6節には、主を畏れることが、その財宝であるとあります。主を畏れること、主を敬うことはあなたの宝ですか?

あなたがこの世の光なら、光を輝かせたいのなら、まずは主を、神様を敬ってください。神様を畏れてください。

あなたの行動や言動が神様を敬うこととはかけ離れているのなら、その光は輝かせることはできません。神様は私たちの中に住んでいます。あなたが行く場所には必ず神様もそこにいます。

ブラジルにあるいのちの言葉教会のユースリーダーがとても興味深いことをユースの人たちに伝えていたのです。

ある若い人たちがその人に聞きました。

「これってやっていいの?」「この服着てもいいの?」「これ見てもいいの?」「聴いてもいいの?」「この場所に行ってもいいの?」

でもそれを文字通りに見ると、9割は聖書に反することじゃありません。

しかし、彼は若い人たちに聞き返しました。

「じゃあ逆に聞くけどなぜあなたはそれをやりたいの?」と。

それを聞いた時に人が必ず答えるのは、「好きだから」「かっこいいから」「楽しそうだから」「興味本位で」

そう思っている人たちは、まだ福音とはどんなものなのかを理解していません。

ガラテヤ人への手紙2章20節

私はキリストと共に十字架につけられました。もはや、私自身が生きているのではありません。キリストが、私のうちに生きているからです。

キリストは私たちのうちに生きています。あなたのうちに生きているのです!

だからあなたが好きだから、楽しそうだからと考える前に、行動に移す前に、なぜそれをやりたいのかを自分に聞いてみてください。

その背後にはどのような影響をもたらすのか?

その行動によって、誰かが不快になるのか?

その行動によって、私たちのうちに住んでいるキリストの存在を傷つけるのか?

考えてみてください。

第1コリント6章12節では、キリストが禁じておられること以外は、何でもする自由があります。しかし、全てが益になるわけではない、ためになるわけではない。と言ってます。

私たちは見るもの、聞くもの、全てに気を遣わないといけないのです。

私たちが聴く音楽や読む本、映画やドラマなど。別にそれがいけないことではありません。しかし、それらがあなたの考え方や行動に悪い影響をもたらしているのなら、気をつけたほうがいいです。

「私は、そんなことは絶対にしないから大丈夫」などと思っている人がいれば、そういう人こそ注意しなければなりません。同じ罪を犯すかもしれないからです。」

‭‭コリント人への手紙Ⅰ‬ ‭10:12‬ ‭

一番良い道は、神様を敬うこと、畏れること、つまり、神様を悲しませ、神様から離れることを恐れることです

本や音楽、映画は人の心を惹きつけて惑わします。人の感情を誘惑するのです。

もし私が神様の御心を熱心に行ってないのなら、それは私が神様から離れて肉体と感情が望むことに多くの時間を費やしてることになるのです。

ピリピ人への手紙‬ ‭4:8‬ ‭では、私たちの思考について語っています。

‭‭ピリピ人への手紙‬ ‭4:8‬ ‭

「さて皆さん。筆を置く前に、もう一つ申し上げたいことがあります。真実なこと、良いこと、正しいことに注目しなさい。きよいこと、愛すべきことについて思いめぐらし、他の人の長所に目をとめなさい。神を喜び、賛美することばかりを考えなさい。」

思考というものは、誰にも見えない内側で起こっているもので、神だけがあなたの心、あなたの思考を知っているのです。

では、この聖書箇所が、誰も見ることのできない私たちの思考について大切なことが語られているのなら、私たちの行動はそれ以上に注意を払う必要があるのです。

あなたの考え、あなたの行動、あなたが着る物、あなたが投稿するもの。読むもの、聞くもので神様を喜ばせ、賛美することで満たしてください。

私たちはこの世の光だからです。

周りに起こっている悪いものに影響されない、私たち自身が神の愛を人々に影響する存在になるのです!