みなさんも大掃除をした時に、「私こんなものあったんだ」って思えるようなものを見つけたことがありますか?
つい最近の話なんですけど、部屋の掃除をしていたら、本に1万円が挟んであるのを見つけました。
その1万円は私が自分へのお小遣いとして使うためのお金だったのですが、財布に入れたら全部使ってしまうと思い、本に挟んでおいたものでした。
しかし、私は挟んでおいたことを忘れてしまい、見つけた時は数ヶ月も経ってしまっていました。
ケネス・ヘーゲン師の本にも似たような話があり、彼が財布に20ドルの紙幣を入れていたのに、そのことを忘れていたことがありました。
ある日ガソリンが尽きてしまい、自分の財布を探すと、財布から20ドルを見つけたのです。何ヶ月も、カバンのポケットにそれをずっと持っていたのに、自分が持っていることを知らなかったので、そのお金を使うことが出来なかったのです。
これらを踏まえて、私が何を伝えたいのかというと、私たちクリスチャンは、新しく生まれ変わった時に神様から様々なものを与えられたのですが、持っているのにも関わらず、自分は惨めだ、神様から良いものを与えられるのに値しない存在だと思っている人がおり、神様が与えてくれた素晴らしいものを忘れてしまってる人がいるのです。
放蕩息子のたとえ話を覚えてますか?
父親は息子2人に財産を分け与えました。
弟は遠くへ旅立ち使い果たしましたが、兄は、父親が持っていたものを全て持っていたのに、使ったことがありませんでした。
財産を使い果たして飢えに苦しんでいた弟が帰ってきた時、父親が指輪や服などを弟に贈り、パーティーをしたことに対して、兄は平等に扱われていなかったことに腹を立て、父親に不満をぶつけました。
その後に、父親が何を言ったかわかりますか?
ルカの福音書 15:31
「すると、父親は言いました。『いいか、よく聞きなさい。おまえはいつだって、私のそばにいたではないか。私のものは全部おまえのものだ。」
兄は全てのものを利用することができたはずです。
しかし彼は自分にある権利、そして父親にとってどれだけ価値のある人なのかを理解していませんでした。
私たちは自分が誰なのか、何が自分のものとされているのかを理解する必要があります。神様が私たちにみことばをお与えになったのは、何が私たちのものであるかを私たちに教えるためです。
みなさんは自分が誰なのか、どのような存在なのか、そして神様は私たちに何を与えてくださったのかを考えてみたことはありますか?
聖書にはそのことについてはっきり示してくれてます。
私たちは、
圧倒的な勝利者です。(ローマ人への手紙8:37)
神に愛されています。(ヨハネの福音書3:16)
選ばれた人です。(ペテロの手紙I 2:9)
神が私たちに与えられたものは、
あらゆる祝福(エペソ1:3)、癒し(1ペテロ2:24)、平安(ヨハネの福音書14:27) 、権威(創世記1:26)そして、永遠の命(ヨハネの福音書10:28)です。
上記で記した聖書箇所以外にもまだまだたくさんありますが、このように、聖書は私たちを優れた立場に置かれていることにお気づきですか?
神様は私たちにとても良いことを言っており、そして素晴らしいものをお与えになったのです。
なので、私たちはこれら全てに利益をもたらさないといけません。
神様が私たちに与えてくれたものを受け取り、自分の立場に立ち、自分が持っているものを強く握りしめてください。
大掃除をした時にだけ見つかるものにしないでください。
掃除をする時は、整理整頓をし、必要のないものは捨てますよね?
しっかり整理をする事によって、自分が欲しいものが必ず見つかるはずです。
私たちの人生もそうです。
私たちの人生に、悲しみや恐れ、不安が来ようとしても、心の中にみことばをしっかり持ち、神様から与えられたものを理解しているのなら、それらに立ち向かうことが出来るはずです。
ヨハネの福音書 14:27
「あなたがたに贈り物をあげましょう。あなたがたの思いと心を安らかにすること、それがわたしの贈り物です。わたしが与える平安は、この世のはかない平安とは比べものになりません。だから、どんな時にもおろおろしたり、恐れたりしてはいけません。」
年末年始にある福袋はご存じですか?
年始の初売りなどで、色々なものを詰めて封をして販売する袋ですが、
封をしていることで中身に何が入ってるのかわかりません。
中身がわかるためには、当然開ける必要があります。
私たちも、新しい人生を神様から受け取った時、神はたくさんの贈り物を与えてくれました。
しかし、多くの方はその贈り物を開けずに、心の隅に閉まっている方がいるのです。
あるいは、与えられたことを忘れてしまっている人がいます。
だからみなさん、神様がくれた贈り物を開けましょう!
私達は、神様の素晴らしいものを受けるに値する者達です。
聖書を開いて、私たちが誰であるか、そして私たちが神様によって何を持っているかを認識しましょう!