あけましておめでとうございます あなたが今年、神様との関係をもっと深くなり、そしてあなたの人生を通してより多くの人が祝福され、救われ癒されることをお祈りし求めます。 クリスチャンとして私が他のクリスチャンと交流してよく悩んでいるのは、彼らが本当にクリスチャン生活を楽しんでいるか、またそれによって充実に生きているかどうかということです。 多くの人はサークルのように教会に行っていますが、はたして礼拝で聴いているメッセージから神様のいのちを受けて取っているでしょうか。実際に、私自身が気を付けているのは、信仰生活を活動的なものとして行わないことです。つまり、私は、クリスチャンとして、ただ教会の活動をするために存在しているわけではないということです。私がクリスチャンになったのは唯一の神様と関係を持つためです。 特に牧師は、クリスチャン生活をただの活動として生きる傾向が高いと思います。それには、メッセージを用意するときだけに祈ったり、一生懸命聖書を勉強したりすることが当てはまります。だからこそ、私は他の誰よりも、活動家にならないように気を付けています。 私が神様を求めるのは、日曜日にメッセージするからではなく、毎日神様を、きのうよりさらに深く恋をするように求めたいからです。教会を指導するためだけに、導きを求めるのではありません。私は神様を喜ばせたくて、よりに深く神様を知りたいので、神様との時間を費やします。私はプロフェッショナルの牧師ではありません。私は、イエスキリストが言った真の礼拝者です。私は神様の子供です。 ヨハネ 4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。 真の礼拝者は、神様を礼拝するための場所と時間は制限されていません。真の礼拝者はいつでもどこでも真と霊をもって神様を礼拝します。また、どのように神様を喜ばせるかを常に思い巡らします。 事実、真の礼拝者は一日中、神様を喜ばせる方法を考えています。そして、自分が行なっていることが全て神様の計画であるのかを考慮します。なぜなら自分の時間と行動を少しも無駄にしたくないからです。真の礼拝者は神様に恋しているからです。 2コリント 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。 この通りです。私たちは神様に恋をしなければなりません。そして、日々を重ね、さらに恋をするべきだと思います。なぜなら、私たちに永遠のいのちを与えてくださる唯一の方は神様だからです。また、私たちが、一切神様を求めず、神様に相応しくない罪人であった時にでも、神様は私たちを愛してくださり、恵みの上で私たちを救ってくださったからです。どうしてその素晴らしい神様を愛さないのでしょうか。 2テモテ 1:6 それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。 ある人はこう考えるかもしれません。「私はイエスキリストを受け入れた時、とても情熱なクリスチャンだったですが、最近、聖書を読む気もありません」。しかし、神様への恋の炎を燃え立たせる責任は私たちにあります。 おそらくどこかで妥協して、ぬるい霊的生活になってしまったのではないでしょうか。事実、私たちは愛の歩みで失敗して、そこで悔い改めないと、少しずつ霊的に冷めてしまいます。また、聖書を読む時間、また、祈る時間を大切にしない時、自分が気付かないところで、かなり神様の臨在から離れてしまいます。なので、どれほど忙しくても、神様との交流の時間を惜しみなく費やしてください。確実に神様を愛しており、神様を第一にしたいと思っているなら、犠牲を払う覚悟しなければなりません。 […]