もし成功の秘訣が本当に存在するなら、あなたはどうしますか。成功するために、人生をかける覚悟ができているでしょうか。おそらく、成功したくない人は一人もいないと思います。もし「成功したくない」という人がいれば、かなり強い表現ですが、偽善者だと思います。人は誰でも成功したいと思うものです。なので、たくさん勉強し、一生懸命働いて、家族のために良い物を備えようとします。「成功したくない」という人は、おそらく自分を謙虚な者として見せようとしているか、人生で色々苦労したり失敗したりしてしまい、今は精神を滅ぼすまで努力しないと決めたかと思います。しかしながら、私達は本当なら成功したいと考えているはずです。 成功し、栄えることは別に悪くありません。むしろ、神様自身はみなに成功し繁栄してほしいと願っていることを、今日は聖書をもって証明したいと思います。 読んでくれている皆さんに「あなたが成功しても良い」と言っている3つの聖書箇所を紹介したいと思います。他にもたくさん聖書箇所あげることができますが、今回は、旧約聖書から新約聖書まで「成功の秘訣」を教えながら、その3つの聖書箇所に書かれている真実を信仰の上で受け取ってほしいです。 まず、私の大好きなヨシュア記の聖書箇所をあげます。ヨシュアは、神様に約束された地に入る前に、使命が成功するように、神様にこう命じられました。 ヨシュア記 1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。 「律法の書」と書いているところを「みことば」として理解していただきたいです。なぜなら、「律法」は当時、イスラエルの民に与えられた神様のみことばだからです。また、律法は現在、旧約聖書の始まりの部分なので、「律法の書」を「みことば」に変えても間違いではありません。その理解をもって、皆さんに、改めてヨシュア記1:8を読んでいただき、質問したいと思います。 あなたの成功はだれにかかっているでしょうか。 答えを見つけたでしょうか。多くのクリスチャンは残念ながら、成功や繁栄に関して完全な理解ができていないため、成功していないことを神様の責任にし、自分の人生がうまく行っていないのは「それは神様のみこころです」というような言い方をしてしまっています。しかし、それは偽りであり、みことばでも裏付けできません。 最初に、上に挙げた質問を、聖書箇所を見ながら、答えましょう。あなたの成功は「あなたのすることで」と書いてあります。つまり、あなたのすることによって、あなたは繁栄するかしないかに分かれます。なので、あなたが成功しない理由は神様にありません。次に、また質問させてください。 ヨシュア記1.8であなたは、何をして成功することができると分かるでしょうか。 自分で読んで答えを見てけられたでしょうか。その聖書箇所に関してさらに分かりやすく理解できるように、別のバージョンを引用します。 ヨシュア記 1:8 人々に、律法をいつも思い出させなさい。まずあなたが、昼も夜も律法を忘れず、それを完全に守るよう心がけなさい。模範を示し、どんなことも律法どおりきちんと行わなければならない。成功するもしないも、すべてその一点にかかっている。 第一歩としてあなたの成功はみことばにかかっていることが既に分かったと思います。まず、みことばを読み、理解し、それを口で宣言する必要があると書いてあります。私は「あなたの口から離さず」と書かれているこの箇所が大好きです。 正にその通りです。みことばを心から守るには、そればかりを言う必要があります。しかし、みことばを宣言するためには、みことばを知る必要があります。もし、みことばに何が書いているか分からなければ、それを宣言することができないでしょう。あいにく、今まで出会ったクリスチャンの中で多くの人は、みことばを知らなかったため、敗北しているように、いつも色々なことで苦労して悲しい人生を送っているようです。また、神様は彼らに最高で幸せな人生を計画してくださっているにもかかわらず、彼らはそれを知らないため、最高な人生を楽しめておらず、サタンに苦しめられています。 ヨシュア記1:8で神様は私達に「成功の秘訣」を教えてくださっています。昼も夜も毎日みことばを思い巡らす必要があります。その次の行動はみことばの知識にかかっているからです。ここで、思い巡らすことはどういうことなのかを少し説明したいと思います。ヨシュア記1:8によると、みことばを思い巡らすことは、みことばを知り、みことばを読み、それを昼も夜も考えて、口にすることです。イエス様も教えたように、口に出ることは心に満ちているものです(マタイ12:34)。もしあなたの心がみことばで満ちているなら、状況に問わずいつもみことばを口にするでしょう。 次に成功するためには、ただみことばを知り、言うだけでは足りません。もちろんそれは大事ですが、全てではありません。多くの人はみことばを知っていることを自慢しますが、それを実践しないなら無駄です。あなたはいくら聖書を宣言していても、信じている通りに歩まないなら、何も効果がありません。なので、みことばを完全に守るように心がける必要があります。状況を問わずにみことばの通りに歩めば、最終的にあなたは必ず成功します。ヨシュアも約束された地を獲得するために、与えられた通りにみことばを守り、色々大変な挑戦をしましたが、最終的に、神様が約束してくださった通りに、約束の地を獲得できました。 […]
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種蒔きの法則
あなたは種を植えた経験がありますか。おそらく学校で教わったのではないかと思います。子供のころ、私は豆の種を巻いたことがあります。一週間未満で伸びた種の芽を見て私はとても興奮した思い出があります。もちろん当時も都市化しつつでしたが、現在の子供は、ますます農業の知識から離れていると思います。ですが、私たちは種蒔きの法則から離れることは不可能です。多くの人は意識していないだけで、人間は日々種蒔きの法則の下で生きています。ただ単に気づいていないのは、種の種類が多くあるということです。 創世記 8:22 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。 種蒔きの法則を定めたのは神様自身です。つまり、地の続く限り、種蒔きと刈り入れはやむことはないと定められています。なので、何かを刈り取りたいなら、まず種を蒔く必要があります。当然、何も蒔いていないなら、何も刈り取れません。 そして、もう一つ興味深いことがあります。農業者は、りんごの種を蒔いて、葡萄を刈り取ると期待をしません。りんごの種を蒔いたなら、当たり前にりんごを刈り取ることを期待するでしょう。また、種の種類によりますが、一個の種を蒔いて、何倍かの実を刈り取ることは普通です。とうもろこしの種の例を挙げると、一個種が十個以上のとうもろこしを刈り取れます。それに、一個のとうもろこしに何十個の種があります。それを考えると不思議と思わないでしょうか。 ここまで、農業を考えて、いくつかの例を挙げましたが、種は物質的の物だけではありません。霊的な種もあります。霊の上で、種を蒔いて刈り取ることもあります。なので、聖書でよく種蒔きの教えが示されています。イエスキリストもよく種蒔きの法則をもって教えをしました。 今回はあまりに細かく種について語るつもりはないので、簡単に言うと、言葉や行動やお金などが種として見なしても問題ありません。例えば、よく教会で引用されるIIコリント9:6をもってパウロはお金を種蒔きの法則に当てはまった献金の教えをしました。 2コリント 9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。 それを読んで、なぜ多くのクリスチャンんは経済的に苦しんでいるか分かると思います。種蒔きの法則に当てはまるお金を蒔いていないからです。種を蒔く代わりに、種を食べてしまっているので、結局、経済的に何も刈り取っていませんし、いつも支援を必要とされています。実際に、聖書は経済に当てはまる種蒔きの法則の教えが多いです。ただ、明白に「種蒔きの法則です!」と記載されていませんが、種蒔きの法則です。例えば、箴言にもよく見られます。 箴言 11:24-25 新改訳聖書 ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。 箴言 11:24 リビングバイブル 惜しげなく人に施しても、ますます金持ちになる人もあれば、財布のひもを固く締めても、一文無しになる人もいます。物惜しみしない人が裕福になります。人を潤すことで、自分も潤うのです。 (ちなみに、上に二つの聖書バージョンを出しました。私はよく利用する新改訳聖書とリビングバイブルです。両方にも同じことが書いてありますが、リビングバイブルの方が理解しやすいので、リビングバイブル版を挙げました。一方で、新改訳聖書版の方が原本に近いので、聖書の勉強のためによく利用します。しかし、理解がしづらい場合、リビングバイブルのように理解しやすいバージョンを読むのもありだと思います。とにかく、クリスチャンになったばかりの方は最初、リビングバイブルを読んだ方が良いのではないかと思います。) 箴言11章24,25節を読むと、そこは第2コリント9章6節の種蒔きの法則と同じ教えだと気づくと思います。 […]
危機から機会へ
私は、以前の記事で危機が来た時、私たちは機会を生み出すことができるという話をしていました。前回言ったように、危機が来るのは不可避です。しかしながら、挫折して絶望するより危機から機会を生み出す方が良いと思います。 残念ながら、多くの人は特に、自分の仕事のことを心配し、どのように請求書や、家賃などを払うかを恐れてたまりません。ただ嘆いてばかりでは、状況に何の変化ももたらしません。それより、危機を乗り越える方法に焦点を当てる方がもっと効果的です。 あなたは危機の中をポジティブな考え方で通ると決断するとき、成功の道に近づいていると言っても良いでしょう。危機からいくつかの利益を見ることもできます。 まず、危機はあなたを考えさせます。あなたは今まで快適な場所にいて、自分の人生に不都合なことがなく、安定していましたが、はたして自分の人生の目的を果たすことができていたでしょうか。 次に、危機は自分の持っている能力を磨き、改善するチャンスを与えます。さらに、古い考え方を新しい考え方に改善するチャンスも与えます。 また、危機の中で本当のリーダーシップが現れます。多くの人は自分の快適な場所から取り出され、今までの生活のパターンも壊されることで、自分の中にある眠っていた賜物を呼び起こされます。 危機は新しい生活様式を生きる機会を与えます。よく考えてみると、危機からあなたの人生の目的を果たす機会が生み出されます。もしかしたら、あなたは今まで平凡な人生を送り、現在の仕事に慣れ、満足をしていると自分に偽りを言っていたかもしれません。危機は神様から与えられたものではないと確信していますが、危機から学べることも多いと思います。また、それは自分が成長する機会です。 ヤコ 1:2-3 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上ない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。 逆境に直面するとあなたの頭も体も心も解決する方法に対して敏感になり、危機はあなたのビジョンの情熱に火をつけます。そして、厳しい挑戦の中であなたの心は普通より鋭くなります。なので、次のことを考えてほしいです。周りの人は、あなたが克服し、勝つと言うことをあてにするのではなく、あなたが、すでに生き抜き、克服したことに信頼を置くのです。危機を通った後は、あなたは今より強くなります。 あなたの人生に起こるものは全て一時的なもので、永遠には留まりません。現在の状況も過ぎ去ります。それで、厳しい時からこそ、自分の考えのパターンを変えるチャンスです。古い考え方は解決を生み出しません。今まで通りに生きていればあなたはその状況に飲み込まれます。しかも、あなたの仕事は危機に覆われている社会に必要とされないかもしれません。なので、あなたは仕事に希望を置いてはいけません。あなたの仕事は、人から与えられ、あなたはその仕事をすることによって報酬が支給されます。また、あなたが仕事で得た能力は今、必要とされないかもれません。しかし、神様があなたに与えた働きはあなたの人生の最後まで必要とされます。 聖書には退職について書かれていません。仕事であれば時期が来れば退職しますが、聖書で教えるあなたの働きはあなたが果たすまで終わりません。つまり、聖書に書かれている人たちは自分の働きが終わった時に、この地上を去って天国に行きました。イエスキリストの人生をはじめ、パウロやペテロなど、他の弟子たちも同じでした。彼らは自分の人生の目的を果たし、終わった時、退職したのではなく、天国に連れて行かれました。 私が言いたいのは、おそらくあなたは、今まで仕事に頼り、ひとまず安定した生活をしていたでしょう。しかし、そこに危機がやってきて、状況が全て自分の手に負えなくなったと思っているでしょうが、神様はその状況に少しも震えていません。むしろ、神様はあなたに託した賜物が働くならあなたが全て状況を乗り越えることを知っています。それは神様があなたを創った時、あなたが直面する状況やあなたが持っている賜物、能力などを知っており、キリストにあってあなたを圧倒的な勝利者にしたからです。 最後にこれを思い巡らせてほしいと思います。あなたの仕事とあなたの働きは違うものです。もちろん、仕事は大事だと思います。イエスキリストさえ大工の仕事をしていた期間がありましたが、人生の最後まで召された働きをしました。また、このことも理解すべきだと思います。それは、仕事をすることで給料が出ますが、あなたの働きは繁栄をもたらしますことです。危機は快適ではないけれど、あなたが創作力を持つようになる機会を与えます。また、それよりも、あなたが本当の人生の目的を探し求めることを促します。それは、あなたの仕事が必要とされなくなったとしても、神様から与えられた働きはあなたの人生の目的でいつも必要とされるからです。 起き上がって!神様の御国のために働いていきましょう!