最近、いつもビクビクしてるクリスチャンや、いつも自信がなく、ネガティブなクリスチャンを見ます。 聖書は、義人(私たちクリスチャン)は信仰によって生きると書いてあるし、教会のブログをいつも読んでくださってる方は、このブログのテーマで信仰が多いのを見ることができると思います。 多くの人は「信仰を知っています」と信仰や御言葉を知識としてのみ理解しています。しかし、実際、彼らの人生で何か問題があるときに「どうしよー。神様ー。」と、泣いていたり、また、神様から何か導きがあったときに「え?どうすればいい?」と慌てたりする人がいます。 どうして、信仰を知ってると言っているのにそうなるのでしょうか。 それは、本当に信仰を理解していないからです。なぜなら、信仰には行動が必ず伴うからです。 ヤコブ 2:17 それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。 信仰に行動がなかったら無意味なんです。なので、頭で理解するだけでは信仰になっていません。多くの人は行動するのに萎縮してしまうんです。 創世記12:1-4: “主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。” ここで主はアブラムに自分が命じるところに行きなさいと言いました。これは、日帰り旅行とかではなく、故郷と家族をおいて出て行くことをいいました。 もし、あなたがある日、神様にこう言われたらどうしますか? 「え?無理。仕事とか、住むところどうするの?」と思いますか?「知らないところに行くのは怖いです。」とビクビクしますか? では、アブラムはどうでしたか? 「アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。」 彼は2度考えることなく、出ていきました。しかも75歳でした。しかし、決して「75歳で体力ないし、無理です。休みたい。寝たい」とはいいませんでした。 神様に従ったとき、全ての備えがあると信じて疑わず、そしてそれを行動に移しました。 これが信仰です。 「神様!信じます!」と言ってもそれに対して何も行動しないと、信仰の途中のステップに止まってしまっています。 […]