私たちには、福音を宣べ伝える責任があり、神様の目的に従って生きる必要があります。この聖書箇所では、私たちは世の光だと言っています。光は輝くためにあって、そして暗闇があるところに届かなければなりません。私たちにある光はとても強い光で、この光は隠しようがないんです。その光は輝かせないといけない、人々の心に届かなければいけないのです。 それが光の目的です。 そして15節では、その光は隠してはいけないと言っています。 キリストにある私たちのアイデンティティには、神様の栄光と臨在を映し出す目的があるのです!神様がみなさんを創った時、神様の性質で創りました。なので、神様は私たちを光だと言ってるのです。 では、皆さんに聞きます。 あなたの行動は神様の光を輝かせていますか? 私たちが神様の光を輝かせるためには、主を畏れる必要があります。 ここでは主を畏れることは、宝であると言ってますよね? 『おそれる』という字はほとんどの聖書では恐怖の方の恐れるを使っていますが、正確に言うと、『畏れる』の方です。 私たちが主を畏れることは恐怖や怖がることではなく、神様は偉大なお方であり、私たちより優れていることを知っているからこそ、神様に対して尊敬する気持ち、敬意を持つ、その意識を持っているのです。 ルカの福音書10章27節では、心を尽くし、思いを尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、あなたの神である主を愛しなさい。と言っています。 神様に対して尊敬する気持ちというのは、ただ神様ができることだけではなくて、神様が誰であるかを敬うこと、敬意を表すこと、褒め称えること、そして従うことなのです。 マタイの福音書6章21節にはこう書いてあります。 マタイの福音書6章21節 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。 あなたの宝はどこにありますか? あなたが最優先にしているものはなんですか? 時間を費やしているものはなんですか? どんな計画をしていますか? 何を考えているのですか? […]