前回のブログで、私達はいつも敬う心を持つべきだと話しました。 私達が敬いの心を持つときに神様は私達を大いに祝福してくれます。 人を敬うのは、ただ丁寧な言葉で話すことや、挨拶をするだけではなく、私達の言葉で、行動で考えで相手を尊敬することです。それは全て心と繋がっています。 私達は、教会の中でも外(会社や学校など)でも自分の上司やリーダを尊敬し、もしあなたがリーダーであるなら、部下や自分の下で働いてくれている人たちに尊敬しなければなりません。神様はそのようにグループがうまく働いていくことを願っています。 家庭の中でも同じです。エペソ6:1-4にはこのように書いてあります。 「子どもは両親に従いなさい。神は、親が子どもを監督する権威を認めておられるのです。従うのは正しいことです。 「あなたの父と母とを敬え。」これは、「十戒」の中で対人関係について言われた第一の戒めで、その後に約束があります。 つまり、「父母を敬うなら、あなたは幸せになり、長生きする」(出エジプト20・12)という約束です。 両親にもひとこと言っておきます。子どもを、いつもうるさくしかりつけて反抗心を起こさせたり、恨みをいだかせたりしてはいけません。かえって、主がお認めになる教育と、愛のこもった助言や忠告によって育てなさい。」 この聖書箇所で私達が見ることができるのは、子供だけが親を敬い、言うことに従うだけではなく、両親も子供に愛をもって尊敬しながら子供を育てることが重要であるということです。 詩篇127:3には「子どもたちは主からの贈り物であり、報いです」と書いてあります。日本では子どもができた時に「子宝を授かる」を言います。「授かる」とは目上の人から与えられるという意味です。なので子どもである宝、贈り物は神様から与えられた、授かったということが分かります。神様は両親にその贈り物を愛をもって大切に育てるよう任務を与えました。 聖書にはその他にも、夫婦関係についても書かれ、夫婦はどのような態度でお互いに接するべきかを話しています。 エペソ5:21には「キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。」と書かれています。どちらかが命令をするのではなく、お互いに尊敬しあいながら、チームとして仕えあうことが必要です。 男女が夫婦となるとき1つになります。なので、神様からの祝福も一緒に受け取ります。しかし、1つであるべきものがバラバラだと、うまくやっていくことは不可能になります。夫婦が1つとして助け合い、お互いの強みと弱みを知り、相手のポテンシャルを引き出すことが大切です。 人間というのは、残念ながら相手の良い所より悪い所にまず目が行ってしまうことが多く、「そんなこともできないの~」「これがあなたの欠点だね」とかネガティブな言葉を相手にかけてしまいます。そこでストレスやもめ事がおこったりもします。それがはじまるときりがなくなります。なぜなら、人間は完璧ではないからです。なので、どんな時でもお互いを尊敬し、愛し合っていくためには、完璧である神様、彼の愛が必要です。 マタイ22:37-39 「イエスはお答えになりました。「『心を尽くし、たましいを尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが第一で、最も重要な戒めです。 第二も同じように重要で、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』という戒めです。」 神様と隣人を愛するのは、報いが欲しいとか見返りを求める為ではなく、私達が神様と共にいるときに神様の性質である見返りを求めない愛が、私達の中に注がれ、その愛をもって愛していくことができるようになるからです。 また、人間関係がうまくいくためにどうすればいいか、知恵も神様が与えてくれます。 箴言4:5-9 […]
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敬う心 パート①
あなたには、尊敬する人がいますか。いつも誰に敬意を払って生きていますか。 会社でも学校でも、誰かに敬意を払うことは必要なことで、とても大切なことだと思います。また、小さい時からそれを教わって育ってきたと思います。 聖書には、お互いに愛し合うこと、敬意を払うことについて何度も言っています。それは、私達が敬意を持つときに、神様から素晴らしいもの、報いを受け取ることができるからです。 敬意という言葉には、価値があるものとして見ること、尊敬すること、重みがあるものなどの意味があります。 なので、私達が敬意を持つとき、相手を尊敬し、価値があるもとして見ることができます。 ある人は、「敬意払ってるよ。だって敬語使ってるから」と言うかもしれません。しかし、敬意はただあなたが話している言葉だけではなく、それ以上のものです。 あなたの内側でおこり、それが外に出てきて態度として目に見える形になります。敬意は私達の話すこと、態度、考えから来て、この全ては私達の心につながっています。 なので、私達の心にいつもどんなことを入れているかがとても大切です。 それは聖書にも書かれています。 第2ヨハネ1章8節を見てみましょう。 彼らと同じ道をたどって、これまでの労苦が水のあわとならないようお願いします。あなたがたには、ぜひとも、主から十分な報いを受けてもらいたいのです。 この前後の箇所を読んだら、よく話の内容が分かると思うのですが、ヨハネはここで、私達がどんなこと、どんな情報、教えを日々聞いて、心の中に入れているかを注意するように言いました。 人達は、神様の教え通りに歩んでいたのですが、偽教師がそれに反対し、でたらめなことを言いふらし始めました。 彼らがその間違った教えに耳を傾け、神様の教えの道から外れていってしまいました。 どんな言葉を聞いて、栄養を蓄えているかによって、私達の成長が変わってきます。 それは、日々の食事と同じことです。栄養のある食事を摂っていると、健康を保つことができ、力がつきます。しかし、悪くなったものを食べると、お腹などが痛くなったりと、健康に害を及ぼす可能性があります。 ここでいう栄養とは神様の言葉、信仰の言葉です。反対に、不信仰、疑い、偽り、不安の言葉は私達の成長を妨げるものです。 なので、自分の中にどんな言葉を入れているかを注意して見なければなりません。 また、間違った教えを聞いて、あなたの大切な時間を無駄にしないでくださいと教えてくれています。 ヘブル13:14 […]