なぜみことばを読むことが大事?

ヨハ 1:1

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

クリスチャンになる時、クリスチャンと交流しているうちに、あるいは、メッセージを聞いている時に、新しい知識だけではなく、新しい体験も多く得ます。その中で、よく聞くようになるのはもちろん「みことば」です。なぜなら、みことばとしてよく知られている聖書がキリスト教の基礎だからです。聖書がなければ、基礎がなく、全てが矛盾するでしょう。しかし、聖書が私たちの信仰の源であり、安全な場所です。今日、聖書の読書の大切さを一緒に考えたいと思います。そして、聖書を読むことを強く薦めたいと思います。

まず、クリスチャンとして理解しなければならないのは、みことばそのものが神様であることです。それは聖書自体が言っていることです。私は、みことばを強調する時に、もちろん物資的な部分である本のことを指しているのではなく、聖書の内容が神様から来たものであり、神様の本質を持っているので、私たちにいのちを与えることもできます。なので、聖書を読むことによって神様の本質そのもので満たされます。

ヨハ 8:32

そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

また、イエス自身がみことばであり、真実です。イエスキリストがこの世にいる間、弟子たちに真実を知る必要性をいつも教えていました。それに、真実を知ることによって私たちが自由にされると教えました。あなたは、今、何かに束縛されているでしょうか。もしかしたら、借金やアルコール依存症などに束縛されているかもしれません。または、何か病気やうつ病なので苦しめられているかもしれません。

しかし、みことばは真実であり、その真実を知ることによってどんな束縛であろうと自由にされます。なので、みことばを知ることは欠かせないことです。

ホセ 4:6

わたしの民は知識がないので滅ぼされる。

上の聖書箇所をよく読んで考えてください。多くの人が滅ぼされている理由は、悪魔が強いとかではなく、知識がないために、敗北しています。私自身が他のクリスチャンと交流している時に、彼らがどれほど悩んで苦しんでいるのかを聞くと、そんなに苦しめられなくてもいいと目を覚めさせたいのですが、多くの場合、彼らは苦しむに値している人だと思ってしまっています。

しかし、神様は私たちが敗北した人生を送ることを願っていないので、私たちにみことばを与えてくださいました。それは、イエスが十字架で達成したものが何か、また、キリストを受け入れてから私たちが誰になったかを理解するためだからです。もし、キリストにあって自分の立場が分かったら、敗北された人生を送る代わりに、圧倒的な勝利者として生きることができるようになるのです。

マタ 4:4

イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

人間は、外なる人である肉体的な部分もありながら、内なる人である霊もあります。体が健康的に成長するために、私たちがきちんと栄養を取らなけらばならないように、内側の部分である私たちの霊も神様から来る食物を受け取って成長する必要があります。私たちがイエスキリストを信じ始める時に、幼児のようになります。なので、聖書はこう言います。

1ペテ 2:2

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

なのでみことばを受け取ることによって霊的にも成長しないといけません。実際に、成長するには、3つの要素が必要です。

その3つとは、

①聖書を読むこと

②読んだ箇所を思い巡らすこと

③学んだことを実践することです。

長年、教会に通い、メッセージを聞き、聖書の基本的なことを知っているクリスチャンが多くいると思います。しかし、学んだことを本当に実践しているかを聞いてみたら、残念ながら実践していないクリスチャンが何人かいます。そのため、彼らは霊的の分野であまり成長しておらず、いつも乳を必要としていますが、神様は、彼らが成熟した人の食物で養われることを期待しています。

ヘブ 5:12-14:あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。

霊的な成長のために神様のみことばを読み、思い巡らすことは不可欠です。それに加え、学んだことを実践することによって成長します。なので、霊的な視点から見ると、成長は長年教会に通うことからではなく、みことばを実行することから始まります。そのためには、毎日、みことばを読んで思い巡らす必要があります。

エペ 6:17

救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

最後にみことばは私たちの攻撃の武具もあることを知っていただきたいです。なぜなら、イエスキリストを受け入れ、自分の霊が新しくされたにもかかわらず、まだ自分の頭、考え方を一新する必要があるからです。それはみことばを通して行うことです。

日々、私たちに様々な考えがやってきます。しかし、全ての考えが神様から、または、私たちから来るわけではありません。悪霊たちも私たちを騙し神様から離れさせるように、様々な曲げた考えを与えることによって、私たちに影響しようとします。悪魔は特に恐れや不安などをよく頭の中でささやきます。

しかしながら、そのような考えが来る度に、私たちは学んで思い巡らしたみことばをもって宣言をする必要があります。そうすることにより、私たちは悪魔の戦略を打ち壊し、真実を得た知識によって乗り越えることができます。

結論として、このブログを読んでくださった皆に、もっとみことばと時間を費やすことは損ではないと励ましたいと思います。むしろ、日々、みことばから流れるいのちを受けることにより、自分がますます強くなり、多くの人のために悪魔の業を打ち壊し、人たちを自由にするために用いられます。

最初は分かりにくかったとしても、自分の内に宿っている聖霊様の助けを祈り求めることにより、助けをもらえると信じます。また、教会で牧師や成熟した兄弟姉妹から助けをもらえると思うので、教会に行くことも怠慢にしないように推薦します。