クリスチャンの中には救いを頭だけで理解し、そこでストップしてしまっている人がいます。神様が計画している道を知らずに、また果たしてほしいことを知らないままクリスチャン人生を生きている人達が多いです。
もっと神様が私達に行ってくれたことを知る必要性があります。
神の御心を知らないため、多くのクリスチャンは苦しみ、病気、貧困の人生を過ごしています。
神様の御言葉の聖書箇所はこのように書かれています。
ホセア4:6
わたしの民は知識がないために滅ぼされる。あなたは知識を捨てたゆえに、わたしもあなたを捨てて、わたしの祭司としない。あなたはあなたの神の律法を忘れたゆえに、わたしもまたあなたの子らを忘れる。
聖書の原点を一緒に見てみましょう。
神様はこの世界を造った人です。私達一人一人を造りました。
神様は私達を造ったとき、彼の命を私達に与えました。私達は神の命があります。
私達は神様に似せて造られたので、神様は私達の天のお父さんです。
神様には性質があり、私達が造られたときに、神様と同じの性質を私達に与えました。なので、神様のDNAを持って造られました。
神様は人を造った後に、人に任務を与えました。それはこの地の管理を託すことでした。
創世記2:15
神は、人をエデンの園の番人にし、その管理を任せました。
神様は人を祝福し、園にあるすべての果物を与えました。しかし、たった1つだけ人に掟を与えました。
その掟は聖書箇所に書かれています。
創世記 2:16-17
ただし、一つだけきびしい注意がありました。「園の果物はどれでも食べてよい。だが、『良心の木』の実だけは絶対に食べてはいけない。それを食べると、正しいことと間違ったこと、良いことと悪いことについて、自分勝手な判断を下すようになるからだ。それを食べたら、あなたは必ず死ぬ。」
多くの人は、なぜ神様は良心の木を園の中に置いたのかと疑問があると思います。
神様はその木を植えたのは、人に選択の自由を与えたからです。人の選択次第でした。人は食べてはいけない良心の木の実を食べてしまったのです。
人は神様の掟を破り、罪を犯しました。
その罪により人は霊的に死に、神様から離れた存在となったのです。
罪について聖書はこのように書かれています。
ローマ6:23
罪の支払う報酬は死です。しかし、神が下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠のいのちです。
アダムが罪を犯した日に神様との交わりを失い、霊的に死にました。そして、長い間生きて彼は肉体的に死んだのです。
肉体的な死は神様のオリジナルの計画ではなかったのです。人は永遠に生き、不滅でいることこそがオリジナルの計画でした。
多くの人は神様が死を与えるとか、病を通してなにかを教えたいという異なった考えがあります。他にも罪が許されてなく、ツラい人生を送っている人がいると思います。
しかし、グッドニュースがあります。
神様は人との交わりを取り戻すためにイエスをこの世に送り、私達の身代わりとなって死にました。全人類の罪のため死なれたのです。そのことが聖書箇所に書かれています。
ローマ8:1~2
こういうわけで、今は、キリスト・イエスに属する人が罪の宣告を受けることはありません。 なぜなら、いのちを与える御霊の力が、罪と死の悪循環から解放してくれたからです。
キリストに属する人は罪に定められないのです!キリストは私達を自由にしてくれました!その真理を受け入れて、信じる必要があります。それだけで終わりではなく、信じていることを口で宣言することによって、それがもっと明白になります。