今、世界中の人々が毎日テレビをつけてニュースを見ています。世界中の出来事について、どのチャンネルでも議論しています。また、インターネットのいたるところで悲観的な記事が流れています。 デジタル時代の今、情報がかつてないほどの速さで私たちの手元に届きます。 いつでも好きな時にグーグル検索で情報を集められ、読みたければ何週間もそのトピックスについての記事が読めます。マウスでクリックすること、または指で画面をタップすることで、どんなトピックスに関しても必要なことを知ることができます。それが私たちが生きている現在において、有益な内容であればいいのですが、いつもそうではありません。大量の情報と共に大量の間違った情報が流れてきます。 かつてほどではないにしても、雑誌と新聞が、まだまだ私たちの周りに豊富に流通しています。そして恐れと悲観的な雰囲気も、その中にたくさん見受けられます。 その状況からは、逃れようがありません。一日中、連日、目の前にあります。悲観的な雰囲気がまん延しています。 それに対して、私たちはいったいどんな行動をとっているのでしょうか? 音量を上げています。 リンクサイトをクリックします。ページをめくって次を読みます。 そしてこの悲観的な雰囲気で心を満たします。戦争で起こっているあらゆることを心配し、拡大しているあらゆる新しい病気を心配し、株式市場でのあらゆる動きを心配しています。 不安が高まっている時、人々はニュースに耳を傾けます。安らぎを求めて、または恐れていることについてさらなる情報を得たいからです。ところが往々にして人が言ったことを本当だと信じてしまうことがあります。確認しようと得たその情報源もまた、間違った情報をもとに発信しているかもしれないとは考えもせず、私たちはそこで書かれていることや聞かされることを事実だとみなしてしまいます。 あまりにもセンセーショナルなニュースもあり、もはやそれが現実なのかどうかがわからなくなってしまいます。 真実を探求している私やあなたとは異なり、ジャーナリストと放送局の方針によっては、ニュースにおける事実と意見との間の明確な線引きがあいまいになってきています。 なぜなら彼らは高い視聴率を求めているからです。 でも、私たちが知っているただ一つの「真理」、それは、イエス・キリストは私たちの罪のために死なれたことです。このただ一つの真理は、事実確認され、引用され、情報源として用いられてきました。そして始めから終わりまで神がそこに働いておられるということなのです。発端から結末までです。神は著者であり、編集者であり、その御言葉は完結しています。大げさに騒ぐことはなにもありません。神が真理を隠されたままということはありません。 あなたにニュースを見るのを止めなさいとか、あなたの周りの人を信用してはいけないと、私は言っているのではありません。私が言いたいのは、何が書かれていようと、何が報告されていようと、神はすでに知っておられるということです。神のあなたのための計画は、人間の活動によっては左右されないということです。神の計画は揺るがないし、私たちの周りで起こった出来事によって変わることはありません。 不確実な時代に、神は信頼できる真実な方です。私たちの立てた計画は失敗したり変更したりしますが、聖書のヘブル人への手紙 13章8節 イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。 と書いてありますように主が私たちのために備えておられる計画は必ず成るのです。