主を求める

私たちの存在の目的は「主を求める」こと。

これを達成するために、神は私たちを創造されました。

神を第一とし、心から求めることは、私たちの生活の中で最も重要なことです。

「神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。」

‭‭マタイの福音書‬ ‭6:33‬ ‭

しかし残念なことに、多くの人は自然なことに気を取られたり、神様から焦点を外したり、神を心から求めていないのです。

ルカの福音書10章38節に記されているマルタとマリヤの話で、イエス様がエルサレムへの旅の途中で、ある村に立ち寄った時、マルタとその妹マリヤに会い、彼女たちは喜んでイエス様を家に迎え入れました。

マリヤはイエス様のそばに座り込んで、イエス様の話をじっと聞いてましたが、

一方マルタはというと、どんなおもてなしをしようかとあたふたして忙しく、落ち着きのない状態でした。

そしてとうとう彼女は、イエス様のところへ来て、文句を言いました。

「先生。私が目が回るほど忙しい思いをしているのに、妹ときたら、何もしないで座っているだけなんです。少しは手伝いをするように、おっしゃってください。」 

しかし主は、マルタに言われました。「マルタ。あなたは、あまりにも多くのことに気を遣いすぎているようです。 でも、どうしても必要なことはただ一つだけです。マリヤはそれを見つけたのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

ルカの福音書10章38-42節

その時マリヤにとって一番大切だったのは、イエス様の声を聞き、一緒にいることでした。

一方マルタはというと、善意を持ってイエス様を喜ばせたい、イエス様を歓迎したいと思っていたのですが、イエス様はマルタに、

「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」と言ったのです。

‭‭

イエス様がマルタの行動を通して私たちにもたらしてくださった教えは、

私たちの日頃の行いの中で、どんなに良いことだったとしても、決して悪いことではないことだとしても、それがイエス様を求めることである私たちの主な焦点であるべきものから気を逸らしてしまうことがあるのです。

出エジプト記5章では、モーセがファラオの元へ行く時、神様はこう語っています。

「わたしの民を行かせよ。荒野で聖なる祝宴を張り、わたしを礼拝させるためだ」

‭‭出エジプト記‬ ‭5:1‬ ‭

彼はただイスラエルの民を解放しろとは言ってません。

神様は、彼らに目的があったのです。

「わたしを礼拝するために、わたしの民を解放しなさい」と。

贖いの目的は、神の民を束縛から解放することだけでなく、彼らを神との交わりの場に連れて行くことです。

しかし、ファラオは人々を解放したくありませんでした。ファラオはイスラエルの民を仕事で満たしたので、礼拝について考える時間が全くありませんでした。

そして今日も同じです。

私たちの気を取られるもの、私たちの焦点をぼかすさまざまなもの、神との交わりの邪魔になるもの。

当時、最も重要なこと、つまり神を求めることに集中せず、自然なものだけに気を取られるものがすでにありました。

私たちの時代にはどうでしょうか。

仕事だけではありません。

どんなにそれが良いことだとしても、主を求めるという主な目的から、あなたの焦点をぼかし、気を逸らしていませんか?

 神様は何度も私たちに多くの素晴らしいものを祝福してくださいました。

 しかし、神の祝福した「物」に夢中になりすぎて、祝福してくださった「神」を忘れていませんか?

ルカの福音書14章では、イエス様が神の国について宴席の招待のたとえ話を話してる場面があります。

しかし宴会が始まる時間が来ると、招待客は揃いも揃って口実をつくり、出席を断り始めたのです。

「一人は、ちょうど畑を買ったところなので、これから見に行かなければならないと断り、

もう一人は、五くびき(十頭)の牛を買ったので試してみたいと言いわけをしました。 

またある人は、結婚したばかりで行くことができないと断りました。」

ルカの福音書14章18-20節

しかし、3つのそれぞれの言い訳を見ると、何も悪いことではなく、とても素晴らしいことで、祈りの答えでさえあるかもしれないものでした。

 問題は、私たちが祝福と祈りの答えとしてるものが、宴会への招待を受け入れることを妨げる言い訳になるときです。

聖書が語っている宴会というのは「交わり」という意味です。

 これが、神との交わりに応えられないことの言い訳になれば、どんなに良いことだとしても、それは気を逸らすものになってしまい、もはや祝福ではなくなってしまうのです。

私たちは自分の人生、神との関係を評価する必要があります。

あなたの焦点を奪ってるものは何ですか?

何があなたの気を逸らせていますか?

イエス様は、あなたの存在において最も重要な人である必要があります。

あなたの気を逸らすものに注意し、心から神を求めてください。

神があなたの人生にしてくれた全てのこと、そしてこれからもしてくれるすべてのことについて、常に神に感謝をしましょう。

そして、あなたが勝利をし、気を逸らしてしまう全てのものを克服し、神とより深い関係を築くことができますように。