最高級の敬い

最高級というと、何を思い出しますか?

私は食べるのが大好きですから、すぐに頭に浮かぶのは正直に言いますと肉ですww

さらに、最高級というと黒毛和牛などを良く聞きますよね?

最高級と言えるほどの値段もしますねww

他の人は最高級といえば、ホテルを思い浮かべたり、マンションや車などなど切りがありませんね。。。

じゃ、逆に聞きますが、あなたが持っている最高級の者は何でしょうか??

しかし、今日共有したいのが最高級の敬いの事です。

イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓に着いておられると、

ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、

そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。

「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」そして、その女をきびしく責めた。すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょに

います。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。

しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。この女は、

自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」 

                      マルコの福音書14章3-9節(新改訳)

まず、背景を理解しましょう!!

この時代では給料はデナリという銀貨で支払われていた。

1日の労働で1デナリをもらっていた。安息日を除き、週6日間働いていましたので週に6デナリを取得していた。

彼らのカレンダーでは毎月30日間しかありませんでした。祝日などを1日ほど計算に入れると月に25日間働いていました。ですから、25デナリが月給でした。

25デナリx12ヵ月=300デナリ という計算になります。

要するに、そこの聖書個所に書かれているのは年収に値するほどのナルド油をイエスの頭に注いだと言っているのです!

想像してみてください。彼女の行動を見てください。彼女の立場に立ってみてください!

自分の年収を全てイエスに注がれますか?

どうして彼女はそのような行動をとったのでしょうか?

この行動の意味は彼女の最高級の敬い方をしているのです。

「私には主しかいません」「あなたは私の全てです」「あなたは私の何よりも高価で尊い存在だ」と言っているのです!

なのに私達はどうでしょうか?

自分の一番優れているものを神様に与えているのでしょうか?

最初に聞いたように私達の最高級なもの、ことは何でしょうか?

主に対して自分にできる最高級のことが出来ているのでしょうか?

それとも後回しになっているのでしょうか?

経済面だけを言っているわけではありません!全てに対してです!

彼女は迷わずに行動に移したのです。

地位的ポジションに関係なく、批判、不満、厳しい攻めにもめげずに、彼女は最高級の敬いをやると決めたのです!

多くの場合、主があなたに語った言葉を信じ、行動をとっているあなたに対して周りは批判します。愚かであると言います。馬鹿にします。

なぜなら、自分達が主に言われたことに対して行動していないから批判する方が簡単だからです。自分たちの言い訳になるからです。仲間を見つけて安心したいからです。

でも、最高級の敬いを主にささげたいのなら批判上等ってくらいの根性を持たないといけません!!周りばっかりに合わせてはいけません!!

別に、口うるさい人になれと言っているわけではありません!!

神様と人々とうまくやる必要があります!

しかし、その行動がかみさまの栄光・敬うものでないのなら神様を選ぶべきであると言いたいです。

ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。

                          使徒の働き5章29節(新改訳)

彼女が割ったつぼにも価値はあった、でも重要なのは外側ではなく、パッケージではなく、中身だった!その本質でした!!

私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

                       コリント人への手紙4章7節(新改訳)

つぼは私たち自身を表します!最高級のものを神様に捧げたいのであれば、自分というものを失くさなければいけません!!自分の欲望を殺さなければいけません!!

そう決断すると、主が働いてくれます!

ですから、私達の決断が不可欠です!

自分を生きるのではなく、キリストを生きる!!

どんな敬い方・敬意を捧げたいのか、自分の最高級のものを捧げる決断をしましょう!

彼女が決断して行動に移したその結果は世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となると書いてあります!!

彼女の生き様が私達のインスピレーションとなっています!!

この行動は人に受け継がれているだけではなく、主の記憶に刻まれているものとなっているのです!

今日、主に最高級の敬いをささげる決断をしましょう♪