心を守る

箴言4章23節

油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。

心はあなたの価値観が存在するあなたの内なる人間の部分であり、あなたの思考、感情の源であり、そこから言葉や行動が生み出されます。

マタイによる福音書15章18節

しかし、口から出ていくものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。

心に気をつけてください。それはあなたの人生を汚す可能性のある言葉を生み出すからです。神様が語るのはあなたの心の中であり、命は心から発せられます。神様は私たちの心を素晴らしいことに備えたいと願っておられます。

神様が私たちに私たちの心を分析するよう求められるのは、神様が私たちの人生の物事をスピードアップし、私たちを新たな栄光のレベルに連れて行き、新しい季節に連れて行きたいと望んでいるからです。

悪魔は私たちの心に興味を持っています。

箴言23 章 26節

我が子よ、あなたの心を私に与え、あなたの目を私の道に注げ。

で神様は私たちに心を神様に捧げるよう勧めています。

心はあなたの人生を規定するものです。心が平和であれば、人生も平和になります。心には命のポンぺがあるため、主はそれを守るよう私たちに勧めておられます。私たちがその源を守るなら、神にあって素晴らしいものを享受できるでしょう。

享受とは、受け取って自分のものにすることです。

私たちが神様から何を享受できるかは、私たちの心から湧き出るものによって決まります。

マタイによる福音書5章8節

心の清い人たちは、幸いである、彼らは神を見るであろう。

私たちは自分の生活、家族、経済状況、人間関係において神様を見る必要がありますが、神様を見る方法は心を清く保つことです。

攻撃、恨み、憎しみ、許しのなさから守られます。

私たちは神様の声を聞き、神様の声を私たちの心の中で聞く必要があります。神様が求めているのは形式や体裁ではなく、誠実に主を礼拝する心です。

「形式」は、内容を表現するために整える形をさし、しばしば内容がわかるような形をさす。 「体裁」は、外見だけの形をさし、内容との関係がない。

マルコによる福音書8章17節でイエス様は、弟子たちの心がかたくなになっていると言われました。まだ検討も理解もしていませんか?まだ心が固いのか?

 彼らはイエス様と共にいて、イエス様と共に偉大な奇跡を行った人々でしたが、彼らの心は依然で、神様が何をなさろうとしているのか理解していませんでした。

新しい心を与えられて新しく生まれても、その過程で心を失い、かたくなになってしまい、神様の言ったことを理解できなくなってしまう可能性はあります。

なので心を守ってください!あなたの人生に対する神様の最善を見逃さないでください!神様があなたに立ててくれた計画の道を外れないでください。弟子たちは霊的な感受性を失いました。心がかたくなると、私たちは霊的な感覚を失います。

それを感じず、理解せず、すぐに欺瞞に陥ります。かたくなった心は神様の行いを観察しません。喜びがなく、信仰が湧かず、諦めたままです。

諦めたりすると、霊的に盲目の段階に入り、神様の働きが彼らの中にないため、祝福を保持することができなくなります。

かたくなった心はいつも、何かしら言い訳をしますが、神様は良いお方であることで喜んで私たちの心を変えてくださいます。

実は私も、神様に関するものに全て冷めていました、でもこれら全て理解をした時にまた喜びと希望がきて、どん底にいた私がどんどん少しずつ階段を登り、光が見えるようになりました。

自分の心の状態を知るには、自分の態度を調べてみることをお勧めします。主は私たちの心を試されて、そこから出てくるものに報われるのです。