私達クリスチャンは一つの重要な事に対しておろそかになってしまう時があります。それは神様の命が私達の内側に住んでいることです。
旧約聖書では人間が罪を犯したことによって人間は神様との交わりがなくなりました。そして、神様の臨在の中で生活することがなくなりました。しかし、神様は常に人の間に現れたかったのです。神様の臨在は箱の中にあった時もありました。
1サムエル 7:1-2:
“キルヤテ‧エアリムの人々は来て、丘の中腹にあるアビナダブの家に神の箱を運び込みました。そして、アビナダブの子エルアザルに管理を任せました。その箱は二十年間、そこに置かれたままでした。その間、イスラエルの全家は主に見放されたような悲しみの中にありました。”
2サムエル 6:11:“こうして主の箱は、三か月間オベデ‧エドムの家に置かれました。主は彼の家を祝福しました。”
契約の箱、神様の臨在がある箱は色々な場所に置かれていました。
そしてその約束の箱は20年間アビナダブという男性の家に置かれていました。
そのあと約束の箱は3ヶ月間オベデエドムという男性の家に移動しました。この違う2人の家に置かれましたが、約束の箱が来た後の影響は違いました。
アビナダブの家に20年間も置かれていましたがイスラエルの全家は悲しみにいたと先ほどの聖書箇所で見ることができます。もう1の家であるオベデエドムの家には3ヶ月間置かれていましたが神様は彼の人生を祝福したと聖書で言っています。なぜでしょうか?
その違いは主の箱、契約の箱に対して敬いがあったか、またはそうではなかったかです。オベデエドムは朝起きて、このようにしてたでしょう。主の臨在です。主の臨在がここにあります。私の家に主の箱があるなんて、なんと光栄なことか!その喜びがありました。尊敬していたんです。敬いがありました。
そしてその理解を持っていたのでそれが影響をもたらしたのです。
祝福されていきました。もしアビナダブも彼のように主の臨在を敬意を払っていたならアビナダブは20年間もの間祝福を受けていたでしょう。
皆さんはアビナダブかオベデエドムどちらですか?
ガラテヤ 2:20:
“私はキリストと共に十字架につけられました。もはや、私自身が生きているのではありません。キリストが、私のうちに生きておられるのです。私のためにご自身をささげてくださった神の御子を信じた結果、今、私のうちにはほんとうのいのちが与えられています。”
キリストは私達の内に生きておられます!それは感情で知るのではなく信仰によって受け取ってください。主の臨在が働いている場所では敬意を示す必要があります。
教会での礼拝に対しても敬意を示すことが大事です。ただのクリスチャンの集まりの時間だし、皆でワイワイできたらそれで満足は間違いです。一緒に集まり、イエスを礼拝する時、その場所には神様の栄光が現れます。
アビナダブの家とオベデ・エドムの家は何が違ったのでしょうか?主の箱がオベド・エドムの家に到着すると、彼は神の臨在を尊重しました。どの家庭でも、私たちは主を第一に考える必要があることを理解する必要があります。私たちは時々、私たちの人生に神の臨在がないかのように行動してしまうことがあります。多くの人は特定の礼拝での神の動きを見逃していますが、各集会を大切にすることが大事です。
アビナダブの家の人々は、神の臨在の箱に何の尊重もありませんでした。約束の箱があって当たり前のように生活していました。そして、オベデエドムの家に主の箱が置いてあった期間は3ヶ月でした。その後ダビデ王が約束の箱を取りに来たときに、オベデエドムは言いました。この契約の箱、臨在の箱は王様のものです。どうぞ持ち帰ってください。
しかし彼はその主の箱の臨在の虜になっていました。その主の臨在なしでは生きてはいられなくなったのです。なので主の箱はエルサレムに持っていかれたので、彼はエルサレムに引っ越しました。
そして彼は主の箱が置かれている建物の門の見張り役としてそこにいました。そして他の機会では約束の箱の近くで演奏をするチャンスがあったので、オベデエドムは主の箱の前で演奏しました。彼は主の臨在の近くに居たかったんです。旧約の契約では主の臨在に触れるためには、主の存在の近くに行くためには、主の箱に行く必要がありました。しかし今は違います。新契約は主の臨在が私たちの中に住むようになったのです。
エペソ 3:17:“こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、”
オベデエドムは常に主の臨在の近くに居たかったんです。そして彼はそれを行い続けたことによって人生が大きく変わりました。
第2歴代誌 25:24:
“またオベデ・エドムの管理していた神の宮にあったすべての金と銀、およびすべての器具、それに王宮の財宝と人質を取って、サマリヤに帰った。”
オベデエドムは神様の宮の金と銀を管理をする地位にまで置かれました。オベデエドムが主の臨在の虜になり、それ以外なにも欲しくないという心があったので彼はとても祝福されました!私たちの人生にも神様の臨在に敬意を払うべきです。私たちが主とともに親密な関係になればなるほど、臨在を認識することで、私達の人生に影響を与えます。
あなたがイエスを愛しているなら、あなたの人生には聖霊を通して常に神の臨在が存在します。たとえそれを感じられなくても、あなた信仰によって信じることを励ましたいです。救われた人は、生活の中に常に様の臨在があるだけでなく、神に近づこうと努めることもできます。神様の臨在をもっと求めるのは良いことです。あなたが神様と親密な時間を多く費やせば、私たちは神様の影響力をより多く受け、その時にあなたが受け取ることができる油注ぎも多くなります。
あなたは、イエスとともに歩み、イエスとともに歩んだためにその話し方、教え方、振る舞い方でしばしば認められた弟子たちと同じようになります。神様に近い存在であるため、家庭や家族の中で神様の性質をより多く表現できるようになるでしょう。私たちもイエスの弟子であり、神様と祈りや御言葉に時間を持つことによって自分の中に住む聖霊の声に敏感になります。
なので主の臨在を求めましょう!認識しましょう!イエスキリストは私達の内側に住んでおられます!