光を照らす

私が誕生日の次に好きな月は12月です。

12月はクリスマスシーズンで、町中がイルミネーションで明るくなりますよね。

特に冬って夜になると寂しいイメージがありますが、どんなに真っ暗で何もないところでも、イルミネーションがあることによって外を歩く楽しさが湧いてきます。

そんな綺麗に輝くイルミネーションのように、私たちも神の光を輝かせる必要があります。

「光」と言うものは、私たちの人生に必要不可欠なものです。

光を照らさなければ、真っ暗で何も見えないし、どこに何があるのかもわかりません。

マタイ5章14節には、「あなたは世の光である。」と語っています。

「あなたがたは世の光です。丘の上にある町は夜になると灯がともり、だれにもよく見えるようになります。」

‭‭マタイの福音書‬ ‭5:14‬ ‭

私たちは光です。

暗闇があるところに光を照らす人たちです。

さらにイエス様はこう言います。

「あなたがたの光を隠してはいけません。すべての人のために輝かせなさい。だれにも見えるように、あなたがたの良い行いを輝かせなさい。そうすれば、人々がそれを見て、天におられるあなたがたの父を、ほめたたえるようになるのです。」

‭‭マタイの福音書‬ ‭5:15-16‬ ‭

光を照らすということは、神様の愛を表すことです。

暗闇の中に歩いてる希望のない人々に私たちが光を照らし、永遠の命の道に導くことです。

上で記した聖書箇所に書いてあるように、私たちはすべての人のために光輝く必要があるのです。

今、私たちは情報が不足することのない時代に生きています。

新しいニュースはたった数分で更新できるこの世の中で、とても便利な時代を生きているのです。

しかしそれと同時に多くの人は恐れの中で生きてしまいがちです。

不安定なこの時代には特に、人々はどうすれば良いのか、何が正しいのかと答えを探し、希望を求めているのです。

私たちクリスチャンは、イエス様がしてくださったことを理解して、イエス様が常に一緒にいてくださるという確信を持っています。

では、もし人々が自然災害や感染拡大を始めとする未知の恐怖に接したとき、私たちは光として何ができるのでしょうか? 

危険や不安がおそってしまいそうな時に人々を神様の平安へと導くことです。

イエス様に従うことは、週に一度、教会に行くときにだけするものではありません。

近所の人を助けたり、地域に貢献したり、自分に死に、神様と隣人を優先することです。

人を愛すると言葉にするだけの人々ではなく、本当に心から愛することが大切です。

ただ教会に通うだけの人ではなく、それ以上の存在として知られましょう。

希望をもたらし、暗闇に光を照らすことで知られましょう。

「見せかけだけで人を愛してはいけません。真心から愛しなさい。悪いことを憎み、良いことには賛成しなさい。 兄弟のような愛情で互いに愛し合い、また、心から尊敬し合いなさい。」

‭‭ローマ人への手紙‬ ‭12:9-10‬ ‭

私たちの良い行いを輝かせましょう。

人に良い事をすると、気分も上がります。

最近では、仕事で通訳をやらせていただいてるのですが、そこであるお客様に凄く褒められました。

褒められることって皆、絶対好きじゃないですか。

それを聞いた時、「ありがとうございます。」と少しニコッと笑って言いましたが、内心ものすごく嬉しくて飛び跳ねる勢いでした。

人に良いことをすると、幸せと喜びに満ち溢れて、とても素敵な1日になります。

人を愛し、人を思いやる。

良い行いで、神様の愛を表す。

私たちが心から行うことで、人は私たちの中に他にはない特別なものを見るようになります。

孤独で寂しい人や希望がなく、居場所のない人がこの世にはたくさんいます。

そんな人たちに、私たちが神様の愛を表して、光を照らし、彼らに手を差し伸べて、永遠の命の輝く道へと導こうではありませんか。

自分が持っている光を絶対に隠さず、希望の光を照らし続けましょう。