私は約10年間、妊婦さんたちの通訳者や友人として付き添ってきました。
いろんな方と出会い、病院で働く方々と仲良くなり、色んな事を学び、
たくさんの経験をし、いろんな方の傍でこの大切で貴重な経験を共にしました!!
妊婦健診の時にみる超音波検査では赤ちゃんはお母さんの胎内でとても
気持ちよく、スクスクと成長していきます。
胎内は暖かく、温もり、栄養などの必要なものはお母さんから全て与えられます。
神様はこのような素晴らしい仕組みを女性の体に与えました。
新しい命が元気よく育つためにその前から全て整えてくれます。
だが、出産・分娩の時は少し変わります。
赤ちゃんには赤ちゃんの役割を果たさないといけません!!
胎内から出るように下に向けて力をいれます。
そして、出た時には目を開けて出てくる赤ちゃんもいれば、
目を閉じたまま出てくる子もいます。その時の泣き声もさまざまですww
でも一番最初に彼らの上にあるのは光です。
妊婦さんを見るいつも「信仰」をイメージし、それになぜか、「エデンの園」
というイメージも浮かびます。(私の中ではwww)
初めに、神が天と地を創造した。
地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
神は仰せられた。「光あれ。」すると光があった。
創世記1章1~3節
私はずっと創世記1章に書かれている、
「神は天と地を創造した」・「光あれ」という言葉は私の心に大きく響きます。
「この光はどんな光だろう。。」・「電球無いのになんで光なの?」
「太陽・月・星は4日目に造られたものなのに、この光はなんの意味だろう。。」
「なんで光なの?」・「光あれってなんか力強くて迷いがない。。かっこいい」
といつもこんな風に考えていました。
しかし、創世記1章では神の創造の原理が定められています。
そしてそれは神様の絶対的な独創性である。
神様は初めに天と地を創造しました。しかしそこには形も無かった、
大水の上に神の霊(聖霊様)が動いていた。その後、神はいくつかの要素を創り上げました。
その要素には、段階があり全てつながっています。
意味があってその順に創られました。
最初の創造の原理に定められた要素があります。
光・空と海・地や植物・太陽と月
さらに、第一段階の生物です。
海の生き物と空の生き物
そしてレベルを上げて、地に生きる動物を創り、最後には神自身のかたちとして人間を創造した。
この世界は神が創った素晴らしいもので満たされている。
しかし、日々の忙しさ・不安・悲しみ・恐れで魂が追われているとそれさえ、目に入りません。。詩編ではその素晴らしさを語ってくれています。
主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています。
詩編104章24節
解説していくと。。
太陽はないのにどうして光があるのでしょう?どうして光が最初に創られたのでしょう?
私達が答えを求める時にはいつも理由を探し始めたり、意味を探したり物理的に理解を求めたり、五感で物事を理解する傾向があります。
しかし、聖書を読むと、理解できるのはまず、
最初の光は神様の御言葉・イエス様を表していることです。
次の聖書個所を見てください
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 ヨハネの福音書1章1~4節
わたしが世にいる間、わたしは世の光です。
ヨハネの福音書9章5節
イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。 ヨハネの福音書8章12節
神の霊が水の上を動いていたのですから、それがエネルギーとなり、何もないところに神様の御言葉の光あれといって、その御言葉が光を創り、暗闇を遠ざけた!!
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。 ヨハネの福音書1章5節
神の御言葉自身が光なので太陽も電球も必要ないです。天と地についてこのように書かれています。
都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。 ヨハネの黙示録21章23~24節
ですから、何が先に創られたのかではなく、最初に御言葉が成り立ってそのあとの物事が進み始めます。
それを、理解できるでしょうか。
水の上に聖霊が動いており、今ではイエスの贖いによって、聖霊は私たちの中に住んでおられ、私達が御言葉を告白すると実行されます。
私たちの中に神の命があり、神と同じ霊を持ち、口には御言葉があります。
どんな絶望的な出来事でも、どんな暗闇の中でも、御言葉を放てば光となります。
神の創造に段階があったように私たちの信仰にも段階があります。焦る必要はないということです。
神様は全ての事を1日でも創ることができたと思います。でもそうはしませんでした!
なぜなら、信仰にも段階があるからです。なので、焦らず、このプロセスを大切にしましょう!
光があり、その区別をし、朝と夜に分けて、植物を創り、成長するために太陽と月を創り、全てが整った時点で生き物・動物・人間を創りました。
全てが繋がっています!次のステップのために!!
私たちの信仰も同じです。まずは御言葉を信じて、朝と夜にも口から御言葉を告白し、その植えた種は実ります。その信仰は実行することによって成長し、どんな山でも動かせる力となります。そして放たれた言葉に対して神は既に聞いたと信じ、感謝をします!
なので、御言葉の光がともにいる限り私達は無敵です。
どんな目的で神は天地を創ったのでしょう。
神は何かが必要だから天と地を創造したわけではありません!望んだからです!
神は与えられるよりも与えるためである。
この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちの息と万物とをお与えになった方だからです。 使徒の働き17章24~25節
神が天と地を創造したのは自分自身のエゴを褒め称えるものではなく、創造には神の栄光の現れである。その一つ一つに神の要素が見られます。
創造には神の神聖、愛、真実、誠実さ、力、知恵、善良さ、神自身の性質を、自分が創造した者とこの素晴らしき、豊かな栄光の現れの共有を望んだのです。
「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。 イザヤ書6章3節
この神の良い創造物に対して罪が入り込んだせいで多くの場合、天使たちと同じ目線で見ていないかもしれませんが、この世に神の栄光は存在します。
神自身が言ったからです。いつの日にかこの栄光は完全な表れとなります。
「私が生きているように、主の栄光が、全世界に満ちていく」
民数記14章21節
「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」
ヨハネの黙示録4章11節
御言葉を告白してください!!
御言葉の光を全世界に輝かせてください!!神の栄光をあなたの人生に表させてください。
「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。 第2コリント4章6節
あなたは神の素晴らしい尊い創造物です。あなたの生きる意味はあります。その不安・恐れ・困難に神の御言葉の光を照らし、告白してください!必ず輝きます!