4月といえば、学校では新年度が始まります。保育園では、新しい園児たちが入園し、慣らし保育が始まります。今まで笑い声に満ちていた保育園に泣き声が響き渡るようになります。 それを見ていると、この子達は、今までお家で大好きなママとパパと過ごしていたのに心地の良い生活だったのが変化し、自分たちのコンフォートゾーンから出なきゃいけない、違う環境、違う生活リズム、知らない人たちと関わらなきゃいけなくなるという場面に立ち向かっているということです。大人も変わりはありません。園児だけではなく、先生達も変化のプレッシャーに立ち向かわないといけないんです。いろんな試行錯誤しながら、どのようにして、その子を泣きやめさせるのか、慣れさせるのか、保護者の対応やその他の業務なども考えながら過ごします。 では、その時私たちが新しい環境に対するプレッシャーを感じたり、経験をしている場合は何をしていますか?ヨハネの福音書16章33節によれば、私たちはこの世にいるだけであらゆる方面からプレッシャーを受ける。プレッシャーに立ち向かえないと感じたとき、私たちにはどんな手段があるのだろうか?困難の中で忍耐できない自分に気づいたとき、私たちにはどんな手段があるのだろうか? 霊による祈り(手段その1) ローマ8:26 同じように、御霊も私たちの弱さを助けてくださいます。私たちは、何を祈るべきかを知らないのですが、御霊ご自身が、言葉にならないうめきをもって、私たちのために執り成してくださるからです」 この聖句にある「弱さ」という言葉は、必要なことに対する自分の弱さ、無力さ、力のなさを指しています。あなたは一人ではない!結果を出すことができないと思った時は、異言で祈ることによって聖霊の助けを受けることになります。聖霊は、私たちとの協力なしに一人で取り次いでくださるのではなく、チームワークなの!聖霊は、私たちが正しい方法で、正しいことのために祈るのを助けてくださる御方です。 聖霊は私たちと共に、私たちの弱さに応え、私たちが力を発揮できないときに支えてくださる。これが、異言の祈りが重要な理由のひとつである。 全てのことが働かせて益となることを信じる(手段その2) ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。 私たちが祈るとき、物事が私たちの益となるように働き始める。神に愛されていることを知り、神の完全な御心を祈るとき、あなたの状況は神の御心と一致する。祈りによって、すべてのことがあなたの益となるように共に働くのです。 つまり、あなたは神の祝福を受けるにふさわしいということです。あなたはふさわしくないと感じるかもしれないが、あなたがどう感じるかは関係ないのです。 イエスによって、私たちは神の祝福を受けるにふさわしい者となったのだ。他人に自分を正当化する必要はない。神はすでにあなたを義と認め、神の祝福があなたに属すると決定されたのですから! 神があなたの味方であることを知る。(手段その3) ローマ8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 プレッシャーの中で、私たちは何と言おう?弱さ、無力さ、力のなさのただ中で、私たちは何と言えばいいのか?パウロは、自分が何を言うかによって、自分が何を得るかが決まることを知っていた。何を言うかによって、あなたの心と体が受ける反応が決まる。プレッシャーの中で何を言うかによって、私たちの進む方向が決まります。 神が私たちの味方であることを悟る必要がある!パウロは32節でこう続けている。“私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。”。 もしあなたがプレッシャーにさらされているなら、その代価はすでにあなたのために支払われていることを知ってほしい。癒しの顕現、仕事内の環境の変化、備えの顕現、それが何であれ、神はそれを自由に与えてくださる。神はすでにすべてのものを与えてくださっている!あなたがすべきことは、受け入れ、そして受け取ることだけなのです。 イエスがあなたのためにとりなしていることを知る(手段その4) […]
Category: ビアンカ Bianca
すべては通り過ぎる
生きている間はすべてのものは、通り過ぎます。 あなたは今どんな境遇にあっているかはわかりませんが、あなたに伝えたいことがあります。 あなたは独りではない! イエスはあなたと共にいて、すべて通り過ぎます。 季節が変わるとより実感できるのではないでしょうか? 寒い冬が終わり、暖かくなっていくにつれ、花が咲き、私たちの気分も違ってきますね。桜を見ていると私はそう思います。 神様はどんなに些細なことでも見ている御方です。 何度見ても、毎年桜は違うし、花びらも色もすべて新しくされています。 どんなにつらい冬が来ようとも、私たちの目ではどんなにその木が枯れていようとも、耐えて、正しい時期になれば実が実り、私たちに喜びを与えます。 「暖かくなってきたからお散歩しよう」「桜の下で写真を撮ろう」「空はなんてきれいなんだ」と思うのではないでしょうか? なので、心配せず、不安がらずに信仰をもって前進してください。そして、どんな境遇であろうと確信してください。それはとどまることも永遠でもありません! どんな逆風が吹こうと、私たちはただ通っているだけです!すべて通り過ぎます!! ですが、季節が変わったからこれを書いてるわけではありません。 4月は私たちクリスチャンは復活祭をお祝いします。 原本をみると復活祭という言葉ではなく、「パスハ」であり、「過越(すぎこし)」の意味を持ちます。これは天からのメッセージであり、私たちを慰めてくれる言葉です。 過ぎ去るという意味です。 痛みも、苦しみも、不安も、恐れも、病気も、辛いことも。。すべては過ぎ去ります。 過越のメッセージはヘブライの民が奴隷から自由にされたことです。 私たちクリスチャンはイエス・キリストは私たちの過越であり、私たちを死から救ってくれ、命を与えてくれたことです。なので、復活祭と呼びます。 主は私たちを見捨ててはいない、独りにされていない!復活祭は十字架のメッセージを伝えます。 […]
あなたのレガシーはなんだ?
自分の生き方を考えたことありますか? もし、あなたがいなくなったら、あなたの教えは受け継がれるものでしょうか? それとも、すぐ忘れるものでしょうか? 人びとは私たちがいなくなったら「恋しい」といった思いを感じるのでしょうか? それとも、その反対の感情を抱くのでしょうか? もちろん、この世を去った時だけではなく、様々な場面について話しています。部活・学校・職場・教会など、様々な場面で人と接し、教える場面に対面します。 言葉を使った教えだけではなく、私たちの生き方は何を教えているのでしょうか? 12月に入って、レーマ聖書学校で「神様の性質」という科目で、中村光子先生の通訳をしていて、神様の性質について沢山学んでいます。 学んでいる中で、「神様は情け深い」と書いてあって、沢山の聖書箇所があり、そのうちに詩篇86篇15節も記載されていました。 レガシーとどんな関係があるのかと言いますと、 皆さん、聖書に書かれているヨナをご存知でしょうか?すごく簡潔に述べます。。(しかし、是非ヨナ書を読むことをお勧めします。) ヨナは主の召しがあり、御言葉を受けたのです。 ヨナ書1章2節(新改訳) 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」 しかし、ヨナは主の御顔を避けて、ニネベの正反対の町のタルシシュに向かおうとしました。ところが、主の臨在から逃れることはできません!(詩篇139章にも書かれている通りに) それで、不順な心のせいで沢山の悪影響を及ぼした。しかし、主は魚を備えてヨナを飲み込ませ、ヨナは悔い改め、主は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させた。再び、ヨナに主の言葉があって、ニネベに行って、悔い改めるようにと言いました。ヨナはその通りにして、人々や国王まで全員悔い改めました! ヨナ書3章10節(新改訳) 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らを下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。 ここに書かれている「思い直し」は「後悔」の意味ではなく「憐れんだ」ということです! ヨナ書4章1~3節(新改訳) […]
最高級の敬い
最高級というと、何を思い出しますか? 私は食べるのが大好きですから、すぐに頭に浮かぶのは正直に言いますと肉ですww さらに、最高級というと黒毛和牛などを良く聞きますよね? 最高級と言えるほどの値段もしますねww 他の人は最高級といえば、ホテルを思い浮かべたり、マンションや車などなど切りがありませんね。。。 じゃ、逆に聞きますが、あなたが持っている最高級の者は何でしょうか?? しかし、今日共有したいのが最高級の敬いの事です。 イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓に着いておられると、 ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、 そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。 「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」そして、その女をきびしく責めた。すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょに います。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。 しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。この女は、 自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」 マルコの福音書14章3-9節(新改訳) まず、背景を理解しましょう!! この時代では給料はデナリという銀貨で支払われていた。 1日の労働で1デナリをもらっていた。安息日を除き、週6日間働いていましたので週に6デナリを取得していた。 彼らのカレンダーでは毎月30日間しかありませんでした。祝日などを1日ほど計算に入れると月に25日間働いていました。ですから、25デナリが月給でした。 […]
誰をフォローし、どんなフォロワーがいますか?
私は最近、インスタで1千人以上の人やページ等を含めてフォローしていたことが発覚しました!! 細かく見ると、なんで・いつフォローしていたのか覚えていない自分がいました!! こんな経験したことありますか?? 私はパソコンやSNS等の物に対して少し疎く、流されやすいところがあります!! 内容を見ずに何か一つでも気に入ることがあれば、「これが好き」となっていました!! たまに、ただ単に「いいね」を押していた自分がいました! それについて考えていくとこの聖書個所が目に留まりました! テモテの手紙第二 3章10節(ALIVEバイブル) おまえは私についてすべて知っている。私の教え、生き方、人生の目標、信仰、根性、愛を。私が決してあきらめないことも。 ほかのバージョンの聖書では「すべてを知っている」が「倣い(ならい)」と記載されています。 国語辞典では、「倣い」の意味は、既にあるやり方、例を真似て、その通りにする。手本として真似をする。と書いてあります。 英語のバージョンでは「FOLLOW(フォロー)」と記載されています。 原文のギリシャ語では「Parakoloutheo(パラコルーテオ)」とあります。意味は、いつもそばにいるように、すぐ近くでその人についていくと書いてあります!! 何が言いたいかというと、インスタとかでのフォローはほとんど遠くから見ていたり、その人の生き方を想像しながら、その人が教えることや、伝える事を真似しようとします。 しかし、パウロが言いたいのは、弟子のテモテがいつもそばにいて、いつもパウロの生き様を見ていたことです。 パウロの教えていること、誰も見ていない時でもキリストの生き方、キリストと生きるという人生の目標、どんな信仰を持っていたのか、どんな人に対してでも神の愛を表し、そしてあきらめないド根性も全て受け継いでいきました!! SNSで誰をフォローしたらよいのか、限度などを言いたいわけではありません!! それはあなたの自由です! ただし、理解していただきたいのは、誰と付き合っているのか、どんな人の傍にいるのか、考えてほしいということです。 私達の近くにいる人たちは、どんな信仰を持っていますか? […]
「光あれ」
私は約10年間、妊婦さんたちの通訳者や友人として付き添ってきました。 いろんな方と出会い、病院で働く方々と仲良くなり、色んな事を学び、 たくさんの経験をし、いろんな方の傍でこの大切で貴重な経験を共にしました!! 妊婦健診の時にみる超音波検査では赤ちゃんはお母さんの胎内でとても 気持ちよく、スクスクと成長していきます。 胎内は暖かく、温もり、栄養などの必要なものはお母さんから全て与えられます。 神様はこのような素晴らしい仕組みを女性の体に与えました。 新しい命が元気よく育つためにその前から全て整えてくれます。 だが、出産・分娩の時は少し変わります。 赤ちゃんには赤ちゃんの役割を果たさないといけません!! 胎内から出るように下に向けて力をいれます。 そして、出た時には目を開けて出てくる赤ちゃんもいれば、 目を閉じたまま出てくる子もいます。その時の泣き声もさまざまですww でも一番最初に彼らの上にあるのは光です。 妊婦さんを見るいつも「信仰」をイメージし、それになぜか、「エデンの園」 というイメージも浮かびます。(私の中ではwww) 初めに、神が天と地を創造した。 地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。 神は仰せられた。「光あれ。」すると光があった。 創世記1章1~3節 […]
組織を敬う
組織とはどんなものなのかを考えた事がありますか? それは、とても大切なことだと思います!! なぜなら、社会の中でも教会の中でも理解と協力し合う必要があるからです。 円滑に物事や場所が成り立つには「受け入れる心」も大切です。 組織とはどんなものなのか? 定義は「意識的に調整された二人以上またはそれ以上の人々の活動や諸力のシステム」 成立要件は「共通の目標を有し、目標達成のために協働を行う、何らかの手段で統制された複数の人々の行為やコミュニケーションによって構成される」 組織の構成には三要件があると言われています。 ① 共通目的 (COMMON PURPOSE) ② 貢献意欲 (WILLINGNESS TO SERVE) ③ 意思疎通 (COMMUNICATION) きっと、これは教会や御言葉とどんな関係しているのか考えていますよね? ですが、これは社会だけではなく、教会の中にも組織があります。それを理解し、敬う必要があります。 なぜなら、目標の持っていない場所は組織と言えないからです。 私たち教会、クリスチャンの目標はイエスの名が知れ渡ることです。 人々は尊い存在であること、神様によって愛されていることを理解し、御言葉によって自由になることを目指しています。 その目標達成のためには一人ではできないからです。 […]
自分の父を知る パート2
前回のブログでは、父の知識を得るだけではなく関係性を持つためには重要な点が3つあるという話をしました。さらに、どうして父を知る必要があるのかについても書きました。 様々な特権があり、沢山のものから私たちを守ってくれるからです。 まだ、読んでいないのであれば読むことをお勧めしますwww 主イエスは神様の本質の完全な現れであると聖書は教えてくれます。 しかし、それを知らないと人間の知識で神様の存在やその性質に制限がかかってしまいます。 多くの場合、自分の行動に言い訳をしたり、相手を自分の思い通りにさせたい時に誤ったことを言ったり聞いたりしていませんか? 私は小さいときによく祖父たちや保護者に言われた言葉があります。思い返すと、大きくなった自分も言ったりしていました。 皆も聞いたり、言ったことがあるかもしれません。 「こんなことすると、罰当たるよ」という言葉です。 神様はそんなことをしません。 なぜなら、神にはその属性を持っていないからです。 属性というのは、性質そのもの、特徴ともいえます。 要するに、それなしでは実体が考えられないような本質的な性質のことです。 その事は創世記を見るとわかります。 神は全てのものを造り、全ての物を調えてから人間を創造してくれました。 創造したものに対し、神は「良しとされた」とあります。 悪いところを見ることはありません。 または、「神は病気を造った。それを良しとされた」などとどこにも書かれていません。 なぜなら、神にはその属性がないからです。 では、神の属性とはなんでしょうか? […]
自分の父を知る パート1
あなたにとって「神様」とはどんな存在でしょうか? 私は前まで、神様は遠い存在だと思っていたし、感じていました。 お祈りをして、正しいことをすれば良い、人々を親切に丁寧に接すること、礼儀正しく、この地でそのような行いをすれば天国に行ける! 神様は天国にいるからそこに行けば会える、天国に行けば話せると思っていました。 私は主イエスを受け入れ、クリスチャンになり少しずつ神様は誰なのか、どんな存在なのか、神様の性質などを知り始めました。 もちろん、まだ完全ではありません。神様の性質・属性は計り知れないものです。神様を知るには普通の考え方(自分の知識)だけでは無理です! ですから、私たちには聖霊様の力が必要不可欠です!! 神様はもう「遠い」存在ではなく「近い」存在であることを知ってほしいです。 そして「神様」だけではなく「父」になったことを自信をもって宣言してください。 旧約聖書のイザヤ書42章5-9節(新改訳) 天を造り出し、これを引き延べ、地とその産物を押し広め、その上の民に息を与え、この上を歩む者に霊を授けた神なる主はこう仰せられる。 「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。 こうして、見えない目を開き、囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。 わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。先の事は、見よ、すでに起こった。新しい事を、わたしは告げよう。それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。」 新約聖書のへブル人への手紙1章1-3節(新改訳) 神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。 私たちの神様「父」は物事が起こる前から私たちに告げます。旧約聖書は新約聖書に起こることを示しています。すべては主イエスをさしているのです。 主イエスはイザヤ書に書かれていることをすでに十字架で成し遂げたのです。 旧約聖書では神様のことを4回「父」として呼んでおり、新約聖書では250回以上も「父」と呼んでいます。 主イエスは神様の本質の完全な現れであると聖書は語っています。 […]
安心の領域
コンフォートゾーンという言葉を聞いたことありますか?? これは心理学などでもよく使われる用語です。 日本語で考えると、快適なゾーンです。 快適な空間とは私たちが安心できる、自分のコントロールの下にあると感じられる領域を指しています。 例えていうのであれば、いつものお店、道、家に始まり、いつものやり方、いつもの人々などなど。 自分に馴染みがあり、心地良く感じられる空間です。 しかしながら、コンフォートゾーンは成長を阻むことがあります。 なぜなら、安心の領域にいると変化がないからです。成長とは、変化していく事です。 少しだけ自分の話させてください。 私は朝早く起きるのは苦手だし、寝るのも遅いし、食事も規則正しくなくてずっと放置していました。そしていつもダイエットしたい、運動したいと考えていました。 しかし、いつも「明日やろう!」「月曜日に始めればいいや」「今度こそしっかりやろう」「〇月の1日から始める」とずっと言っていました。 みなさんもこんな経験ありませんか?? マタイの福音書14章25節~32節 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。 この聖書箇所はとても興味深いです。 弟子たちは船に乗っていて向かい風で波に悩まされていたのです。なので、不安を感じていて、水の上を歩いているイエスを見たとき驚いたのです。 わかりますか?不安を感じている時、頭の中はいろんなことを考え始めたり、無いようなことを作り上げたり、大げさに感じたりします。 だって、ずっと傍にいたイエスでさえ弟子たちは分からなかったのですから。 そんな時でもイエスは恐れるなと言ってくれます。だから不安に思うことも独りだと思う必要もありません。 それを聞いてペテロだけ、自分の安心の領域を超えたいと望み始めたのです。そして、イエスの言葉を待っていました。するとイエスは「来なさい」と言いました。それを聞いたペテロは疑うこともなく、第一歩を踏み出し、イエスだけを見つめ深い水の上を歩き出しました。 […]