私は先週、学校の大掃除をしていました。教室はもちろん、トイレ、階段も全てゴシゴシして、ピカピカにしました。
掃除をしているときに他の先生が「毎日こまめに汚れたら拭き掃除をすることを習慣づけたら掃除も簡単なのに〜」と言っていました。その時は何とも思わなかったのですが、聖書を読んでいるときに、ふと思い出しました。その聖書箇所はこちらです。
ローマ12:2
「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」
私達の周りには悪い考えがたくさんあり、それに襲われていることがありますが、多くの人は気づいていません。否定的な考えや、嘘、詭弁などが私達の周囲にあります。それを何も考えずに、注意せずにいると、自分も同じような考えをしてしまっていることがあります。「みんなが言ってるから」「みんなそう思ってるから」と話し始めます。そうやっているうちに私達の考えに汚れやほこりが溜まってしまいます。
もし、いつもきれいな状態であれば、汚れがつくとすぐに目につくので取り除くことができますが、こまめに綺麗にしていないと汚れがへばりついてしまって、なかなか落とすのに苦労するか、汚れているけど見て見ぬふりをする、あるいは汚すぎて何が何だか分からない人もいるでしょう。
なので、汚れはためるのでなく、入ってきたらすぐに綺麗にすべきです。
先程のローマ12:2の聖書箇所の最後をよく見てください。
「すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」と書かれています。
この「わきまえる」という言葉のオリジナルは、「詳しく細かく調べる」という意味があります。例えば、空港で入国する際に緻密なチェックがなされるのを想像してみてください。
なぜ、あそこまで検査するのでしょうか。それは、国の中に何も害するものを入れさせないためです。どれだけ違法とされるものを隠して密輸しようとしても、センサーなどで詳しく検査をし、入れないようにします。それが、この聖書が言っている「わきまえる」という意味です。
なので、何が神様によって良いものであるかを詳しく知るためには考えを新たにすべきだと言っています。
「神様の御心がわからない」「神様が何を言いたいのかわからない」と言っている人がいるなら、神様は何かを伝えたいのに、あなたの考えに汚れが溜まってしまっていて、この世のものと神様からのものが混同して分からなくなっているかもしれません。神様から来る完全なもの、純粋なものを受け取るためには、まず考えを綺麗にして、綺麗なまま受け取る必要があります。
何を受け取って何を受け取らないかを調べるべきです。
受け取るべきものは、みんなが思っていることや、自分の意見ではなく、神様の考えです。そのためには交わりの時間を十分にとる必要があります。
あなたと神様との交わる時間はどうですか。私達が十分すぎると思っていても、神様はもっと欲しい、もっと良いものを与えたいと思っています。
そうすると、何が真実で、何が嘘、汚れかが見えてきます。
その汚れが入ってこようとするのをシャットダウンすることが重要です。
入ってきたとしても、毎日のお掃除、御言葉の石鹸で綺麗に落としましょう。