神様の恵み

あなたは、普段「恵み」という言葉を耳にしますか。

大地の恵み、自然の恵みという形で使うと思います。

あなたにとって「恵み」とは何でしょうか。

お金や物ががあることですか? そもそも「恵み」が何か考えたことがない人もいるかもしれません。今日は聖書で「恵み」とは何かを見て行きたいと思います。

聖書に出てくる人でパウロという人がいます。彼はエペソの手紙で「恵み」という言葉を使って福音とは何かを説明している人です。エペソでは合計13回も「恵み」という言葉を使っています。ここで、全ての聖書箇所は載せませんが、このブログを読んだ後に、エペソの手紙を読むことをおすすめしたいです。

エペソ人への手紙1:5‐8 

神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。 6それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。7私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。 8神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって…

この聖書箇所で見ることができるのは、まず「神様が私たちに恵みを与えてくれた」ことです。これは、私たちが何かをしたからではなく、私たちは神様の子どもだからです。

また、「恵みによって罪の赦しを受けた」ことも7節で見ることができます。罪とは、神に背を向けることです。その状態にいた私たちでも、神様はイエスキリストが十字架で流した血により、和解することができ、赦されたという意味です。

そして、8節「この恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもっている」と書かれていますが、私たちは神様と和解したことにより、「知恵と思慮」を与えてくれたということが解ります。

1章を見ただけでも、素晴らしいことを神様がイエスキリストを通して行ってくれたことが解ります。

エペソ人への手紙2:5,7-8

罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―― 7それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。 8あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 

2章の最初で、私たちは罪深い人であったことが記されています。しかし、続けて読むと、イエスキリストによって(彼を信じることによって)私たちは救われ、生きることができることが理解できます。「恵み」によって私たちは神様とともにいることができます。それだけ私たちは愛されています。

エペソ人への手紙3:7‐9

私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。8すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、9また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。 

3章では、「恵み」が何のために与えられたかを見ることができます。パウロはここで、私たちが恵みの賜物を受けたのは、福音を伝えるため、その力も神様から「恵み」として来ていることが理解できます。私たちが「恵み」を受けたのは、自分のためだけではなく、ほかの人に神の素晴らしさ、イエスがしてくれたことを伝えるためです。

エペソ人への手紙4:29

悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。

4章では悪魔に機会を与えず、絶えず愛をもって成長することについてパウロは教えています。その最後のまとめとして、私たちの口から出る言葉は「恵み」でなければならないことを言っています。

1章から4章まで簡単に見てきましたが、パウロは「恵み」について、

私たちが何かをしたから得たのではなく、神様からきたもの

私たちを赦し、神様と和解を持つことができたこと

知恵と思慮を与え

ほかの人に福音を伝えるために与えられ、成長を与えるのに不可欠なもの

と教えています。

全ては神様の恵み、愛によるものです。それをイエスを通して受けています。

恵みによってこれからも成長していきましょう。

神様の恵みが豊かにありますように!