自分は「標準以下」と考えてしまったことがありますか?
私はあります。
「自分の能力を超えているから無理だ」「自分には到底及ばないものだ」と自ら自分の限界を決めてしまい、前に進めれない状況でした。
「自分には価値がない」という思いがだんだんエスカレートしていくと「自分なんて」という卑下に変わっていきます。
それとは別に、
自分自身も気づかないうちに、自ら自分の限界を決めてしまっている人もいると思います。
自分が抱えている問題を、家庭環境のせいだから、住んでる場所のせいだからと、周りの状況のせいにしていませんか?
本当はただ自分でも自覚しないまま、自分の可能性を自ら抑え込んでしまっているかもしれません。
しかし主は、私たちが可能性を制限することを望んでいないです。
むしろその反対で、もっと前へ進め!と言ってるのです。
私が自分の可能性を広げることができたのは、
御言葉が私に語ってることを理解し、信じ、宣言して、行動にうつしたからです。
この4つのことを私たちはすべきです。
- 御言葉を受け取る。
- 御言葉を信じる。
- 御言葉を宣言する。
- 御言葉によって行動する。
これらのことをすることで、神様は絶大な力を与えてくれ、自身の可能性をもっともっと広げられることができるのです。
もっと簡単に言うと、
例えば、私に目標があるとします。(実際に目標はあります。)
しかし、私がその目標をただノートやら携帯やらにメモだけしても何の意味もありません。
いや、到底及ばないだろうって思ったら、そこで終わりです。
むしろ、前に進むことは一生できません。
その目標を果たすには、今どうすれば良いのかというのが一番いい考え方だと私は思います。
そして、必ず成功すると信じ、行動に移すのです。
マルコの福音書の9章では、
「もし、悪霊を追い出すことができるのなら、なんとかして助けてください。」
と、悪魔に取り憑かれた少年をイエス様のもとに連れてきた父が言ってる場面があります。
しかし私が注目して欲しいのは、その後です。
イエス様は後にものすごくカッコいい言葉を発しました。
「もしできるなら、と言うのですか。あなたが信じるなら、どんなことでもできるのです。」
マルコの福音書9章23節
神に「もしできるなら〜」という言葉は存在しません。
神様には必ずできるからです。不可能なことは当然ありません。
多くの人は「もし神様が可能なら〜」と間違ったお祈りをしており、
全能の神だという認識を持っていないのです。
ですから、実際に御言葉が私たちに向けて何を言っているかを理解し、それを心から受け取り、行動に移す必要があります。
ヨブもこう語っています。
「あなたはどんなことでもできるお方で、だれもあなたの働きを止めることができないことがわかりました。」
ヨブ 記 42:2
神様はどんなことでもできるお方です。
そして私たち一人ひとりに素晴らしい計画を用意しています。
誰も神様の働きを止めることはできません。
しかし、その計画が素晴らしいものであったとしても、自分自身の可能性を制限して、一歩も前に進まないで過ごすか、それか自身の持つ無限の可能性を信じ、勇気を持って挑戦するか、そのどちらかを選択するのは、私たち自身です。
神様と一緒なら、私たちはもっともっと上へ行けるはずです。
あなたについて御言葉が何を言っているのか、まず理解してください。
そして、心からその言葉を受け取り、信じて、
「私は神様によってどんなことでもできる!」と宣言してください!
このことを知ってから、私は考え方を変えることができました。
可能性を制限してた考え方から今は、
「こんなことでもできたなら、私にはもっとできる!」と思うようになってきたのです。
御言葉は私たちを良い考えと導くことができます。
あなた自身の可能性をもっと大きく広げたいですか?
私が上で記した4つのことをやってみてください。
今、制限してたあなたの可能性を解除して、
前へ進みましょう!