神様が私たちに与えた最も重要な戒めとは、「主を愛すること」です。
その次に、神様は第二の戒めを与えてくれました。
「第二は、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』 ( レビ19・18 ) という戒めです。これ以上に重要な戒めはありません。」
マルコの福音書 12:31
最近、人との関わりついて大切なことを学び始めたのですが、
世の中にはいろんな人がいること、
いろんな考え方があること、
人は皆違うということを知ることができました。
私たちは毎日、人と関わることが必ずあると思います。
しかし、私たちが関わっていく人の中で決して「変な子」「変わった子」は存在しないこと、人はそれぞれ違うことをみなさんに理解してもらいたいです。
そもそも普通な人なんて存在しないと思うのです。
私たち一人ひとりは、それぞれ違う、唯一の貴重な存在だからです。
個性的な人や価値観の違う人、天真爛漫な人、
このように私たちは、たくさんの人と関わることがあります。
そんな人たちを私たちは愛さなければいけません。
愛することは、一説では「人にものを恵む」という意味があるといいますが、恵む行為は代償をかえりみない、無償の行為だということが考えられます。
愛を定義するにはさまざまな考え方がありますが、見返りを期待することなく相手を大切に思う気持ちとも考えられます。
神様が私たちを心の底から愛したように、私たちもその愛を、人に与えることが大切です。
人を見た目で決めつけて、悪いところばかりを見てはいけません。
金子みすゞさんの詩で、「星とたんぽぽ」という、とても素敵な詩があります。
「青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。」
金子みすゞさんの詩「星とたんぽぽ」には、”見えない”ものに注目し、その存在を知ってほしいというメッセージが込められています。
昼間の星は見えないけれど、見えないからと言って、無いわけではありません。
見えないものでも、『そこにある』ということを理解することがとても大切です。
この詩を読んだときに、私はこう考えました。
世の中には、私たちが目で見えるもの、そして見えないものが存在している。
しかし、見えるものだけに注目するのではなく、見えないものにも重視することが大切だと思いました。
人の気持ちや心なんて、目には見えない。
相手が何を思っているのか、何を考えているのか、私たちはわからない。
だからといって、人を傷付ける言葉を言うのではなく、人を心から愛し、元気づける言葉を私たちは言うべきです。
「愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。」
ヨハネの第一の手紙 4:7-8
イエス様は、私たちが言葉と行いで人々を愛さなければならないと言いました。
キリストはこの命令を下し、最初に従ったのです。
イエス様は弟子たちに「互いに愛し合おう」と言い、その直後に「わたしがあなたを愛したように」と言われました。
イエス様は、真に愛することがどんなものであったかを、彼の言葉と行いで毎日証明してくれました。
神は愛です。
イエス様の私たちへの愛の最大の証拠は、十字架でのイエス様の犠牲を通してでした。
私たちを愛したため、身を捧げました。
これが真実の愛です!
この愛は死を乗り越え、私たちに永遠の命を与えました。
私たちはこの恵みの愛を受けました。
それを私たちは人に与えなければなりません。
言葉と行いで人を愛しましょう。
人を愛することは、キリストの愛を分かち合うことにもなります。
見返りを期待せず、愛をもって行動しましょう。