私たちクリスチャンは、イエスキリストを受け入れたとき、全ての祝福をもらいましたが、そのうちの1つに「イエスの名」があります。
しかしながら、多くの人はそれをどうやって使うの?と疑問に思っています。今日は、聖書で私たちはどのようにイエスの名を使うか4つみていきたいと思います。
① 祈りの中でのイエスの名を使う
祈りというのは、イエスの名において父に祈ることです。それはイエスが聖書で教えています。
ヨハネの福音書 15:16
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選んだのです。そして任命しました。だから、あなたがたは行って、いつまでも残るすばらしい実を結びます。また、わたしの名前によって父に求めるものは、何でもいただけるのです。」
イエスはここで、私たちの祈りの方法、つまりイエスの名において父に祈ることを教えています。祈りは神様の御言葉の原則に従って祈るべきです。
神さまの御言葉が私たちに教えているように、私たちはそれに応じて祈らなければなりません。 なぜなら、イエスは、彼の言葉で表現されている父の意志に反することを決してしないからです。
② イエスの名において主張することが必要
聖書がすでに私たちのものとして保証していることを、私たちは祈る必要はありません。 結局のところ、それはすでに私たちのものであるため、私たちはイエスの名の権威で主張することができます。 イエスの名前はまた、私たちにイエスと同じ力を保証します
ヨハネの福音書 16:23-24
「その時には、何一つわたしに求める必要はありません。直接父に求めることができるからです。父は、わたしの名によって求めるものは何でも与えてくださいます。 あなたがたは、今までこのような求め方をしたことはありませんでした。わたしの名によって求めなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びに満ちあふれるのです。」
このように、断食ではなく、私たちの祈りへの答えを保証するのはイエスの名であることがわかります。 私たちがイエスの名において父に祈るとき、それはまるでイエス自身が求めているかのようです。
他にもイエスの名の活用があります。
③ 救いにおけるイエスの名
他の名は救いを与えることができず、イエスの名のみそれが可能です。
使徒の働き 4:12
「この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。」」
私たちはイエスを主として、救い主として受け入れた時、イエスの名によって救いを受けました。
④ 癒しにおけるイエスの名
癒しの模範はイエスです。イエスは全ての人達を癒し、彼の行いは全て父である神様の御心でした。
それを聖書で見てみましょう。
使徒の働き 10:38
「ナザレのイエスは神の聖霊と力とに満たされて、すばらしいみわざを行い、また悪霊につかれている人たちをみないやしながら、各地を巡回されました。それは、神様がこの方と共におられたからだということも、きっとご存じでしょう。」
このように、イエスは神の正確な表現であるため、私たちはすべての人を癒すことが神の意志であるという最大の証拠を持っています。私たちはイエスが癒しを行ったように、イエスの名によって癒す任務を与えられました。それはクリスチャン全員が行うべきです。誰かが病気なら、その人のために祈るべきです。あなた自身には人を癒す力はありません。しかし、イエスの名には力があります。
私たちはイエスの名を使用することができる特権があります。
新しく生まれ変わることによって、私たちは神様の子供となり、イエスの名前を使うことができます。それは全てのクリスチャンです。特別に選ばれた少数のクリスチャンだけじゃないんです。ベビークリスチャンもイエスの名によって祈ることができます。すでに与えられています。
告白なくして救いはありません。 同様に、罪の赦しも、告白がなくては新しく生まれ変わることもありません。 したがって、私たちのクリスチャン人生は信仰告白から始まります。信仰告白は新しく生まれることに必要不可欠です。私たちの日常生活の中でも同じです。 それは、クリスチャン人生の歩みが信仰による歩みだからです。私たちは告白をしっかりと守らなければなりません。
私たちの信仰は私たちの告白によって量れるので、私たちが告白する以上のものを受け取ることは決してできません。神の御言葉を告白し、その後に恐れを告白するようになると、私たちの霊に混乱が生じます。
あなたの告白は御言葉に完全に同意しなければなりません。 ですから、イエスの名によって祈った後は、告白をしっかりと守らなければなりません。 したがって、否定的な告白によってあなた自身の祈りの効果を破壊しないでください。