私たちは日々の生活の中で、目に見える結果や、人からの評価を気にしてしまうことがあります。
一生懸命に取り組んでも、誰にも気づいてもらえなかったり、自分よりも周りの人が評価されているように感じたりすることもあるかもしれません。
教会で奉仕をしているときも、同じようなことがあるのではないでしょうか。
多くの人の前でメッセージをする人、賛美を導く人、大きな責任を任されている人は、周りからも注目されやすいものです。一方で、誰にも気づかれないところで準備をしたり、必要なものを整えたり、目立たない働きを続けたりしている人もいます。
どちらも大切な働きですが、いつの間にか、目に見える成果や人からの評価によって、その働きの価値を判断してしまうことがあります。
「もっと大きな働きを任されたい」「もっと神様に用いられたい」と願うことは、決して悪いことではありません。しかし、大きなことを求めるあまり、今、自分に任されている小さなことを軽く扱ってしまってはいないでしょうか。
では、神様は何を見ておられるのでしょうか。
聖書には、このように書かれています。
ルカの福音書16章10節
「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」
イエス様は、小さなことに対する忠実さについて教えておられます。
私たちは、ときに大きなことを成し遂げることに目を向けます。しかし、神様に用いられるということは、必ずしも人から注目される働きをすることや、大きな責任を任されることだけを意味するのではありません。
誰も見ていないところで誠実に働くこと。頼まれたことを最後まで責任を持って行うこと。自分に与えられた役割を、ほかの人と比較せずに果たすこと。
一つひとつは小さなことに思えるかもしれません。しかし、そのような日々の選択の中にも、私たちの信仰が表れています。
大きな働きを任される日を待つ前に、今、自分に任されていることに忠実であること。それが大切なのです。
人は、目に見えるものによって判断することがあります。
どれだけの成果を上げたのか、どれだけ多くの人に認められたのか、どれだけ大きなことを成し遂げたのか。もちろん、結果や成果が大切ではないということではありません。私たちは与えられた責任を果たし、良い実を結ぶことを目指すべきです。
しかし、結果だけがすべてではありません。
第一サムエル記16章7節には、こう書かれています。
第一サムエル記16章7節
「人はうわべを見るが、主は心を見る。」
この御言葉は、ダビデが王として選ばれる場面で語られたものです。人々が外見に目を向ける中で、神様は人の心をご覧になりました。
私たちも、周りの人が自分の働きをどのように見ているか、気になってしまうことがあります。
一生懸命に準備したのに、誰にも気づいてもらえなかった。自分なりに努力しているのに、ほかの人ばかりが評価されている。そのようなとき、寂しさや悔しさを感じることもあるでしょう。
しかし、人に認められなかったからといって、その働きに意味がなかったということにはなりません。
人には、私たちがどのような思いで取り組んできたのか、どれほど努力してきたのか、すべてを知ることはできません。しかし、神様はご存じです。
誰にも気づかれなかった努力も、目立たない場所での奉仕も、神様の前に隠されているわけではありません。
だからこそ、私たちは人からの評価だけを、自分の価値を測る基準にしてはならないのです。
私たちが何をしているかだけでなく、何のためにそれをしているのか。
同じ奉仕をしていても、その動機は人によって異なります。神様を愛しているから奉仕をする人もいれば、誰かに認められたいという思いが、いつの間にか強くなってしまうこともあるかもしれません。
もちろん、誰かに感謝されたら嬉しいですし、自分の働きを認めてもらえたら励みになります。それ自体が悪いわけではありません。
しかし、人からの評価がなければ、奉仕する意味を見いだせなくなってしまうとしたら、私たちは一度、自分の心を振り返る必要があるのかもしれません。
コロサイ人への手紙3章23節
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」
誰かに認められるためではなく、主に仕えるように心を込めて取り組むこと。人に見られているときだけでなく、誰にも見られていないときにも誠実であること。
それが、私たちに求められている姿勢です。
私たちは、いつか大きな働きを任されたときだけ、忠実であればよいのではありません。
今、目の前にあることに心を込めること。自分に与えられた責任を大切にすること。誰にも見られていないところでも、正しいことを選ぶこと。
そのような日々の小さな選択を、神様はご存じです。
今いる場所が、自分の望んでいた場所ではないかもしれません。今任されていることが、自分の思い描いていた働きとは違うかもしれません。
それでも、今ここで神様に目を向け、与えられていることに誠実に取り組むことができます。
大きなことを成し遂げることばかりに目を向けるのではなく、今日、自分に任されていることを大切にする。その積み重ねが、私たちの信仰の歩みを形づくっていくのではないでしょうか。
最後に、自分自身に問いかけてみてください。
私は今、人からの評価を求めているでしょうか。それとも、主に喜ばれることを求めているでしょうか。
人に認められないからといって、自分の働きを小さく見積もっていないでしょうか。目立たない働きだからといって、価値がないと考えていないでしょうか。
人の目には小さく見えることでも、神様の前では決して無意味ではありません。
誰かに認められるかどうかにとらわれるのではなく、主に目を向け、今、自分に任されていることに忠実になりましょう。
大きなことをすることだけが、神様に仕えることではありません。今日、与えられている小さなことに、心を込めて忠実に取り組むこと。
そのような忠実さを、日々の歩みの中で大切にしていきましょう。
人の目には小さく見えることでも、神様の前では決して無意味ではありません。