絶望の中の希望

私はなんで生まれたのだろう。。

何のためにいるのだろう。。。

どうしてこんな事が起きるの?それって私にだけ?

神様って本当にいるの?

このように考えた事ありませんか。

何もないのに不安を感じたり、孤独を感じたことありませんか?

そんなあなたに朗報があります。

私の証をさせてください。

実は私もこのように考えたり、すごく不安や孤独を感じて生きていました。

子どもの頃、悲しい経験を沢山しました。

自分には価値がない、何の役にも立たないと考えていました。

自分の外見も体格もまわりと違うからまわりを見てよく自分を比べたりしていました。

まわりにはいつも笑っていましたが、心あらずって感じでした。

心には大きな穴が空いていました。何をしても埋めることができなかった。

この世に生まれたことも、何のためにいるかさえもわかりませんでした。。

ある日、天を見上げて問いかけました。

私は誰からも愛されていない、誰も気にかけてくれない。私は何のためにいるの?なんで生まれたの?答えが知りたい、教えてくださいと言いました。

誰にも何の相談や話していないのに、夜の20時頃、自宅に牧師の夫婦が訪ねてきました。教会の集会や神様は誰なのかを話していました。

それで、翌日の礼拝に呼ばれ、行くことを決心しました。

2007年7月22日にイエス・キリストを救い主として受け入れました。

当時私は不登校でした。だが心に大きな夢を持っていたけど、ずっと叶わないものだと考えてました。

その日の夜のことを未だに覚えています。

なぜかというと、それ以降私の人生が変わったからです。

その日の夜、神様は私にこのように語ってくれました。

「わたしは存在する。いつもあなたの傍にいる。わたしが言う言葉を信じなさい。あなたは独りではない。わたしは世界の終わりまであなたと共にいる。あなたを見捨てたり、離したりしない。あなたは誰からも愛されていないと言うけど、わたしはあなたを愛している。恐れる必要はない。わたしはあなたにまだ見たことのないものを見せる。行ったことのないところまであなたを送る。あなたが想像しているものの遥か以上の事をする。あなたはただわたしを信じなさい。」

その後、私の目から涙がポロポロとこぼれ始めました。

その時、心に空いていた穴が埋まって、満たされたと確信したのです。

神様が語ってくれた言葉は聖書にはこのように書いてあります。

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

イザヤ書41章10節

なんて嬉しいことでしょう!!

神様は私達を強め助け守りそして安心させてくれる。ゆえに、傍にいてくれます

そして私とあなたを愛しているために自分の御子イエス・キリストを惜しまず送ってくれた。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちをもつためである。」

ヨハネの福音書3章16節

聖書の福音書を読むと、人間性と神性の両方を示したイエス様が見えます。彼はその性質を表わしたかったと思います。彼はあなたと私のために、自分自身を空にし、僕(しもべ)の形を取りました。ですから、彼は私たちを理解しています。彼は、ここの地球上の制限に対処することがどのようなものかを知っています。私たちが必要とされているものを何でも知っています。心に何があるのかさえ悟ってくれます。

「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私の座るのも、立つのも、知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。。。

それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。

私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたにかくれてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために造られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」

詩編139章1~5節、13節、15~16節

これを読み、心から愛されていると確信をしました。

私は自分を愛する事を決心しました。まわりと比較せず、ありのままの自分を受け入れようと決めました。ですから、私は愛されている。私は独りではない。私は特別に造られた。私の毎日は神様が造った日だと、毎日鏡をみながら告白しました。すると自分のことを神様と同じ目線でみるようになりました。イエス・キリストによる私のアイデンティティーを得る事が出来ました。何のために生まれたのか、なんでこの世にいるのか、そのすべての答えはイエス・キリストに見つけることができました。

私にとっては、何よりの解放でした。その全てから自由になったのです。

イエス・キリストは絶望の中の希望です。

どんな絶望の中にいたとしても、彼はその光であり、希望です。

それは永遠に変わることがありません。

特別に選ばれた人だけもらう特権ではありません。誰もが彼を救い主として受け入れるのならば、救われその特権をもらうことができます。

神様は全能の神様ですが、出来ない事もあります。それは、自分の性質に反すること、つまり、嘘つくことや自分の言葉を守らないことです。

だから、私たちは神の言葉を信じることが出来ます。神の私たちへの計画は災いを与えることではなく、平安・将来・希望を与えるためです。

「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしをみつけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。」

エレミヤ29章14~15節

神様は私たちのそばにいたいと願っています。遠い存在ではなく近い存在です。

私たちを愛するお父さんなのです。ですから、その絶望を希望に変えてみませんか?