私が好きな賛美の中に「目覚めの時から眠るまで素晴らしい主を賛美します」「命ある限り素晴らしい主を賛美します」というフレーズがあります。
皆さんは、朝目覚めた時、まず最初に出る言葉は何ですか。私や主人は朝起きてよく賛美をして、1日の感謝をします。
賛美や礼拝と聞くと、日曜日の教会でするイメージが強いかもしれません。しかし、聖書では、このように言っています。
ヨハネ4:20-24
20私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」21 イエスは彼女に言われた。「私の言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。22 救いはユダヤ人から出るものですから、あなたがたは知らないで礼拝しています。23 しかし真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
イエスは、ここでサマリアの女性に礼拝についての大切な教えをしています。
「…まことの礼拝者たちが、御父を霊とまことによって礼拝する時が来ます。今がその時です。」(ヨハネ4:23)
イエスは「どこで礼拝するか」ではなく、「どう礼拝するか」が重要だと語られました。神は霊であり、霊とまことによる礼拝を求めています。では、霊とまことで礼拝するとはどういう意味か未定規定と思います。
霊によって礼拝する
「私たちは…神の霊によって礼拝する」(ピリピ3:3)
「霊による礼拝」とは、神と直接交わることができる「新しく生まれた霊」を通して捧げる礼拝です。
イエスが十字架にかかって復活する前、人は霊的に死んでいたので、霊によって神を礼拝することができませんでした。しかし今は、御霊によって生き、神との親しい交わりの中で礼拝ができるようになりました。
まことによって礼拝する
「…真理によって彼らを聖め分けてください。あなたのみことばは真理です。」(ヨハネ17:17)
「まこと」とは、神の御言葉に沿っているかどうかということです。感情や伝統ではなく、聖書に基づいた礼拝こそが、神の御心です。
では、聖書に基づく礼拝とは、どんな礼拝でしょうか。
1つめは、手を挙げて礼拝をすることです。
「どこででも、怒ったり争ったりせず、きよい手を挙げて祈るように…」(1テモテ2:8)
神に向かって手を挙げるのは、へりくだりと信頼の表れです。教会の賛美の時間は、ぼーっとしたり、携帯をみたり、髪をさわる時間ではありません。メッセージに入るために、あなた自身を準備させる時間です。
私たちは、毎日忙しい生活の中で生きていて、頭の中がいっぱいなときも少なくはありません。いろいろ考え事をしているとメッセージに集中することが難しくなります。なので、その時は、手を上げながら賛美をし、神に集中すること。そして、私たちの力の源は神からやって来ることを再認識する必要があります。
次に、賛美の歌、霊的な歌を歌うことです。
「詩篇と賛美と霊の歌をもって、心から主に向かって歌い、…」(エペソ5:19)
「キリストのことばを…詩篇と賛美と霊の歌により、…感謝して神をほめたたえなさい。」(コロサイ3:16)
ここで「賛美」と「霊の歌」があるのですが、「霊の歌」とは御霊に導かれて歌う歌です。決まった曲ではなく、その場で心から湧き上がる賛美です。
最後に、感謝をもって生きることです。
「すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父なる神に感謝しなさい。」(エペソ5:20)
「すべてのことについて感謝しなさい。」(1テサロニケ5:18)
問題があっても、主は私たちと共にいてくれます。また、その中で感謝することはたくさんあります。問題ばかりに目を向けるのではなく、私たちが圧倒的な勝利者にされたこと、そして神が常に私たちを支えてくれているので倒れることがないことを感謝すること、それが私たちが行うべき信仰の歩みです。
では、聖書の有名なパウロとシラスの話を見てみましょう。
使徒16:22-26
22 群集もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、23 何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。24 この命令を受けた看守は、ふたりの奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
パウロとシラスは投獄されていました。その時の彼らの気持ちは決していいものではなかったと思います。また、彼らがいた状況も最悪だったと思います。しかし、彼らは文句も言わず夜中に祈り、賛美をすることを選択しました。その結果、地震が起きて牢の扉が開き、奇跡が起こりました。
彼らの賛美は状況を見ての反応ではなく、信仰の告白でした。賛美は神の力を解き放ち、鎖を打ち砕くものです。
もう1つの賛美の力の例にヨシャパテの話があります。(後で2歴代誌20章を読んでみてください。)
大軍に囲まれたヨシャパテは、恐れながらも神に信頼し、断食と礼拝をもって神を求めました。そして、戦いの最前線に賛美する者たちを置き、神に栄光を帰しました。その結果、神が敵を打ち破ってくださったのです。
上の2つの例から礼拝とは私たちの生き方だと見ることができます。賛美や音楽はその礼拝のツールにすぎません。真の礼拝は「霊とまこと」によって神と交わりをもち、どんなときにも感謝をささげることです。それこそが、神の御心にかなう礼拝です。
朝起きて1日の初め、忙しくて大変なとき、1日が終わって夜寝る前など、どんな時でも、どんな状況でも、主を信頼し、賛美と感謝を捧げることによって、神の御業が現れるのを見て、エネルギーにあふれる人生を生きることができます。
喜びと感謝にあふれる毎日をすごしてください!