私たちは毎日の中で、知らないうちにたくさんのことを思い煩っています。これからどうなるんだろう、うまくいかなかったらどうしよう、あの人は私のことをどう思っているんだろう。気づけば、まだ起きていないことを心配して、心がいっぱいになってしまうことがあります。でも聖書は、はっきりとこう語っています。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いに
よって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ4:6)
思い煩いとは、聖書で「思い煩い」と訳されている言葉は、ギリシャ語でメリムナ。
この言葉には、ただ「心配する」以上の意味があります。心がいくつにも分かれてしまう状態という意味があります。気持ちがバラバラになる一つのことに集中できない。あれもこれも気になって落ち着かない。心が引き裂かれているような状態です。
身近な例で考えると、たとえば仕事のことを考えながら、同時に人間関係のことも気になり、さらに将来の不安も重なってくると、頭も心もいっぱいになってしまいますよね。これがまさに「メリムナ」の状態です。思い煩いは何も解決しないです。
イエス様もこう言われました。
(マタイ6:27)「あなたがたのうちだれが、思い煩ったからといって、自分のい
のちを少しでも延ばすことができますか。」
つまり、どれだけ心配しても、状況は変わらないということです。身近な例で考えると、たとえば夜、電気を消して寝るときに、部屋の中に何かあるような気がして怖くなることがありますよね。でも電気をつけると、何もなかったと分かります。思い煩いもこれと同じです。暗い中で考えるとどんどん不安が大きくなりますが、「光(真理)」の中で見ると、実際はそこまでではないことも多いのです。
神様にゆだねるという選択がクリスチャンにはあります。聖書にはこう書いてあります。
(第Iペテロ5:7)
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
ここで大切なのは、「ゆだねる」という行動です。
ただ「心配しないようにしよう」と我慢するのでなく、祈る、神様に話す。そしてその思い煩いを手放すことです。思い煩いを手放すとは、重たい荷物をずっと持っていると、だんだん疲れてきますよね。でも、その荷物を誰かが「持つよ」と言ってくれたらどうでしょうか。渡せばいいのに、なぜか握り続けてしまうことがあります。思い煩いも同じです。神様が「任せていいよ」と言っているのに、自分で持ち続けてしまう。これが私たちの姿です。
ではどうすればいいのでしょうか?とてもシンプルです。
自分が思い煩いに気づいたらそのまま神様に話すことです。この思い煩いをあなたに委ねますと、そして、感謝を選ぶことです。たとえば「まだ分からないけど、守ってくださることを感謝します」「最善に導いてくださることを信じます」思い煩いは、私達の成長を妨げてしまいます。でも私たちは、すべてを知っておられる神様にゆだねることができます。思い煩いをやめるとは、何も考えないことではなく、信頼して手放すことです。
最後にもう一度この言葉を。
「何も思い煩わないで…あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」
(ピリピ4:6)
不安を見るのではなく、今まで導いてくださった神を見ましょう!あなたが抱えているその思いも、今日、少し神様に渡してみてください。心が、少し軽くなりますよ。