今日の予定はどうですか?

私が、神様に立ち返り聖書を読み始めた時に、最も知りたかったのは、イエスキリストの人生のことでした。それを知るために、4つの福音書を読み始め、その中で、イエス様が弟子たちを呼びかける場面に出会いました。

その中でも、私の注目を引いたのは、イエス様がある人のところに行き、その人と初めて出会ったにもかかわらず、すぐその人に「私についてきなさい」と招いた箇所です。

また、さらに不思議だったのは、その人もイエス様の招きに応答し、全てを捨て、イエス様についていき、イエス様の弟子となったことです。

しかし、よく考えてみたら、その人たちの個人の人生はどうだったでしょうか。

彼らは、イエス様に招かれた日に予定や仕事などはなかったのでしょうか。また家族などはどうだったでしょうか。イエス様のことを何も知らずに、よく全てを捨て、ついていったなと、私はいつも思っていました。

確かに、弟子たちは、イエス様のことを詳しく知らなかったものの、イエス様に何か特別なことがあることに気づいていたと思います。というのも、弟子たちを呼びかけたのは、救い主である、全能なる神様の子です。何て光栄なことだったでしょうか。

当然、弟子たちはイエスキリストについていくことにより、人生が完全に変わりました。新しい冒険が始まり、毎日、直接イエス様から新しいことを学びました。そればかりか、彼ら自身がイエスキリストと親しい関係を持つことができたため、彼らもイエス様に任命され、多くの人に影響を与えられ、神様の御国の拡大に大いなる貢献ができました。さらに、福音のために全てを捧げた弟子たちにイエス様はとても偉大な約束もしてくれました。

マルコ10:28-30

ペテロはイエスにこう言い出した。「ご覧ください。私たちは、何もかも一切を捨てて、あなたの弟子になりました。」イエスは言われた。「よく言っておきますが、確かに、わたしのため、福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、あるいは財産までもささげた人は、すべてその何百倍もの報いを受けます。今のこの時代には、たとい迫害されても、家、兄弟、姉妹、母、子、そのほか財産が、すべて本当の価値となり、後の世においては、永遠に神様から祝福を頂くことができます。

それに加え、弟子たちはイエス様と生活を共にしていた間、生活のために必要なものが全て備えられました。その例として、イエス様はペテロと自分の税金をも納め、また、食べ物がなかった時に、パンと魚を増やし、弟子たちにも群衆にも与えたことなどがあります。御国のために全てを捧げ、イエス様に従うことがどれ程素晴らしいか体験ができるようになりました。なぜなら、神様の御計画はいつも私達の計画より優れ、勝っているからです。

ところが、イエス様の招きを断った人もいます。あまり詳しくその人の話をしませんが、聖書箇所を引用します。

マルコ 10:21-22

イエスは心から彼に同情して言われました。「あなたには、たった一つだけ欠けたところがあるのです。さあ、家に帰って財産を全部売り払い、そのお金を貧しい人たちに分けてあげなさい。そうすれば、天に宝をたくわえることになるのです。それから、わたしについて来なさい。」このイエスのことばに、その人は顔をくもらせ、悲しそうに帰って行きました。たいへんな金持ちだったからです。

クリスチャンになってから、私が気づいたのは、教会の中に様々な人がいることです。正直にイエスキリストを受け入れ、生まれ変わった人も多くいると思います。しかし、その全ての人が、イエス様の「ついてきなさい」の招きに応答している訳ではないことにも気付きました。

多くの信者は、ある程度、神様からの祝福を楽しめるまでの教会生活で満足しているようですが、残念ながら、彼らがまだ理解していないのは、ただ少しの祝福を楽しむのではなく、彼らを通して祝福を与える人になることで、また、その恵みで多くの人の人生を変化をもたらすようになるのが神様の御心です。

事実、イエス様は全ての信者を福音の拡大のための協力者として呼びかけていますが、あいにく自分のスケジュールしか考えていないクリスチャンが多いです。

様々な牧師と話してみてください。教会の中で奉仕し、心が一つになっているのは何人ですかと聞いてみてください。おそらく20%は協力しているでしょうが、他の80%はどうですか。教会生活を楽しみたい、メッセージで祝福されたいと思っていますが、教会の使命とビジョンまで決心したくないと思う人が多いのではないでしょうか。また、ただ、皆と仲良くできる程度まで奉仕する人もいますが、大宣教命令のために決心していない人もいます。なので、もし奉仕が面倒と感じたら、彼らはすぐ諦める傾向が高いです。

パウロも素晴らしいリーダーでした。もちろん、現在、パウロの下で訓練されたいと言うクリスチャンが多くいると思います。しかし、当時、本当に信頼ができる、完全に使命のために自分の時間も都合も捧げた人は一人しかいませんでした。。それはテモテです。

ピリピ 2:19-22

主のお許しがありしだい、テモテをそちらへ送りたいと思っています。そうなれば、彼から、あなたがたのことやそちらの様子を報告してもらい、私も元気づけられると期待しています。テモテほど親身になって、あなたがたのことを心配している人はいません。ほかの人はみな、自分の計画に心を奪われ、キリスト‧イエスのことなど気にかけていないようです。しかし、テモテは違います。よくご存じのとおり、まるで私の息子のように、福音の働きを助けてくれました。

あなたも神様の御計画のために全てを捧げているでしょうか。または、これから捧げたいでしょうか。残念ながら、教会の中にと、自分自身のスケージュールや計画、夢に一生懸命な人が多いですが、ここまでこのブログを読んでくださった皆さんは違うのではないかと思います。

なので、最後にあなたに良いお知らせをしたいと思います。イエス様が約束してくださったように、福音のために全てを捧げた人はこの地にいる間さえも偉大に祝福されます。また永遠の命も受け、忠実にイエス様の招きに応答したおかげで、大きく報われます。イエス様が、忠実に従順に協力した人にどれ程最高な報いを用意して下さったかを理解するために、いくつかの聖書箇所を引用したいと思います。

2コリント 4:16-17

ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

へブル 10:35

ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。

黙示録 2:7

勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」

黙示録 2:26

勝利を得る者、すなわち、最後までわたしの働きを全うする者に、諸国民を支配する権威を与えます。

黙示録 3:21

勝利を得る者を、わたしと共に王座につかせましょう。ちょうど、わたしが勝利を得た時、父から、王座に共に座ることを許されたように。

私達はいつも様々な計画を立てます。また、個人な夢を果たすために、様々な目標を考えますが、それらを全て神様捧げてみたらどうでしょうか。必ず神様はあなたのためによりよい計画を持っておられるはずです。

箴言 19:21

人はたくさんの計画を立てますが、主の計画だけが成るのです。